第13話 逃げ出す北方の民たち
【ニヴルガルド王 ドラガル=フリムニル視点】
『アヴァロン帝国歴157年 1月20日 夜 吹雪』
玉座に座る我、ドラガル=フリムニルの耳に届くのは、荒れ狂う吹雪が城壁を叩く音と、部下からの忌々しい報告だけだった。
「……はなはだ申し上げにくいことですが、ドラガル様。この一月で、さらに二千の兵が逃亡いたしました。現在の総兵力は、およそ五千かと……」
我は、手にした羊皮紙を音を立てて握りつぶした。一万を誇った我が軍勢が、今やその半分。すべては、あの忌々しい小娘、フリズカ=スヴァルディアを逃したことから始まっていた。
(あの小娘が、南の辺境伯……ライルとかいう若造の元に逃げ込んだ。その噂が広まった途端、我に忠誠を誓ったはずの者たちが、雪解け水のように消えていく!)
スヴァルドめ……。長年、我が前に立ちふさがってきたあの男は、死してなお、我を苦しめるか。奴の娘というだけで、民は我よりも、父の仇を選んだのだ。
(これでは、スカルディアと我が本拠地ニヴルガルドの両方は守れぬ……)
もし、あの『槍の英雄』とやらが攻めてくれば、間違いなく戦力は分散させられる。ならば、答えは一つ。
(スカルディアは捨てる。だが、ただではくれてやらん。あの地が長年蓄えてきた富は、すべて我がニヴルガルドへ移してくれるわ!)
その日を境に、我はスカルディアからの徹底的な略奪を命じた。食料、家畜、武具、そして金銀財宝。すべてが、雪道を越えて我が城へと運び込まれていく。
だが、その行いは、さらに人心の離反を招いた。
「父上! これ以上、スカルディアの民から奪うのはおやめください!」
玉座の間に、我が娘、ヒルデの悲痛な声が響いた。いつからそこにいたのか。その瞳には、強い意志と、父への憂いが浮かんでいる。
「彼らもまた、同じ北の民にございます! 飢えと寒さに凍える民は、南のハーグという街へ、次々と逃げ込んでおります。あの『槍の英雄』を頼って……! このままでは、父上の周りには誰もいなくなってしまいますぞ!」
「うるさいっ!」
我は、こみ上げる苛立ちのままに叫んだ。
「英雄だと? 小娘一人に何ができるというのだ! 逃げたい奴は逃げるがいい! 残った真の強者だけで、我は新たな帝国を築くのだ!」
我は、思わず手を振り払っていた。
「きゃあっ!」
ヒルデの華奢な体が、冷たい石の床に打ち付けられる。彼女は、唇の端から血を流しながらも、まっすぐに我を見つめていた。その瞳には、恐怖ではなく、深い、深い失望の色が浮かんでいた。
「……父上は、いつからそのような……もはや真の王ではありません。ただの……略奪者になられてしまったのですか……」
その言葉が、棘のように我の胸に突き刺さる。我は何も言い返せず、そばにあったエールの杯を掴むと、一息に呷った。
ヒルデは静かに立ち上がると、一礼し、音もなく玉座の間から去っていった。残されたのは、孤独な王と、空になった杯だけだった。
それからというもの、我は酒に溺れた。
窓の外では、いつしか吹雪が止み、城壁の氷が解け、ぽつり、ぽつりと雫が落ち始めていた。
季節は、容赦なく春へと向かっていた。
春になれば事態が動き出すだろう……誰もがそんな予感を持っていた。
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