第142話 王子襲撃
【ヴァレリア視点】
『アヴァロン帝国歴169年 11月28日 深夜 静寂』
ランベール侯爵の屋敷は、深い静寂に包まれていた。だが、この静寂は、嵐の前の不気味な静けさ。私は、アウレリアン、ルキウス両殿下の寝室へと続く廊下で、息を殺し、壁の影と一体化していた。
私の騎士としての勘が、この闇の中に、招かれざる客の存在を告げている。
(……来たか)
廊下の向こうの暗がりから、音もなく、三つの黒い影が姿を現した。その動き、訓練された兵士のものだ。一切の無駄なく、一直線に、王子たちの寝室へと向かってくる。
影の一つが、寝室の扉に手をかけた、その瞬間。私は、床を蹴った。
そして、それと全く同じタイミングで、反対側の影から、もう一人の守護者が、音もなく姿を現した。
「……お引き取り願おうか。夜更かしは、子供の成長によくありませんので」
ユーディル。彼の声は、静かだが、死の宣告のように、冷たく響いた。
暗殺者たちは、一瞬驚愕に目を見開いたが、すぐに状況を理解し、その手に握った毒々しい光を放つ短剣を、我々へと向けた。
戦闘は、一瞬だった。
金属音が、短く、二度、三度と響き渡る。敵は手練れだ。その連携は巧みで、私は、一人の攻撃を防いでいる隙に、もう一人に懐へと入り込まれそうになる。
「くっ……!」
私が、体勢を立て直そうと一歩後ろへ下がった、その時。一人の暗殺者が、私を無視して、王子たちの寝室の扉へと手を伸ばした。
(――させん!)
私は、騎士の礼装の下に隠し持っていた、アシュレイ殿が私のために特別に作ってくれた『護身用の切り札』を、抜き放った。ユーディルもまた、それと全く同じタイミングで、ローブの下から、同じものを引き抜いていた。
黒光りする、回転式弾倉を持つ、小型の拳銃。リボルバー。
バァン!
バァン!
廊下に、鼓膜を突き破るような、二つの鋭い炸裂音が響き渡った。
扉に手をかけていた暗殺者は、眉間に正確に風穴を開けられ、声もなく崩れ落ちる。もう一人も、胸から血飛沫を上げて、壁に叩きつけられた。
残る最後の一人は、その場で呆然と立ち尽くしていた。剣でも、魔法でもない。あまりに理解不能な、一瞬の死。その恐怖に、完全に戦意を喪失していた。だが、彼は、最後の力を振り絞り、懐から一つの短剣を取り出すと、それを、わざとらしく、扉の前へと放り投げた。
(……わざとらしい)
その直後、ユーディルのリボルバーが、三度目の火を噴き、最後の暗殺者の命を、無慈悲に刈り取った。
【ライル視点】
『同日、同刻』
銃声に叩き起こされた僕は、何事かと、部屋を飛び出した。
王子たちの寝室の前には、信じられない光景が広がっていた。黒装束の男たちの亡骸、火薬の匂い、そして、呆然と立ち尽くす侍女たちに抱きしめられ、わんわんと泣きじゃくる、アウレリアン君とルキウス君の姿。
「ライル様。ご安心を。両殿下は、ご無事です」
ヴァレリアが、まだ硝煙の匂いが残るリボルバーを手に、静かに報告する。僕は、床に転がる、一つの短剣に目をやった。そこには東方諸侯の一つの、見覚えのある紋章が、はっきりと刻まれていた。
ダリウス公爵の紋章だ。
「……ユーディル。これは、奴らの仕業か?」
「いえ。最後の一人が、捕まる寸前に、これを投げ捨てました。あまりに芝居がかっておりましたな。これは、我らの目を真の黒幕から逸らすための、偽装工作でしょう」
偽装工作。その言葉を聞いた瞬間、僕の中で、何かが、完全に、切れた。
ユリアン皇帝の死も、この、幼い王子たちへの襲撃も。全ては、誰かが描いた、汚い筋書きの上で起きている。そして、そのために、僕の友は死に、彼の子供たちが、こんなに怖い思いをしている。
(……子供たちまで、利用するのか)
僕は、泣きじゃくる二人の王子の頭を、そっと撫でた。
(もう、容赦しない)
こみ上げてくる、氷のように冷たい怒りを、僕は、ただ、静かに、心の奥底へと沈めた。
僕は、ヴァレリアとユーディルの方を、ゆっくりと振り返る。
「……もう、終わりだ。あいつらは、殺す」
僕のその一言が、帝国の運命を、そして僕自身の運命を、後戻りのできない血塗られた道へと突き進ませる号令となった。
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