第141話 見えざる神の御手
【ビアンカ視点】
『アヴァロン帝国歴169年 11月25日 昼 冷たい雨』
帝都に借りた、ランベール侯爵家の屋敷の一室。その窓を、冷たい雨がひっきりなしに叩いていた。まるで、今のわたくしの心模様を、空が代弁しているかのようだわ。
机の上には、各地から矢継ぎ早に届く、凶報の山。
「……また、やられたというの」
わたくしは、濡れた紙を、音を立てて握りつぶした。
帝都で暮らすライル様と兵士たちのため、ハーグから物資を運んでいた我がヴィンターグリュン商会の輸送部隊が、またしても「正体不明の盗賊」に襲撃された、と。これで、今週に入って三度目。
(これは、ただの盗賊の仕業ではない……! あまりに組織的で、あまりに的確すぎる……! まるで、こちらの動きが、全て筒抜けであるかのようだわ……!)
狙われるのは、決まって、兵糧や武器といった、軍事的に重要な物資ばかり。そして、犯人たちは、金品には目もくれず、ただ、輸送路を破壊し、馬を殺し、荷を焼き払うことだけに、執着している。
これは、経済活動ではない。明確な、軍事妨害。
誰かが、見えない場所から、わたくしたちの生命線を、確実に、そして冷徹に、断ち切ろうとしている。
【大司教バルバロッサ視点】
『同日、帝都の教会、一室 夕刻 雨』
蝋燭の灯りだけが揺れる、静かな礼拝室。窓の外で降りしきる雨音が、この部屋の神聖さを、より一層引き立てておった。
わたくしの前にひざまずくのは、東方諸侯の代表格、シュタウフェン男爵とグリメルスハウゼン伯爵。その顔には、焦りと、そして、わたくしへの絶対的な信頼の色が浮かんでおる。
「大司教様……! ライルめ、帝都でランベール侯爵たちと連携し、我らの切り崩しを図っております! このままでは……!」
シュタウフェン男爵の、悲痛な声。わたくしは、静かに目を閉じ、天に祈りを捧げるふりをした。
「……女神は、全てを見ておられる。帝国の伝統を守らんとする、貴殿らに、神の御加護があらんことを」
わたくしは、祭壇の脇に置かれていた、一つの重い革袋を手に取った。中には、金貨がぎっしりと詰まっておる。
「これは、帝国の未来を憂う、敬虔なる信徒たちからの、ささやかな寄進じゃ。貴殿らの、正しき戦いのために、お使いなされ」
そして、わたくしは、もう一枚の羊皮紙を差し出した。そこには、明日、ハーグから出発する、ヴィンターグリュン商会の、次の輸送部隊の進路が、詳細に記されておる。
「昨夜、女神が、わたくしに夢でお告げになられた。この道に、帝国の秩序を乱す、悪しき富が流れる、と。……どうするかは、貴殿らの信仰心次第じゃ」
「おお……! 女神は、我らをお見捨てになってはいなかった!」
二人の貴族は、涙ながらにわたくしに感謝し、金貨と情報を手に、足早に部屋を去っていった。
一人になった礼拝室で、わたくしは、窓の外の雨を見つめ、静かに、そして冷たく、微笑んだ。
(さあ、踊るがよい、愚かなる者どもよ。お主らの流す血と欲望を糧として、我が神聖帝国は、誕生するのじゃ……)
【ライル視点】
『同日、ランベール侯爵の屋敷 夜 雨』
その日の夜、僕の部屋には、ヴァレリア、ユーディル、そして青ざめた顔のビアンカが集まっていた。
「……というわけで、我が商会の損害は、すでに無視できぬ額に達しております。このままでは、兵站の維持すら、困難に……」
ビアンカの報告に、ユーディルが静かに言葉を継ぐ。
「我がギルドの者たちも、襲撃現場を調査しました。残された痕跡から、犯人は、高度な訓練を受けた、軍事集団であると断定。ただの盗賊では、ありえません」
見えない敵からの、執拗な攻撃。僕たちが、重い沈黙に包まれていた、その時だった。
僕は、ふと昼間に面会した、あの敬虔そうな大司教の顔を思い出していた。
(あの、いかにも優しそうな顔をした大司教……。あの人の、見えない手が、僕たちの国を、仲間たちを、苦しめているんだ……)
確証はない。だけど、僕の直感が、そう告げていた。
僕は、顔を上げた。
「もう、守ってばかりじゃいられないな」
僕の静かな、しかし確かな怒りを込めた声に、皆の視線が集まる。
「こっちからも仕掛けるぞ。ユーディル、ビアンカ、二人の力を貸してほしい。あの偽物の聖人様に、本当の神様の怖さを教えてあげるんだ」
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