第101話 帝都の根回し 二人の侯爵と皇帝
【ヴェネディクト侯爵視点】
『アヴァロン帝国歴164年 11月25日 昼 曇天』
帝都フェルグラントにある私の屋敷は、窓の外の鉛色の空とは裏腹に、暖炉の火が静かに燃え、落ち着いた空気に満ちていた。
私の目の前には、帝国で最も無骨で、そして最も信頼の置ける男……ランベール侯爵が、腕を組んで座っている。
「して、ヴェネディクト侯。わざわざ私を呼びつけた、その話とは、一体何かな」
彼の低い声が、静かな室内に響く。私は、最高級の葡萄酒が注がれたグラスを、そっと彼の前に押しやった。
「ランベール侯。まずは、これを見ていただきたい」
私が差し出したのは、我が領地の最新の会計報告書だ。彼の鷲のような鋭い目が、その数字の上を滑る。やがて、その眉間に、深い皺が刻まれた。
「……これは、ひどいな。我が領地も、似たようなものだ。あの、北の紙のせいか」
「左様。もはや、時代の流れは誰にも止められません。羊皮紙にしがみついていては、我らとて、いずれ溺れ死ぬだけです」
私は、ランベール侯の目を、まっすぐに見つめた。
「正面から戦うは愚策。競争して新たな工場を作るのも、彼の天才たちの前では無意味。ならば……我らが取るべき道は、一つしかございません」
「……ほう?」
「支配される側ではなく、支配する側に回るのです。我らの資本を以て、かの『クララ製紙』の株を買い、経営の主導権を、我らが握るのです」
私の言葉に、ランベール侯は、ふんと鼻を鳴らした。
「商人の考えそうなことよ。だが、その策、確証はあるのか? あの田舎王が、易々と我らに主導権を渡すとは思えんが」
「だからこそ、貴殿の力が必要なのです」
私は、身を乗り出して、声を潜めた。
「貴殿は、ライル侯爵の義父にあたる。その繋がりは、金では買えぬ信頼となる。そして、この計画には、皇帝陛下も巻き込みます。『帝国の未来を盤石にするための、大事業である』と、な」
ランベール侯は、しばらく黙って、暖炉の炎を見つめていた。やがて、彼は、にやりと、戦士のように好戦的な笑みを浮かべた。
「……面白い。その話、乗った」
私とランベール侯は、その日のうちに、皇帝陛下への謁見を求めた。
通されたのは、陛下の私室である、あの奇妙な『バーカウンター』のあるサロン。陛下は、我らの顔を見るなり、実に楽しそうに、グラスを二つ用意し始めた。
「おお、二人して、何の相談だ? まあ、まずは一杯やれ」
我らは、陛下が作ったカクテルを一口いただくと、二人で練り上げた計画を、陛下へとご説明申し上げた。私が経済的な利益を、ランベール侯が軍事的な安定を、それぞれ強調する。
我らの話を聞き終えた陛下は、手にしていたシェイカーを、ことり、とカウンターに置いた。そして、実に、実に楽しげな、悪魔のような笑みを浮かべる。
「ククク……。己の危機を、『帝国の未来への投資』とすり替え、朕を担ぎ出そうとは。実に、商人らしい悪知恵よ、ヴェネディクト」
陛下の、全てを見透かした言葉。私は、動じることなく、静かに頭を下げた。
「……陛下の御慧眼、恐れ入ります」
陛下は、満足げに頷くと、その視線をランベール侯へと移した。
「そして、それにまんまと乗るか、ランベール。貴様も、存外、悪党よな。面白い!」
ランベール侯もまた、臆することなく、不敵な笑みをかすかに浮かべ、応えた。
「全ては、帝国の安寧のため。陛下のお楽しみの一助となれば、幸いにございます」
その返答に、陛下は、腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは! よかろう! その遊戯、朕も一枚噛ませてもらおう! 三人で、あの田舎王の城に乗り込み、奴の新しい玩具を、根こそぎいただいてやろうではないか!」
こうして、帝国の未来を左右する、奇妙な投資団が、ここに結成された。
全ては、私の計画通り。
(待っておれ、ライル・フォン・ハーグ。貴殿が作り出した新しい時代の波、この私、ヴェネディクトが、見事に乗りこなしてみせよう)
私は、グラスに残った甘いカクテルを、勝利の美酒として、静かに飲み干した。
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