第133話 ノンアルコールカクテル『ピウス・ブレッシング』だと……? くっ、ソフトなリンゴ味ッ(グビグビッ)
【女神教教皇 ピウス七世猊下視点】
『アヴァロン帝国歴169年 10月10日 昼 快晴』
鉄の道とかいう、黒煙を吐く怪物は、わたくしたちを乗せて、あっという間に北の都ハーグへと到着した。駅には、かのライル侯爵が、人の好さそうな笑顔で出迎えておった。
「ようこそハーグへ! ピウス猊下! 僕が……いえ、このライルがハーグを案内しますね!」
その日の午後、わたくしは、ライル侯爵本人の案内で、この活気に満ちた街を視察することになった。
広場で、一人の老婆が、わたくしの姿を認め、駆け寄ってきて、その場に深くひざまずいた。
「おお……ピウス七世猊下様! ようこそ、このハーグへおいでくださいました!」
「うむ。して、何か困りごとかね?」
「いえ! その逆でございます! この街の教会は、ライル様のご支援のおかげで、わたくしたちのような貧しい者にも、毎日温かい食事と、女神様の慈悲深い教えを分け与えてくださいます。本当に、本当に、女神様と、猊下様と、そしてライル様には、感謝しかございません……」
(……ほう? この者、信仰心はあるのか……?)
わたくしは、少しだけ、ライル侯爵への評価を改めた。
次に案内されたのは、街の中心に立つ、質素じゃが、清潔に保たれた教会であった。出迎えたのは、司祭のクレメンス殿。彼の顔は、実に晴れやかであった。
「猊下。ライル侯爵閣下は、我ら教会に対し、一切の税を免除してくださっております。そればかりか、布教の自由を完全に保障し、傷んだ箇所の修繕費まで、王家の予算から出してくださると……」
(ぬぅ……これ以上ない信徒の鑑ではないか……!)
わたくしは、内心の動揺を悟られぬよう、努めて厳粛な表情を保った。
その夜。ユリアン皇帝に半ば強引に誘われる形で、わたくしは、あの『闇バー』とかいう、忌まわしき場所へ足を踏み入れることになった。
店内にはムワッとしたタバコの煙が充満しており、むさくるしい男たちが安酒片手に賭け事に興じている。
(所詮は闇のバーということか……)
じゃが、店の様子が、少しだけ違っておった。隅の一角が、美しい木製の格子で仕切られ、まるで、教会の懺悔室のような、静かで落ち着いた空間が作られておる。
「猊下。こちらへどうぞ」
ライル侯爵が、悪びれもせず、にこやかに手招きをする。
「陛下や、他のお客様がいると、どうにもお話に集中できないかと思いまして。猊下のために、静謐な心の安らぎを、と、ユーディルに頼んで、特別に用意させました」
(……こ、この闇の施設で、わたくしだけに礼拝室とは……。こ、この男、どこまでわたくしを愚弄すれば……)
わたくしが、怒りに震えていると、バーカウンターの内側から、ユリアン皇帝が、黄金のシェイカーを手に、実に楽しげな顔でやってきた。
「さあさあ、猊下。長旅でお疲れでしょう。わたくしめの特製ジュースを、一杯いかがかな?」
皇帝は、手際よく、色とりどりの果実をシェイカーへと放り込み、軽快な音を響かせる。やがて、わたくしの前に、見たこともないほど美しいジュースが、差し出された。
「では……」
わたくしが、警戒しながらも、その一杯を口に含んだ瞬間。
(なっ……! 美味いっ! なんという複雑で、しかし完璧な調和! それぞれの果実が、互いの長所を最大限に引き出し合っておる……!)
わたくしが、あまりの美味さに言葉を失っていると、皇帝が、高らかに宣言した。
「本日より、この一杯を、猊下のその寛大なるお心にちなみ、ノンアルコールカクテル『ピウス・ブレッシング』と名付ける! さあ、皆の者、猊下の祝福に乾杯だ!」
その言葉に、わたくしは、カッと頭に血が上った。
「や、やめろっ……そんな……そんな名前を……(グビグビッ)」
なぜじゃ! やめろと申しておるのに、口が、体が、この美味なる液体を、止めてくれぬ!
「あら、リンゴ味で美味しいですわね!」
となりで若い女司祭のセラフィナが美味しそうに飲んでいる。
(くっ、飲み物に……飲み物に……きっと罪はないッ!)
ああ、女神よ。わたくしは……わたくしは、またしても、闇の誘惑に、堕ちてしまいました……。
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