第122話 鉄の道 敷設計画 皇帝は気軽にハーグへ遊びにいきたい【鉄道編 開幕】
【アシュレイ視点】
『アヴァロン帝国歴167年 5月10日 昼 快晴』
(……平和っスねえ)
私は、城の中庭で、息子のレオと、新しく作ったからくり仕掛けの蝶々を追いかけっこしていた。レオがきゃっきゃっと笑うたびに、私の心も、春の日差しみたいに温かくなる。
この、当たり前の毎日。夫であるライルが、命懸けで守り抜いた、かけがえのない宝物。
(このまったり感が、ずっと続くといいスよ……)
そんな私のささやかな願いは、大抵、一人の男の、実に身勝手な一言によって、いとも容易く、そして、とんでもない方向へと打ち砕かれるのだ。
「ライルよ、ハーグは実に面白い。酒も、飯も、お前の周りに集まる女たちも、最高だ。だが、一つだけ、致命的な欠点がある」
その日、またしても、何の前触れもなくハーグにやってきたユリアン皇帝陛下は、ライルと私が同席する茶会で、心底退屈そうに、そう言い放った。
「帝都から、あまりに遠すぎるのだ! あの、ガタガタ揺れる馬車に、何日も揺られてくるのは、もううんざりだ! もっとこう、シュッと来られる道はないのか? そうだ、鉄の馬車とかでな!」
(……また始まったっスよ、このワガママ皇帝の無茶振り)
私が、やれやれと肩をすくめていると、隣に座る我が夫、ライルは、その突拍子もない提案を、真剣な顔で受け止めていた。
「うーん、鉄の馬車かあ……。アシュレイ、作れる?」
「え?」
ライルの、あまりに純粋な問い。その瞬間、私の頭の中で、眠っていた発明家としての血が、激しく燃え上がるのを感じた。
鉄の馬車。それ自体を、どうやって動かす? 蒸気の力……! 水を熱して、その膨張する力で、車輪を回す! 理論上は可能っス! でも、それだけの力を生み出すには、巨大なボイラーと、石炭を燃やすための火室が必要になる。そんな重いものを、普通の道で走らせることなんて……。
(……道?)
そうだ。道が、ダメなら。
道そのものを、鉄で作ってしまえばいいんじゃないか?
「……作れるっスよ、ライル。鉄の馬車と、それが走るための『鉄の道』を、ね」
私のその一言から、ヴィンターグリュン王国の、いや、この大陸の歴史を根底から覆す、巨大な国家プロジェクトが、産声を上げた。
私は、すぐに、この壮大な計画には、私の知識だけでは足りないことに気づいた。蒸気機関は私の専門分野だ。だが、肝心の『鉄の道』……何百、何千里と続く、頑丈で、寸分の狂いもない鉄のレールを、どうやって安定して作り出すのか。
「ライル。この計画には、どうしても、一人の男の力が必要っス」
私は、帝国の片田舎で、黙々と鉄と向き合い続けているという、一人の偏屈な天才の名を挙げた。
数日後。ハーグの城、私の工房に、その男は現れた。熊のように大きな体躯に、ぶっきらぼうな顔。だが、その瞳の奥には、鉄の未来を見据える、熱い炎が宿っていた。
「……エックハルトだ。陛下と、ライル侯爵閣下のご命令により、参上した」
鉄の天才、エックハルト。彼が、私の最高の相棒であり、そして、最大のライバルとなった。
私たちの開発は、まさに、水と油だった。
「アシュレイ殿! この設計では、ボイラーの圧力が危険すぎます! これでは、走る前に、ただの巨大な爆弾になりますぞ!」
「ヒャッハー! 爆発してこそ発明っスよ、エックハルトさん! 限界ギリギリのパワーを叩き出してこそ、ロマンがあるじゃないっスか!」
「ロマンで、人は死ぬのです!」
衝突を繰り返しながらも、私たちは、互いの才能を認め合い、一つの奇跡を生み出していった。私が、爆発的な推進力を生み出す蒸気機関を。そして、エックハルトが、その力を受け止め、どこまでも続く未来へと導く、強靭な鉄のレールを。
一年後。
ハーグの郊外に敷かれた、わずか数キロの試験線路の上に、それはあった。
黒光りする鉄の塊。生き物のように蒸気を吐き出し、その誕生を告げる、産声のような汽笛を、高らかに鳴り響かせる。私たちが『ヴィンターグリフィン号』と名付けた、大陸初の蒸気機関車だ。
招待された皇帝陛下とライルが見守る中、私とエックハルトは、運転室に乗り込んだ。
「行くっスよ、エックハルトさん!」
「……御意」
私がレバーを引くと、巨大な鉄の車輪が、ぎしり、と音を立てて動き出す。最初は、ゆっくりと。やがて、力強い鼓動を響かせながら、速度を上げていく。
馬よりも速い。風よりも、力強い。
鉄の道が、僕たちの足元で、未来へと、まっすぐに伸びていた。
「フハハハハ! 動いたぞ! 鉄の馬が、大地を走っておるわ!」
遠くで、皇帝陛下の、子供のようにはしゃぐ声が聞こえる。その隣で、ライルが、ただ、にこにこと、嬉しそうに手を振っていた。
(きっかけは、皇帝のワガママ。でも……)
この鉄の道は、これから、人や物、夢や希望、そして、新しい時代そのものを、乗せて走っていく。
(私とライルの国は、また、とんでもないものを、生み出しちゃったみたいっスね)
運転室から見える、どこまでも続く青い空を見上げながら、私は、この世で一番、最高の笑顔を、浮かべていた。
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