第120話 風呂場の姫君たち、あるいは、裸の付き合いというもの
【ヴァレリア視点】
『アヴァロン帝国歴166年 10月15日 夕刻』
(……静かだ)
私は、城内に新設された大浴場の、湯気が立ち込める脱衣所で、そっと息をついた。
日中は、新型ライフルの訓練指導、午後からは、来年度の軍事予算に関するビアンカ殿との会議、そして夕刻まで、息子のフェリクスにせがまれての剣術ごっこ。騎士団長として、そして母としての私の毎日は、目まぐるしく過ぎていく。
だが、今この時だけは、全てから解放される。
扉を開けると、そこには、私の知るどんな景色よりも、穏やかで、そして少しだけ騒がしい、楽園が広がっていた。
「いやー、やっぱり、広いお風呂は最高っスねー! 日頃の研究の疲れが、全部吹っ飛ぶっスよ!」
アシュレイ殿が、気持ちよさそうに湯船で手足を伸ばしている。その隣では、ノクシア殿が、ぷかぷかとアヒルの玩具を浮かべて遊んでいた。
「おお……。闇の眷属よ、もっとこっちへ来るのじゃ……」
「フリズカ様、ヒルデ様。わたくしの故郷では、湯船に薔薇の花びらを浮かべる習慣がございますのよ。お肌が、とてもすべすべになりますの」
「まあ、素敵ですわね、ファーティマさん。北の地では、凍った湖に穴を開けて、蒸し風呂と交互に入る荒療治が……」
フリズカ様とファーティマ殿、ヒルデ殿の三人は、大きくなったお腹を優しく撫でながら、異国の風呂文化について語り合っている。
皆、それぞれの国では、王女、あるいはそれに準ずる高貴な身分であったはずだ。それが今、この北の地で、こうして裸の付き合いをしている。これも全て、あの、規格外の王様のおかげか。
「あら、ヴァレリアさん。お疲れ様」
アシュレイ殿が、私に気づいて手招きをする。私も、静かに湯船へと体を沈めた。
「はあ……。生き返りますな」
体の芯までじんわりと温まっていく感覚に、思わず、素の声が漏れた。
「それにしても、皆、お腹が大きくなりましたわね。産んだ後の体型は、すぐには戻りませんわよ? 覚悟なさってくださいまし」
フリズカ様が、少しだけ意地悪そうに笑う。それに応じるように、アシュレイ殿が、自らの胸をぽん、と叩いた。
「大丈夫っスよ! 母乳をあげてれば、面白いように体重は落ちるっスから! それに、ライルは、そんなこと、ちっとも気にしない男っスよ。むしろ、少し、ふっくらしてる方が……」
「アシュレイ殿」
私が、少しだけ強い口調で遮ると、彼女は「へへっ、失礼」と、悪戯っぽく舌を出した。
しばらく、他愛もない会話が続く。子供たちの成長のこと、新しくできたパン屋の菓子のこと、そして、自然と、この国の王である、私たちの夫の話へ。
「ライル様は……その、わたくしたち、誰の隣にいる時が、一番お幸せなのでしょうか」
ヒルデ殿が、おずおずと、皆が心のどこかで思っているであろう疑問を口にした。
その問いに、最初に答えたのは、ノクシア殿だった。
「……妾と、一緒の時」
その、あまりに堂々とした答えに、皆がふっと笑みをこぼす。
「ふふっ、違いないわ。でも、きっと、ファーティマさんの故郷の香辛料を試している時も、幸せそうにしていらっしゃいますわよ」
楽しそうに笑いながら、フリズカ様が言った。
「ええ、きっと、そうですわね。それに、アシュレイ様の新しい発明品を見ている時も、子供のように目を輝かせていらっしゃいます」
ヒルデ殿も、はにかみながら言葉を継ぐ。
「ヴァレリアさんが、難しい書類を全部片付けてくれた時も、心の底から感謝していらっしゃると思いますわ」
ファーティマ殿は、優雅に微笑んで付け加えた。
フリズカ様の言葉に、皆が頷く。
そうだ。あの御方は、いつだって、そうだ。
誰か一人を選ぶのではない。全ての者を受け入れ、その全てを、平等に愛そうとする。それが、彼の弱さであり、そして、何よりも大きな強さなのだ。
(だからこそ、私たちは……)
「そういえば、ビアンカ殿が、新しい薬湯を用意してくださったそうですわよ。新大陸から取り寄せた、珍しい薬草を使っているとか」
私たちが、その薬湯へと向かおうとした、その時だった。
がらり、と、男湯と女湯を隔てる、大きな引き戸が、勢いよく開かれた。
「あれ、みんな揃ってどうしたの? わあ、なんだかすごく良い匂いがするね! 僕も混ぜてよ!」
そこに立っていたのは、湯気の中で生まれたままの姿で屈託なく笑う、我らが王、ライル様だった。
一瞬の、静寂。
そして、次の瞬間。私たち女性陣の、悲鳴とも怒声ともつかぬ叫び声が、ハーグの城の大浴場に、こだました。
「なっ……!」「まあ!」「きゃあっ!」
「ライル! あんたは、あっちでしょーが!」
「ここは女湯です! この、破廉恥漢!」
アシュレイ殿と私が、手にした桶を、思いきり、王の頭めがけて投げつけたのは、言うまでもない。
ヴィンターグリュン王国は、今日も、どこまでも平和だった。
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