第121話 琥珀色の野望 ……ククク 我が主よ、新しい酒を召し上がれ!
【ユーディル視点】
『アヴァロン帝国歴166年 11月1日 夜 小雨』
(……好機だ)
わたくし、ユーディルは、闇ギルドの情報網からもたらされた一枚の紙を、静かに燃え盛る暖炉の火へと投じた。クララ殿が開発したこの新しい紙のおかげで、今や情報の伝達も、そしてその焼却処分も、実に手軽になったものだ。その紙には、皇帝陛下が百年以上も続いた古き酒造法を、自らの手で改正したという、信じがたい報せが記されていた。
全ては、我が主、ライル・フォン・ハーグ侯爵が、あの闇バーへ陛下をお連れしたことから始まった。あの御方は、ただそこにいるだけで、世界の法理すら、いとも容易く捻じ曲げてしまう。
(ならば、この好機、逃す手はない)
我がヴィンターグリュン王国には、有り余るほどの『富』が眠っている。それは、黄金ではない。ましてや宝石でもない。太陽の光を浴びて、黄金色に輝く、あの穀物……トウモロコシだ。
わたくしは、闇ギルドが抱える、帝国でも指折りの腕を持つ密造酒の職人たちを、ハーグの地下に秘密裏に作らせた工房へと集めた。
「これより、新しい蒸留酒を造る。原料は、この国のトウモロコシを、五割以上使うこと。そして、これまでのどんな酒よりも、甘く、芳醇な、魂を焦がすような一杯を、だ」
職人たちは、最初は戸惑っていた。だが、彼らは闇に生きる者。不可能を可能にすることこそ、彼らの存在意義。
試行錯誤が繰り返された。蒸留を重ね、そして、内側を焦がした樫の樽で、長い時間をかけて熟成させる。
数ヶ月後。工房には、琥珀色に輝く、奇跡のような液体が、甘い香りと共に満ちていた。わたくしは、その一杯をテイスティングし、満足げに頷いた。
「……よかろう。この酒の名は、『琥珀の魂』とする」
その、琥珀色の魂が、真の主を得る時は、存外、早く訪れた。
ある日の昼下がり、ライル様が、少し困ったような、でもどこか楽しそうな顔で、わたくしの元を訪れたのだ。
「やあ、ユーディル。実は、また皇帝陛下がお忍びでハーグに来られたんだ。それで、どうしても、もう一度あの店に行きたいって、駄々をこねててさ……」
(ククク……。お待ちしておりましたぞ、陛下)
その夜。わたくしは、ライル様と皇帝陛下を、例の路地裏の闇バーへと案内した。
店は相変わらずの賑わいで、二人の姿を認めた常連たちが、気さくに声をかけてくる。
「よう、ライルの旦那! それに、皇帝陛下じゃないか!」
「へへっ、今日はポーカーで、有り金全部、巻き上げてやるぜ!」
皇帝陛下も、満更ではないご様子で、カウンターの席にどかりと腰を下ろした。わたくしは、マスターに静かに目配せをする。
やがて、二人の前に、厚手のグラスに注がれた、美しい琥珀色の液体が、そっと置かれた。
「なんだ、これは……? 朕の知らぬ酒だな。この、蜜のような甘い香りは……」
皇帝陛下は、怪訝な顔でグラスを手に取り、その香りを確かめ、そして、おもむろに一口、その液体を口に含んだ。
次の瞬間。陛下の目が、これまでにないほど、大きく、カッと見開かれた。
「……!!」
しばしの沈黙。そして、恍惚とした表情で、天を仰ぐ。
「う……うまいっ! なんだ、この酒は!? 口に含んだ瞬間の、この穀物の力強い甘み! そして、喉を焼くような熱さと、鼻を抜ける樽の芳醇な香り……! 朕が知るどんな蒸留酒とも違う! マスター、もう一杯だ! 今すぐだ!」
ライル様も、恐る恐る一口飲む。
「わ、本当だ! なんだか、カラメルみたいで美味しいね! これ、すごく好きかも!」
皇帝陛下は、完全に『バーボン』の虜になってしまわれた。その夜、陛下は、何度も何度もおかわりを繰り返し、ついには、店の樽を丸ごと一本、買い上げようとして、常連たちと本気の腕相撲で勝負を始める始末であった。
(ククク……。また、一つ、新しい『力』が生まれた)
珈琲、砂糖、カクテル、そして、バーボン。我が主は、帝国の流行と経済を、そのお人好しな笑顔の裏で、知らず知らずのうちに支配していく。
わたくしは、琥珀色の液体を片手に、満足げに笑う主君の姿を、影の中から、静かに見つめていた。
この、琥珀色の魂が、次なる黄金を生み、そして、我が主の栄光を、さらに輝かせることになるだろう。全ては、計画通りに。
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