弐拾
こうしてずっと、共に歩むのだと思っていた。
城内にて諸外国の勉強を終え、侍女を伴って夕日差す廊下を歩いて行く。
私はまだ14の身で、学ぶべきことが沢山のことがある。
いずれ王妃となる身故に、こういった勉学を欠かしてはいけない。
「ソフィー!」
「なんでしょうか、フェリックス殿下」
床を大きく踏み締める音が聞こえてきて、誰かがこちらに駆け寄ってくるのが分かった。
音のする方向に首を向けると、現れたのは綺麗な金髪を揺らし、愉快そうな赤い瞳で私を見つめている少年。
彼はフェリックス殿下で、私の婚約者。
そして、王位を継ぐ人間だ。
「やあやあレディ、ご機嫌麗しゅう。お疲れだったら是非、オレと一緒に飲みに行きませんかか?」
「なんですか、その口調」
「女の子に声かけてる兵の物真似」
「似合っていませんよ」
ため息をつくと、フェリックスは口を尖らせながらこう言ってきた。
「え〜? オレもそうやって女の子に声かけてみたいんだけどな〜」
「ご自身の立場をお考えください」
「分かってるって。オレが声をかけるのはソフィーだけなんだから」
心配すんなってと言いながら、私の肩に手を置いてくる。
毎回毎回そうやって『私だけ』なんて言ってくるものだから、多少慣れはしても胸が高鳴るのは抑えられなかった。
本来フェリックスは女性という存在が大好きで、隙あらば声をかけたいと思っている人だ。
でも今は自分は王となる人間であると理解をし、こうして声をかけるのは私だけに留めるようにしてくれている。
私以外に声をかけるのがどれだけ面倒で危ない結果を生むのか、身をもって理解した出来事があったからだ。
自業自得の結果であるし、それでフェリックスは猛反省したので私からは何も言わないことにしている。
「でさでさ、ソフィー。オレと一緒に行かない?」
「またですか……。いい加減にしないと閉じ込められますよ」
「オレの行動は誰にも制限できな〜い」
ふんぞり返って胸を張るフェリックスに、ため息をつきながらも期待している自分がいた。
どうやっても止められないのでいつものように侍女には帰ってもらい、私はフェリックスの後をついていく。
小さな物置部屋へとたどり着いたら、フェリックスを置いてその中へと入り着替えをする。
そうして私は『フェリックス殿下に振り回されるお付きの少年』、ソールになった。
「よっし、行くぞ〜」
「分かってますから、落ち着いて下さい」
腕を回してやる気に満ち溢れているフェリックスを宥めながら、街に繰り出す為の抜け道へ歩いていく。
こういった関係になった経緯を、思い出しながら。
◆
私は剣を振っているのが好きだ。戦うのが好きだ。
女なのにとか、高位貴族の娘なのにとか、沢山の事を言われたけれど止められずにいた。
けれど第一王子の婚約者となった以上はお淑やかな女性でいなければならない。
結局、今まで振るっていた剣をやめるしかなくなった。
幸い領地で密かに振るっていただけなので、誰にも私がお転婆だったことを知らない。
だから私が我慢をすれば良かった。
それで済んだ話だった。
なのに私は、どうしても耐えがたい衝動に駆られていたのだ。
城内では様々な兵士が行き交い、精巧な作りの剣や鎧が配備されている。
流石王都と言っていいのか、私の領地の兵士よりも一段と洗練したものだった。
──触れてみたい。振るってみたい。
私には、まるで剣そのものから魅了する波動が出ていたかのように見えてた。
その波動に囚われ、本日の勉学が終わった後に侍女へトイレへ行くと言って、そこから抜け出していったのだ。
今の時間帯には訓練場が使われていないのを知っていたので、私は見張りの兵士に見つからないことを気をつけながら進んでいく。
そうして慎重に向かった結果、大きな龍の石像が全体を見渡している訓練広場まで辿り着いた。
端の壁に立てかけて置いてある剣を見つけ、鼓動が早くなっていくのを感じる。
思わず震える腕を抑えながら、剣へと手を伸ばしたその瞬間。
「ソフィーだ、何をしてるの?」
「え? ……でっ、殿下こそどうしてこちらに!?」
心底驚きながら振り返ると、知らないうちにいたフェリックス殿下が目を細くして笑っていた。
殿下とは初めてお会いしてからは、ある程度の会話しかしたことがない。
にも拘わらず殿下は楽しそうにこちらへと歩いてくる。
「それ剣? 好きなの?」
「……あ、あの、そ、そのっ」
血の気が引いて頭が回らなくなっていると、殿下が剣を手に取って眺め始めた。
「当然だけど、悪くない剣だよね。王家ゆかりの宝剣がもっと凄いけどさ〜」
「そっ、そうなの、ですね」
「うん。どう? 見てみない?」
先程まで底にいた気持ちが急に上昇してきた。
宝剣だなんてそうそう見ることができるものではない。
首を縦に振ろうとした瞬間、我に返った。
私は一体、何をしているのだろう。今なら迷ったとでも言えば誤魔化せるはずだ、と。
宝剣への気持ちを投げ捨てて、慌てて首を横に振った。
「い、いえ。私は、迷ってここまで来ただけですので……」
「いいからいいから〜。ほら、行こう!」
殿下は剣を置き、私の手を取って歩き出す。
そうして宝剣のある場所へと向かったはいいものの、結果としては殿下と私を探していた兵に見つかってしまった。
「あっ、殿下! いた……って、ああ! ソフィー様を連れだしたのは殿下ですね!?」
「あ~、バレちゃったか~。そうだよ、オレがソフィーを連れだしたよ」
「えっ!? い、いえ、違います。これは私が自分で抜け出したんです……!」
「庇わなくていいんですよ、ソフィー様。殿下はいつもこうなんですから……」
「いえ! 本当に……!」
どれだけ自分で抜け出したと言っても、殿下が私を連れだしたことになってしまった。
最後には焦った様子の侍女が迎えに来て、殿下に何も言えずにその日は別れてしまった。
「やぁソフィー。今日こそ宝剣を見に行こう!」
今日の座学を終えて先生が部屋から退出し扉が閉まると、窓から殿下が入ってきた。
私は慌てて殿下へ頭を下げ、言うべきことを伝える。
「申し訳ございません、フェリックス殿下。私が自分で抜け出したのに殿下の責任になってしまいました」
「いいよいいよ~、いつものことだし。それよりさっさと行こう! 今度は……、秘密の通路を使って!」
「秘密の通路……?」
屋敷にも緊急時用の通路がある。
それと同じものがあるのだろうと思いつつも、私は慌てて首を振った。
「ダメです! まだ私が知るべき場所ではありません!」
「オレしか使えないヤツだから大丈夫大丈夫!」
殿下しか使えない?
よく分からない理屈に首を傾げながらも、殿下が引く様子を見せないので付いていくしかなくなった。
「こっちからのが近いんだよね〜」
窓から出て、巡回する兵士の視線を縫って歩いていき。
城と美術館を隔てている石壁にまでくると、殿下は少し欠けている部分に指を引っ掛けて手前に引く。
すると綺麗に一部分だけ壁が取れて、人が通れるほどの穴が出来上がった。
「えっ、ええっ!?」
「秘密ね、秘密。ああ、でもこれはまた別のやつだから」
楽しみにしててよ〜と言いながら、殿下は穴を通っていく。
私は周囲を見渡してから、恐る恐る穴を通っていった。
樹々の間を抜けて辿り着いた先は、古い大きな龍の石像がある場所だった。
あまりこの周辺までは綺麗にされていないらしく、石像は汚れ切っている。
殿下がここで止まった以上はここに秘密の通路があるはずなのに、見たところ入口もなにも見当たらない。
「殿下、本当にここがそうなんですか……?」
「うん。そうだよ〜。見てて見てて」
殿下は手のひらを石像に当てて、何か力を送るみたいな仕草を見せる。
そうして数秒後、白い光が石像から出てきたかと思ったら、私と殿下は薄暗く冷たい空間に移動をしていた。
「え……?」
辺りは暗くて見にくいけれど、辛うじて石造りの通路であることが分かった。
空気感から地下であることがなんとなく察せられる。
「驚いた? 多分これ、オレしか使えないんだよね〜。ちなみに石像は沢山あるけど、全部の石像で出来るって訳じゃないよ〜」
殿下は炎の魔術を使って灯りを出すと、私に手を差し出してくる。
私は状況を理解できていないまま差し出された手を握り返した。
……こんな魔術、知らない。
一瞬で移動する魔術なんて存在しておらず、日夜研究されているものだ。
だからこそ信じられなくて呆然と歩いていると、殿下が声をかけてくる。
「もうそろそろ着くよ」
「あ、はい……」
殿下はあちらこちらに伸びている道を迷うことなく進んでいく。
やがて行き着いた場所は、どう見ても行き止まりの場所だった。
けれど殿下は気にすることなく壁まで近寄ると、赤い宝石のようなものが埋まっている部分に手のひらを当てる。
するとまた白い光が視界を覆って、咄嗟に私が目を閉じている間に移動が完了していた。
「ついたよー」
目を何度も瞬かせて慣らした先にあった光景は、どう見ても沢山の財宝と呼べる物が詰められている部屋──宝物庫だった。
周りを見渡すと、後ろには美術館近くで見た龍の石像が置いてある。
想像もしていなかった出来事に混乱したままの私を、殿下は引っ張ってある場所へと導いた。
「ほら見て、これ! すごいでしょ〜。かっこいいよね!?」
「えっと、その……。は、はい」
殿下が指差した方向には、台座に突き刺さった状態の宝剣が存在していた。
けれど……、けれども。私が想像していた宝剣とは違いすぎる。
私は国に役立った凄い性能の剣を宝としていたと思っていたのに、本当に『宝』としての価値が高い、宝石などを飾り立てた剣だった。
勘違いしていたのは私なので殿下に文句を言うつもりはない。
「ソフィーって剣好きでしょ? だから見せてあげようって思ってさ〜。でもこれは実用的じゃないから違ったかー」
「け、剣が好きだとは言っていないです! そ、それに、私と殿下は婚約を結んだだけの状態ですよ!? そんな私にこのような不思議な力を教えていいんですか……!?」
「ああっ、ちょっと声が大きいよ〜。抑えて抑えて」
部屋の外には宝物庫を警備している兵士がいるはずで、いるのが発覚したら大問題になる。
私は口を手で塞いで、ゆっくりと殿下に頷きを返した。
「ありがとー。オレはさ、剣が好きな子の方が嬉しいよ。これからも沢山、オレは剣を握る事になる。何が起こるか分からないし、そんな時は戦える子の方がいいと思うんだよね」
「でも、殿下。私は女です。貞淑な女性が王妃になるものです」
「う〜ん、なんで『そうでないといけない』って決めつけてるの? 歴代の中にも戦える方はいたよ」
「それは、そうですが……」
殿下の仰る通り、戦いに参加された王妃はいらっしゃる。
けれど自分もしていいとは思えずに澱んだ返事をしてしまった。
殿下は気にする事なく、柔らかな態度のまま言葉を続ける。
「オレはさ〜、キラキラした顔で剣を見るソフィーが一番好きだなって思ったよ。取り繕おうと頑張る君も可愛いけどね。それに……。君がオレの奥さんになるんだから、オレがこういう力を持ってるのは知っておいた方がいいと思って」
「……なっ、な、何をっ!」
大声を出しそうになった口を手のひらで塞いで抑える。
同時に顔が熱くなっていることまで分かってしまった。
「この力のことを教えたのはソフィーだけだよ。これからも、知っているのはソフィーだけだ。さっきの空間は地下通路でね、城に繋がっているんだ。どこから繋がってるかは後で教えるね。何かあった時地下に逃げ込むから、探しにきてよ〜」
「……殿下! 縁起でもないことを仰らないでください!」
口元に手を当てたまま主張をすると、殿下はふやけた笑いをしながら私の目を見て言ってくる。
「フェリックス」
「……はい?」
「オレは殿下って名前じゃなくってフェリックスだよ〜。せめて2人っきりの時くらいは名前で呼んでほしいな〜。オレの奥さん?」
「え……。いえ、その……」
「ほ〜ら〜」
「ふ、ふぇ、フェリックス」
「よくできました!」
そうやって私を褒める殿下の──フェリックスの屈託のない笑顔を私は護りたいのだと、心の底から思ったのだ。
だから、だから──。
◆
「フェリックスが、行方不明……?」
エディング陛下が御病気になり、フェリックスの戴冠式が決まった頃。
日頃からフェリックスのことを良く思っていないカメロン宰相より要請を受け、慰問へ行った矢先のことだった。
フェリックス一行が大型魔物に襲われ、その戦いの最中でフェリックスが行方不明になったという一方が入ってくる。
まさか、そんなはずは。
絶対にフェリックスは生きて帰ってくる。
「ごめんね〜」と笑いながら帰ってくるのだと、ずっとそう思っていた。
けれど何日経ってもフェリックスは見つからず。
何十日も経った頃には、殆どの者が生存を諦めていた。
毎日部屋に籠り、小さな龍の像に向かってフェリックスの生存を祈り続けていたある日のことだった。
本当の弟のように可愛がっていたマクシミリアン殿下──マックスが、遠慮がちに私の部屋を訪れてくる。
「ソフィー義姉さん、今いいかな?」
「マックス……」
私と同じように目の下に隈を作り、顔色を悪くしたマックスは苦笑いをしながら私の近くに寄ってくる。
一度口を開いてから固まったマックスは、目線を下にしてから言葉を吐いた。
「このまま兄さんが見つからなかったら、僕が王位を継ぐことになる。状況的にいつまでも待つことはできない。……ごめん」
「マックスは、何も悪くないわ。本当に、何も……」
「……そして、君の婚約者も僕になるんだ」
その言葉に、私は冷水を浴びせられた気分になった。
理屈は分かっていても、受け入れられるかどうかは別だ。
自分で言ったようにマックスは悪くない。
全てをマックスが決めている訳ではないし、御病気ながらに陛下がご判断されたはずだ。
だから飲み込まなければいけない。
なのに、なのに……。
「怒っていいんだよ、義姉さん……」
「違う、違うのよ、私、私……!」
上手く言葉にできなくて、私はただ泣くことしかできなかった。
やがてマックスが王位を継ぐことが決定し、私はマックスの婚約者となった。
フェリックスに合わせた赤いドレスは着なくなり、マックスに合わせたピンクのドレスを着るようになる。
そうして時が過ぎていき、戴冠式まで1週間ほど前になった頃。
私は決別の意味としてしばらく着ていなかった赤いドレスを着用し、あの龍の像の元へと向かおうとしていた。
道中、庭で他の貴族から見つかり、ピンクのドレスではなく赤いドレスであることを揶揄され激昂してしまう。
けれどわざわざ理由を言うつもりもなく、強引に切り上げて像の元へと向かっていった。
古ぼけた石像まで辿り着くと、私はかつてのフェリックスが触れていた箇所と同じ場所に手のひらを置く。
あの時と同じように光ることはなく、ただ静かに時が過ぎていくだけだった。
「……フェリックス」
もしかしたら地下にいないだろうか、なんてありもしない考えが思い浮かんだ。
不思議な力で地下に行ったのはあの時だけで、あとは地下への入口を教えられただけで終わっている。
他の龍の石像が力を使える物なのかもしらない。
それに、地下に行ったとしても迷うのがオチだ。
意味もないことを考えながら、私は正直な気持ちを石像に向かって吐露をした。
「フェリックス。私は貴方のことが、……好き」
面と向かって言ったことはなかった。
それはフェリックスも同じで、互いに言葉にすることはなかった。
けれど心は確かに通じ合っていたと、信じていた。
もう、確かめる術はないけれど。
自分に嘲笑をしながら、私は城内へと戻って行ったのだった。
そんな私に転機が現れたのは、カテリーネ様と初めてお会いした時だ。
私を見つめ、地下にいる自分を探してほしいという幽霊を見たと聞いて、私は夜中に地下へ忍び込もうと決意をした。
場内の一画にあるとある扉の先に、隠された形で地下への入り口が存在する。
剣を持ち、動きやすい服装に着替えて密やかに向かったところ、やたらと警備兵が彷徨いていることに気がついた。
普段近寄らない場所なので気が付かなかったけれど、こんなに警備を厳重にするような場所ではない。
地下への入り口があるという点ではそうなのだけれど、それ以外に重要なものはない為余計に怪しまれるはずだ。
しかも、警備をしている兵士達はカメロン宰相の派閥に属している者達に見える。
私は早々に地下へ侵入することを諦めて、マックスに頼ることにした。
マックスならば、地下へと向かうことが出来るかもしれない……。
そう思って忙しい合間に一生のお願いだと言って美術館の石像まで来てもらったけれど、マックスにその力はなかった。
このままではまずいと、何かないかと城内を歩き回っていると、壁の角の先である会話が聞こえた。
「──で、どーする? 早いところ地下から運び出すんだろ?」
「後2日くらいで終わるってさ。よく分からんけど、力が吸い終わったらどーこー言ってたわ」
「なんだそれ?」
「さあね」
地下、力が吸い終わったら。
まさか、まさかまさかまさか!
最悪の筋書きが頭の中で構成されていく。
気が付かれないようにその場から退散をし、城内を早歩きしていった。
証拠も何もない、考えが合っているかも分からない。
それでも、それでもフェリックスがいるならば。
絶望的な状況に泣きそうになりながらも、とにかく足を動かしていく。
絶対にそのまま実行させてはいけないという考えに従い、私は縋る思いで幽霊を見たというカテリーネ様の下へと向かったのだった。




