第138話 選帝侯会議の開幕
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴169年 11月20日 昼 曇天』
帝都フェルグラントの城、その最も格式高い評議会室は、鉛色の空のように、重く、冷たい沈黙に支配されていた。
磨き上げられた巨大な円卓を、帝国の運命を左右する七人の選帝侯が囲んでいる。僕の隣にはランベール侯爵とヴェネディクト侯爵。向かいには、聖都から到着したばかりのピウス七世猊下。そして、東方諸侯に囲まれるようにして、小さな椅子にちょこんと座っているのは、まだあどけなさの残る、幼いダリウス公アルブレヒト君だった。
(いったい、これからどうなっちゃうんだろう……)
玉座が空位のまま、評議会は帝国の宰相によって、厳かに開会を宣言された。最初の議題は、もちろん、次期皇帝の選出についてだ。
宰相の言葉が終わるやいなや、東方諸侯の一人、シュタウフェン男爵と名乗る、いかにも気の強そうな男が、勢いよく立ち上がった。
「宰相閣下、並びに選帝侯各位! この、帝国の危機に際し、我らが選ぶべきは、ただ一点! 古くから続く、帝国の『伝統』と、清浄なる『血筋』をおいて他にございません!」
シュタウフェン男爵は、僕の方をちらりと見ながら、わざとらしく声を張り上げる。
「先の皇帝陛下の治世、帝国には、確かに新しい風が吹きました。ですが、その風は、同時に、伝統を軽んじ、秩序を乱す、堕落の匂いをも運んできた! 今こそ我らは、原点に立ち返り、真に高貴なる血統の方を、玉座にお迎えすべきであります!」
彼の言葉に、東方諸侯の代表格であるグリメルスハウゼン伯爵も、深く、何度も頷いている。そして、その背後、陪席を許された大司教バルバロッサが、実に敬虔そうな顔で、静かに目を閉じていた。
シュタウフェン男爵は、続けた。
「よって、我ら東方諸侯は、ここに、次代の皇帝として、最も相応しき御方を推薦いたします! その御方こそ、帝室の、最も古い血を引く、正統なる後継者! 若き獅子、アルブレヒト・フォン・ダリウス公爵陛下にございます!」
その名が告げられた瞬間、評議会室が、どよめきに包まれた。
僕も、隣に座るランベール侯爵たちも、言葉を失う。まさか、こんな小さな子供を、傀儡として擁立してくるとは。
皆の視線が、一人、アルブレヒト君へと集まる。
「……あっ、あの、その僕……ここに来いって言われて……」
アルブレヒト君の顔が、真っ青になっている。彼は、ただ、震えながら、僕の方を、助けを求めるような、怯えた目でじっと見つめていた。お芋をもらって、あんなに喜んでいた、ただの優しい男の子。彼が、こんな権力争いを望んでいるはずがない。
(……ひどい。ひどすぎるよ、この人たちは)
子供一人を、自分たちの野心のための道具にするなんて。
僕は、静かに、席を立った。僕が動いた、ただそれだけで、評議会室の全ての音が、ぴたりと止んだ。
「シュタウフェン男爵」
僕は、彼の目をまっすぐに見据えて、尋ねた。
「一つ、聞いてもいいかな? その前に、アルブレヒト君本人に、ちゃんと聞いたのかい?」
「な、何をおっしゃるか!」
「だから、君は、皇帝になりたいのかいって、アルブレヒト君に、ちゃんと聞いたのかって、聞いてるんだ」
僕の、あまりに単純な問いに、シュタウフェン男爵は、ぐっと言葉に詰まった。
僕は、評議会に集まった全員を見回して、はっきりと告げた。
「僕が、亡くなったユリアン皇帝と約束したのは、アウレリアン殿下と、ルキウス殿下のことだ。僕は、その約束を、絶対に守る。だから、僕が推薦するのは、アウレリアン殿下、ただ一人だ」
僕の言葉が、宣戦布告となった。
帝国の未来を決める、選帝侯会議の盤上で、二つの派閥が、今、明確に、その姿を現したのだった。
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