第157話 教皇の裁き
【ヴァレリア視点】
『アヴァロン帝国歴170年 2月6日 嘆きの大平原 昼』
血と、鉄と、硝煙の匂い。
狭い塹壕の中は、すでに地獄と化していた。次から次へと飛び込んでくる、純白の鎧をまとった狂信者たち。その瞳には、理性も、恐怖も、何一つ映ってはいない。ただ、女神への、歪んだ信仰だけが、不気味な光を放っていた。
「ぐ、あ……」
私の目の前で、一人の若い兵士が、白い騎士の銃剣に、胸を貫かれる。私は、その騎士を斬り伏せるが、すぐに新たな二人の騎士が、その隙間を埋めようと襲い掛かってきた。
(……くっ、ここまで、か……!)
数で勝り、地の利を得ているはずの我らが、じりじりと押し込まれている。死を恐れぬ者の突撃は、これほどまでに、厄介なものか。
絶望が、私の心を、支配しかけていた。ライル様、そして、我が子フェリクスの顔が、脳裏をよぎる。
(申し訳、ありませぬ……!)
私が、最後の力を振り絞り、剣を構え直した、その瞬間だった。
あれほど喧騒に満ちていた戦場から、ふっと、音が消えた。
聖浄騎士団の兵士たちが、まるで、見えざる何かによって動きを止められたかのように、一斉に、戦場の、ただ一点を見つめていた。
私もまた、その視線の先を、追った。
【ライル視点】
『同日、同刻、ライル軍本陣』
丘の上の本陣から、僕は、なすすべもなく、味方の戦線が崩れていくのを見つめていた。
ヴァレリアたちが、必死に食い止めている。だが、時間の問題だ。このままでは、全軍が崩壊する。
(……僕が、行くしかない)
僕が、自らライフルを手に、最前線へと駆け出そうとした、その時だった。
戦場の、東の丘の上から。
一台の質素だが、どこか神聖な気品を漂わせる馬車が、わずかな供だけを連れて、ゆっくりと姿を現したのだ。
馬車は、僕たちと、聖浄騎士団との、ちょうど中間で静かに止まった。そして、その扉が、ゆっくりと開かれる。
現れたのは、純白の法衣に身を包み、黄金の教皇杖を手にした、一人の老人。
ピウス七世猊下。その人であった。
猊下は、眼前に広がる地獄のような光景を、ただ、静かに見つめていた。
そして、その杖を、天へと静かに掲げた。
彼は、叫ばなかった。だが、その声は、不思議な力を持って、戦場の隅々まで、はっきりと、響き渡った。
「――汝ら、聖浄騎士団と名乗る者どもよ」
その声に、聖浄騎士団の兵士たちの動きが、完全に、止まる。
「女神の名を騙り、その教えに背き、無辜の民から奪い、その血を流す、偽りの信徒どもめ」
猊下の、静かだが、鋼のような怒りを込めた言葉が、一人一人の騎士の胸に、突き刺さっていく。
「この、女神の代理人、ピウス七世の名において、汝ら全員の、破門を、ここに宣言する!」
破門。教会からの、完全なる追放。それは、彼らにとって、死よりも重い、罰。
「汝らは、もはや女神の子ではない! ただの、神の敵である!」
その、最後の宣告が、彼らの心を、完全に、砕いた。
あれほど燃え盛っていた、狂信の炎が、ふっと、消える。彼らの瞳から、光が失われ、ただ、深い混乱と、絶望の色だけが、浮かんでいた。大義名分を失った彼らは、もはや、ただの武装した集団でしかなかった。
(……今だ!)
僕は、この千載一遇の好機を、逃さなかった。
僕は、隣に立つ伝令兵に、力の限り叫んだ。
「全軍に伝えろ! 反撃を開始する! 敵を一人残らず、この平原から叩き出せ!」
僕の号令と共に、劣勢だったはずのヴィンターグリュン軍から、地鳴りのような、復活の雄叫びが、上がった。
戦いの流れは、今、完全に変わった。
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