第132話 くっ、このわたくしが、ミックスジュースで堕ちようはずがないっ! くっ、悔しいっ(グビグビッ)
【女神教教皇 ピウス七世猊下視点】
『アヴァロン帝国歴169年 10月1日 夜』
帝都へ赴き、ユリアン皇帝に面会を申し出ると、驚くほどあっけなく受理された。
じゃが、通されたのは玉座の間ではなく、城の一角に新設されたという、きらびやかなだけの、実に俗っぽい部屋であった。なんでも、帝都の貴族たちの間で『ユリアン皇帝のサロン』と呼ばれ、大流行しているらしい。
(ふんっ、くだんの闇バーの模倣か……)
わたくしは心の中で、帝国の頂点に立つ男の、そのあまりの軽薄さを、心底、軽蔑した。
部屋の中央には、磨き上げられた黒檀のバーカウンター。その内側で、この国の皇帝陛下自らが、黄金のシェイカーとかいう、奇妙な道具を振っておった。
シャカシャカシャカシャカ……。
小気味よく響くその音。
(……闇の誘惑の音か)
周りを見渡せば、イェーガー伯爵やエーデルシュタイン伯爵といった、見覚えのある貴族たちが、うまいっ、もう一杯と、次々と酒を注文しておる。ヴァイスハイト伯爵夫人に至っては、ポーカーで勝ったのか、扇子を広げて高笑いしておった。金銭を賭けているのは、実にいただけない。
「やあ、これはピウス猊下。どうぞ、席へおつきになってください」
意外にも、皇帝は腰が低かった。
(なるほど。ここではあくまでも、バーの主人という『設定』に、徹しておるわけか)
わたくしは、ムスっとした顔で席についた。
「一杯いただきましょう。ただし、酒は抜きで」
「わかりました、猊下」
皇帝は、にやりと笑うと、カウンターに並べられた、色とりどりの季節の果物を、次々と手にした。それらを、手際よく絞り、氷と共にシェイカーへと放り込む。そして、再び、あの軽薄な音を、サロン中に響かせた。
やがて、わたくしの目の前に、美しい夕焼け色をした、一杯の飲み物が差し出された。確かに、目の前で作っておったのだから、酒は入っておるまい。
「では、いただきましょう」
わたくしが、何気なくグラスに手を伸ばし、その液体を口に含んだ、その瞬間。
(うっ、うまいっ! なんだこれは!? 果実の甘みと酸味が、完璧な調和を……!)
わたくしは、そのあまりの美味さに、我を忘れ、一気にグラスを飲み干してしまった。
「こちらは、当バー自慢のミックスジュースですよ猊下。時々、お子さん連れの方もいらっしゃいますからな」
皇帝が、実に意地悪そうな顔で、にやりと笑う。そして、こともなげに、こう続けた。
「ちなみに、そのジュースを作ったシェイカーは、猊下のお嫌いな、ハーグの闇バーのマスターから、友情の証として譲り受けたものでございます。つまり、それは、闇の一杯でございますな」
「なっ……!?」
わたくしは、今しがた我が身に取り込んだ、あまりに美味なる液体を、吐き出そうとした。じゃが、そのジュースが、わたくしの胃から離れたくないのか、げほっと咳き込むだけで、一向に出てこない。
「くっ、くそっ! この不信心ものめっ!」
「ククク、猊下は今、闇に堕ちられたのでございます」
その時、わたくしの供として控えておった、若い女司祭のセラフィナが、首を傾げながら、こう言ったのじゃ。
「あのう、猊下。これって、そんなに怒ることですか? ただのジュースじゃないですか? 美味しいですし、良いのでは?」
だめだ、この女司祭では、話にならんっ!
「ユリアン皇帝ッ! こうなれば、話は早い! ハーグで、ハーグで、全ての元凶であるライルとやらと、直接、話をさせろっ!」
「やれやれ、仕方ないですな、猊下。それでは、鉄道でハーグへ行きましょう。皆の者、今日のバーは終わりだ。また開くでな。楽しみにしておれ」
皇帝がそう言うと、貴族たちは残念そうに、しかし、素直に席を立った。
まったく、忌々しい。
わたくしは、供の者とユリアン皇帝と共に、あの、鉄の怪物で、北の魔境ハーグへと向かうことになったのじゃった。
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