第116話 ライル、パパ友と公衆浴場へ行く
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴166年 8月10日 昼 快晴』
夏の強い日差しが照りつける、ハーグの城下の公園。僕が最近、一番心安らぐ場所でもある『パパ友サークル』では、今日も父親たちの、平和な会話が繰り広げられていた。
「いやあ、うちの息子も、ようやく歩けるようになったのはいいんだが、今度はどこへ行くにも目が離せなくてよぉ」
「わかるぜ! うちの娘なんて、この前、鳩を捕まえるって言って、噴水に飛び込んじまったんだ!」
皆で育児の苦労を笑い飛ばし、子供たちの成長を喜び合う。ここでは、僕はヴィンターグリュン侯爵ではない。ただの、子を持つ父親『ライル』だ。
そんな中、先日娘さんの病気が治ったマルクさんが、興奮した様子で口火を切った。
「なあ、みんな聞いたか? 西通りに、新しく『ハーグの湯』っていう、でっかいお風呂屋ができたらしいぜ! なんでも、一日働いた後の、あの広い湯船は、天国みてえだって話だ!」
その言葉に、父親たちの目が、きらりと輝く。
「へえ、そりゃあいいな! だが、家族みんなで行くとなると、ちいと懐が寂しくなるなあ」
一人がそう呟くと、皆、うんうんと頷いている。
その様子を見て、僕は、つい、見栄を張りたくなってしまった。王様としてではなく、友達に、良いところを見せたいという、純粋な気持ちから。
「そっか! じゃあさ、今度の休み、僕がみんなを招待するよ!」
僕の言葉に、パパ友たちは「おおっ!」「本当か、ライルさん!?」と、大喜びだった。
数日後。僕は、息子のレオとフェリクスを連れ、パパ友たちとその子供たちを引き連れて、件の公衆浴場へとやってきた。もちろん、顔がばれないように、いつものフード付きマントを深くかぶっている。
木の香りがする広々とした脱衣所を抜け、湯気が立ち込める浴場へ足を踏み入れた瞬間、僕も、子供たちも、思わず歓声を上げていた。
「うわーっ、ひろーい!」
「おふねみたいだー!」
中央には、大人十人が足を伸ばしても、まだ余裕がありそうな巨大な湯船。僕たちは、我先にとそのお湯に体を沈めた。
「はあぁぁ……。極楽、極楽……」
手足を思いっきり伸ばせる開放感。体の芯までじんわりと温まっていく心地よさ。日頃の疲れが、全部溶けていくようだった。
湯船に浸かりながら、他の客たちの会話が、自然と耳に入ってくる。
「しかし、最近、本当に暮らしが楽になったよなあ」
「ああ。新しい街道ができて、隣町までの荷運びが、半分以下の時間で済むようになったからな。これも全部、ライル様のおかげだ」
「税金は安くはないが、払った分が、こうして俺たちの生活に返ってきてるって実感できるのが、ありがてえよな」
(……そっかあ。みんな、そう思ってくれてるんだ)
自分の知らないところで、僕のやってきたことが、こうして民の生活を豊かにしている。その事実が、なんだか無性に嬉しくて、僕は湯船の中で、一人、にやけてしまった。
しばらくして、僕たちは、パパ友たちに誘われるがまま、奥にあるという『蒸し風呂』に初挑戦した。灼熱の蒸気に、僕は五秒と耐えられず、すぐに外へと逃げ出してしまったけれど。
そして、湯上がりのお楽しみ。
番台で売られていた、キンキンに冷えた瓶詰めのフルーツ牛乳を、皆で一気に呷る。
「ぷはーっ! うめえええっ!」
「風呂上がりのこれは、たまんねえなあ!」
腰に手を当てて、目を細める父親たち。その周りで、同じように小さな瓶を抱えて、幸せそうに口の周りを白くしている、子供たち。
その、あまりに平和で、幸せな光景を眺めながら、僕は、心の底から、ぽつりと呟いていた。
「……もっと、みんなに、毎日こんなに気持ちいいお風呂に、入ってもらいたいなあ……」
数日後。城の執務室。
僕の前に、交易担当のビアンカが、目を爛々と輝かせながら、一枚の、やけに分厚い計画書を差し出した。
「陛下! 先日の公衆浴場への極秘視察、誠にお見事でした! 民の生の声を直接お聞きになり、そこから新たな民衆娯楽政策を立案されるとは! その、あまりに鋭いご慧眼、このビアンカ、感動いたしました!」
「……え?」
「つきましては、陛下のご意向を完璧に汲み取り、『ヴィンターグリュン王国・全国公衆浴場整備計画』を策定いたしました! 初期投資は、新大陸の黄金を一部換金し……」
その、あまりに壮大で、完璧な計画書を前に、僕の絶叫が、城中に響き渡った。
「えええええええええっ!? 僕はただ、みんなとおっきいお風呂に入りたかっただけなんだけどぉぉぉっ!」
僕の、ほんのささやかな休日は、またしても、僕の意図とは全く関係なく、国を豊かにする、大きな政策へと変わってしまったのだった。
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