第112話 戦、再び
【ライル視点】
『アヴァロン帝国歴165年 12月1日 昼 雪』
その日、ハーグの城に、遠い砂漠の国からの風が、戦乱の匂いを運んできた。
サラム王国の新王ジャファルより、我がヴィンターグリュン王国へ、正式な『宣戦布告』の書状が届けられたのだ。
(……やっぱり、こうなったか)
玉座の間で、使者が読み上げるその内容を、僕は静かに聞いていた。
曰く、「慈悲深き兄王の想いを踏みにじり、我が妹姫を不当に拘束し続ける、北の蛮族の非道を、神に代わって裁くものである」と。
その、あまりに身勝手で、偽りに満ちた大義名分に、腸が煮え繰り返るような怒りを覚えた。だが、同時に、僕の心は不思議なほど冷静だった。
もう、後戻りはできない。戦うしかないのだ、と。
その日の午後、城で一番大きな会議室に、僕の国の頭脳が、全て集結していた。
テーブルに広げられた巨大な地図を、皆が厳しい表情で見つめている。
「サラム王国までの道筋は、二つ。海路と、陸路です」
騎士団長のヴァレリアが、冷静に、二つのルートを杖で指し示した。
「海路を行く場合、前回のようにフィオラヴァンテの港から船団を出すことになります。ですが、新大陸への遠征とは違い、今回は敵も我らの来訪を待ち構えているはず。補給線の維持も、極めて困難と言わざるを得ません」
闇ギルドを束ねるユーディルも、静かに頷く。
「海の上は、我らの力が及ばぬ場所。敵に与する海賊や、あるいはサラム王国艦隊に襲われれば、ひとたまりもありますまい」
海路は、あまりに危険すぎる。では、陸路はどうか。
僕は、地図の上を、指でなぞった。ヴィンターグリュンから、サラム王国まで。その間には、アヴァロン帝国の広大な領土が、横たわっている。
「陸路を行くには、帝国領を横断する必要があります。特に、この東方……かつての、ダリウス公爵領を通過しなければ、サラムへは辿り着けません」
ヴァレリアの言葉に、その場にいた誰もが、難しい顔で黙り込んだ。
ダリウス公爵領。僕たちが、先の動乱で打ち破った、かつての敵地。そこに住まう貴族や民が、僕たちに遺恨を抱いていたとしても、なんの不思議もない。
「無謀ですわ、陛下。彼らが、我らの軍の通行を、易々と許可するはずがありません」
交易担当のビアンカが、現実的な意見を述べる。
そうだ、その通りだ。普通に考えれば、絶対に無理な話だ。
だが……。
(僕には……僕たちには、もう、この道しか残されていない)
僕は、顔を上げた。皆の、不安そうな顔を見回す。
そして、決断した。
「……使者を、送ろう。ダリウス公爵家に」
「ライル様!?」
ヴァレリアが、驚きの声を上げる。だが、僕は、静かに首を横に振った。
「僕が、直接、手紙を書く。今の当主である、アルブレヒト君と、その後見人である、老執事のコンラート殿に宛てて」
僕は、その日のうちに、自室にこもった。
真っ白な紙を前に、ペンを握る。
何を、書けばいいだろう。難しい外交辞令や、脅し文句は、僕らしくない。
僕は、ただ、正直な言葉を綴ることにした。
遠い砂漠の国で、僕の家族の命が狙われていること。その国を治める王が、身勝手な理由で、僕たちに戦を仕掛けてきたこと。そして、その戦いを終わらせるために、どうしても、彼らの土地を通らなければならないこと。
『――君たちの父親を、僕が殺した。その事実は、変わらない。僕を憎んでいるかもしれない。それでも、僕は、君たちに、お願いするしかないんだ』
書き終えた手紙を、僕は、静かに折りたたんだ。
この、一枚の紙切れが、僕たちの、そして、この国の運命を、決めることになる。
(どうか、届いてくれ……)
僕は、窓の外で降りしきる雪を眺めながら、ただ、そう、祈ることしかできなかった。
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