第131話 ピウス七世猊下の憂鬱 闇の勢力が増しているのは明らかだ!
【女神教教皇 ピウス七世猊下視点】
『アヴァロン帝国歴169年 9月25日 昼 曇り』
わたくしの治める聖都アウグスタは、今日も静かな祈りと、澄んだ鐘の音に満ちておる。帝都の南、そしてランベール侯爵領との中間に位置するこの地は、長らく、帝国の信仰の中心として、その秩序と安寧を守ってきた。
じゃが、最近のわたくしの心は、この曇り空のように、晴れることがない。
(……この世は、享楽に、あまりに溢れすぎてはいないか?)
執務室の窓から、眼下の街並みを眺める。この聖都にまで、帝都からの悪風は届き始めておった。
新大陸から来たという、黒くて苦い豆の飲み物。雪のように白く、人の心を惑わす甘い砂。様々な酒を混ぜ合わせたという、奇妙な色合いの液体。そして、魂を焦がすという、琥珀色の蒸留酒……。
聞けば、これらは全て、かの北の侯爵、ライル・フォン・ハーグがもたらしたものだという。
(多少の娯楽は、人々の心を慰め、生きるために必要であろう。じゃが、これは、あまりに度を越しておる。人の心から、祈りを、そして女神への畏敬を、奪い去ってしまう)
そして、何より、わたくしが憂慮しておるのは、影で蠢く者たちの、あまりに増長したその勢力じゃ。
かつては、日の光を避けるように、路地裏でひっそりと息を潜めていたはずの、闇の宗教。それが今や、ヴィンターグリュン王国という、あまりに強大な後ろ盾を得て、公然と、帝都にまでその根を伸ばし始めておる。
皇帝陛下が、彼らの存在を黙認、いや、むしろ歓迎しておられることなど、わたくしの耳にも届いておる。
(これも、全ては、あのライル侯爵が原因)
あの男自身に、悪意はないのかもしれぬ。じゃが、彼の存在そのものが、彼のその底なしの幸運が、この帝国が千年の長きに渡って築き上げてきた、美しき伝統と、敬虔なる信仰の秩序を、根底から、いとも容易く、破壊しつつある。
(このまま、手をこまねいていては、女神の教えは地に落ち、帝国は、快楽と堕落の泥沼へと沈んでいくであろう)
わたくしは、決意した。
この、乱れた帝国の風紀を、正さねばならぬ。女神の代理人として、この聖都の主として、そして、帝国の未来を憂う、一人の選帝侯として。
わたくしは、側近の司祭と、我が切り札である神殿騎士団の団長を、執務室へと呼びつけた。
「帝都へ、参る」
わたくしの、静かじゃが、鋼のような意志を込めた言葉に、二人は、黙って、深く、頭を垂れた。
「かの北の侯爵に、そして、彼に惑わされた皇帝陛下に、真の『正義』とは何かを、問い質さねばなるまい」
数日後。わたくしは、純白の法衣に身を包み、精鋭たる神殿騎士団を伴って、聖都アウグスタを出立した。
目指すは、帝都フェルグラント。
帝国の信仰を守るための、静かで、しかし、決して退くことのできぬ戦いが、今、始まろうとしておった。
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