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第1話 投げたら刺さった

【雑兵の青年ライル視点】


『アヴァロン帝国歴156年 6月16日 昼 曇天』


 地鳴りのような太鼓の音が、心臓を直接叩いていた。泥と血にまみれた大地を踏みしめ、僕、ライルはただ槍を握りしめる。鉄のぶつかる甲高い音、肉を断つ鈍い音、そして男たちの断末魔の叫び。それが、僕のいる世界のすべてだった。


 僕が所属するアヴァロン帝国軍は、明らかに劣勢だった。屈強な北部連合の兵士たちの前に、味方が次々と紙切れのように倒れていく。指揮官の怒声も、もはや悲鳴にしか聞こえない。


(ああ……もう、駄目だ……)


 故郷の村で、ただ畑を耕していただけの僕が、どうしてこんな場所にいるのだろう。死がすぐそこまで迫っている。そんな絶望が胸を締め付けた、その時だった。


 後方の小高い丘の上、きらびやかな皇帝陛下の陣営から、伝令兵の絶叫が戦場に響き渡った。


「聞けい! 全軍に告ぐ! 帝国の栄光にかけて、皇帝陛下よりの勅令である! 敵将、『鉄猪(てっちょ)』グルンワルドを討ち取った者には、その武勇を讃え、辺境の領地と『領主』の地位を与えるものとする!」


 その声は、狂乱の戦場に一瞬だけ、奇妙な静寂をもたらした。領主、だと? 農奴同然の僕たち雑兵が、貴族に? ありえない。誰もがそう思っただろう。だが、死の淵にいる者にとって、その言葉はあまりにも甘美な響きを持っていた。


 戦況は、そんな甘い夢を許してはくれなかった。敵の猛攻はさらに激しさを増し、僕のすぐ隣で戦っていた同郷の男が、巨大な斧に頭をかち割られて崩れ落ちた。返り血が、僕の頬を温かく濡らす。


(もう、どうにでもなれ……!)


 恐怖と絶望で、足が震える。目の前には、敵兵の壁。その向こう、遥か遠くに、一際大きな人影が馬上で暴れ回っているのが見えた。あれが『鉄猪』グルンワルド。味方をゴミのように薙ぎ払う、死神そのものだ。


 その時、ふと足元に転がっている一本の投槍が目に入った。穂先が少し欠けている、誰かが捨てたものだろう。


(どうせここで死ぬ運命なら……)


 僕は半ば無意識に、その投槍を拾い上げた。重くはないが、今の僕にはずしりと未来の無さが詰まっているように感じられた。


(せめて一矢報いて……いや、一本投げて死んでやる!)


 敵将までの距離は、百歩以上あるだろうか。当たるはずがない。届きもしないだろう。だが、もうどうでもよかった。


「うおおおおっ!」


 意味のない雄叫びを上げ、僕は渾身の力で、天に向かって投槍を放った。力の限り、ただ、前へ。


 僕が投げた槍は、力なく、山なりの軌道を描いて空を舞う。まるで、子供が投げた小石のように、それは頼りなく落ちていく……はずだった。


 奇跡は、本当に、本当に些細な偶然から生まれる。


 敵将グルンワルドが乗っていた黒馬が、積み重なった死体に足を取られ、大きく体勢を崩したのだ。馬上でのけぞったグルンワルドの巨体。その兜と鎧の隙間、剥き出しになった首筋が、一瞬だけ天を仰いだ。


 そこに、僕の槍が、吸い込まれるようにして突き刺さった。


 時が、止まった。


 あれほど戦場を支配していた『鉄猪』グルンワルドが、声もなく馬から崩れ落ちる。その光景に、敵も味方も、誰もが動きを止めた。敵兵たちの顔から血の気が引き、やがて誰からともなく武器を捨てて逃げ惑う。あれほど強固だった敵の戦線は、嘘のように崩壊していった。


 僕は、ただ呆然と立ち尽くしていた。何が起こったのか、理解が追いつかない。


「おい、お前か!?」


 突然、屈強な近衛兵に腕を掴まれた。


「今、槍を投げたのは、お前だな!」


 抵抗する間もなく、僕は陣の後方、ユリアン皇帝陛下の御前へと引きずられていった。きらびやかな天幕の前、地面に叩きつけられるようにして土下座させられる。震えが止まらない。顔を上げることもできず、ただ死を待った。


 やがて、頭上から威厳に満ちた、しかしどこか面白がるような声が降ってきた。


「……顔を上げよ。見事だ、雑兵。宣言通り、貴様を『領主』とする」


「……えっ、俺が!?」


 あの時たまたま拾った投槍……それが僕の運命を大きく変えるとは……。


 戦場を覆っていた雲の隙間から、一筋の陽光がさしていた。


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