第100話 製紙会社ができる? こうしてはおれん!
【ヴェネディクト侯爵視点】
『アヴァロン帝国歴164年 11月20日 昼 冷たい雨』
私の西方の領地にある執務室の窓を、冷たい秋の雨が叩いていた。だが、今の私の心に比べれば、この空模様など、春の陽だまりのようなものだ。
机の上には、領内の各地から集められた、惨憺たる会計報告書が、まるで墓標のように積み上がっている。
「……なんだ、これは」
指先でなぞった羊皮紙の数字は、我が目を疑うほどに、絶望的なものだった。
牧羊ギルドからの収益、前年比、八割減。
伝統ある皮なめし工房、倒産寸前。
そして、何よりも、我がヴェネディクト家が古くから多額の出資をしてきた、由緒正しき『帝国羊皮紙組合』からの収益……ゼロ。
(あの、北の田舎王……! 豚肉、珈琲、砂糖、カクテル……。次から次へと、飽きもせず……!)
全ての元凶は、わかっている。
ライル侯爵が手に入れた港町アイゼンポルト。あの地で、新たに稼働を始めたという『製紙工場』。そこから生み出される、雪のように白く、驚くほど安い『紙』なるものが、今、この帝国の経済を、根底から破壊し尽くそうとしていた。
(戦う? 愚の骨頂だ。あの青い亡霊どもと正面から戦うなど、破滅を早めるだけ。競争して製紙工場を作る? それも違う。あの天才アシュレイと、新たに現れたクララとかいう小娘の技術力に、今から追いつけるはずがない……)
では、どうする。このまま、指をくわえて、時代の奔流に飲み込まれていくのを待つだけか?
断じて、否。
(……待てよ。戦うのでも、競うのでもない。ならば……)
私の脳裏に、一つの、あまりに大胆な考えが、稲妻のように閃いた。
(……仲間になればいいのではないか?)
そうだ。敵の懐に、自ら飛び込むのだ。生産を支配できぬのなら、その富の流れを、内側から支配してしまえばいい。
(あの会社の名前は、確か『クララ製紙』と言ったか。あの会社に、我々が出資するのだ。株主となり、利益の分配にあずかる。そして、経営そのものを、金の力で掌握する!)
だが、問題は資金だ。あの抜け目のないビアンカという女が提示する株価は、きっと天文学的な数字になるだろう。私一人の財力では、経営に影響を及ぼせるほどの株を、買い占めることは難しい。
(……そうだ。あの御方と、あの男を巻き込むのだ!)
私は、すぐに帝都へ向かうべく、席を立った。
まずは、ランベール侯爵を説き伏せる。「帝国の未来への投資」という大義名分を掲げ、彼の軍事的な影響力と、潤沢な資金を、この計画に取り込む。
そして、二人で、皇帝陛下の御前へ。陛下は、必ずや、この面白い遊戯に乗ってこられるはずだ。
三家の財力を合わせれば、あの北の王国の心臓部を、我らが握ることも、決して夢ではあるまい!
「こうしてはおれん!」
私は、すぐさま最速の馬車を準備させた。
側近が、畏敬の念を込めて尋ねる。
「して、閣下。どちらへ?」
私は、窓の外、遠い北の空を睨みつけ、不敵に笑った。
「まずは帝都へ。それから……ハーグよ。あの、恐るべき田舎王に、極上の商談を持ちかけに行くのだ」
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