八話
僕は、グチャグチャになった死体を見たことがある。
初めて死体を見た時は、吐くことしかできなかった。
それから火の海となった街で焼け死んでいく人を、戦いで体の一部が吹き飛んだ人を、魔法で体が溶けていく人を、道端で転がってゴミのようになっている人を、この戦争が始まってから沢山見ることになり、僕は慣れてしまって吐くこともしなくなる。
けれど後日、同じ時間を過ごしたり一緒に食事をした人が死んでいるのを僕は見つけてしまった。
知らない人の死体よりも、知っている人が亡くなっている姿を見るのが一番キツいのを思い知り、また僕は吐いた。
そして今。
僕の目の前には、いつも輝いていた髪の毛や白かった衣服を真っ赤な血で染めて倒れている、好きな人がいた。
「リーネ姉さん、」
不思議と吐き気はしない。
自分でもよく分からない感情が、僕を支配している。
リーネ姉さんはいつも僕に優しくしてくれた。
「秘密だよ」と言いながら、森で取れるけどあまり見かけない甘い果物をくれたりした。
やっちゃいけないことをした時は、困った顔をして姉さんが悲しむから、僕はあまりいたずらをしなくなった。
僕が何かをする度に褒めてくれて、じいちゃんの助けがあったとはいえ、初めての狩りを成功させた時は、ものすごく喜んで笑ってくれた。
姉さんの笑顔が好きだ。
姉さんには、ずっと平和に暮らして笑顔でいて欲しい。
だから僕は、姉さんが幸せに暮らせる国でなければと、思って、頑張って、いたのに。
「姉さ、……」
今は声をかけても反応がない。
動いてくれない。
困った顔もしてくれない。
褒めることも、悲しむこともない。
僕に、笑ってくれない。
「あ、……ぁ、ああ」
僕は、僕は。
黒龍には勝てると思い込んでいた。
姉さんを守りたくて黒龍と戦ったのに、無力だった。
僕は弱い。
僕は結局、守ることができない人間なんだ。
もっと早く強くなるべきだったんだ!!
「カテリーネ様!!」
黒龍の呻き声が響き渡る空間を割くような声で、意識が急に冷えて現実に引き戻される。
声の聞こえた方へと首を動かすと、ヴァルムントがこちらへと駆けてくるのが見えた。
ヴァルムント。
僕より、僕たちよりも強い人間だ。
そんな人がどうして、どうして今頃来るのだろう。
僕が強ければ良かった話なのに、僕はそう思ってしまった。
──ああ、だから僕は、弱いんだ。
それでも、僕はヴァルムントをリーネ姉さんへ近づけたくなくて。
剣がないと分かっているのに、ヴァルムントの前に立ちはだかった。
「……姉さんに、リーネ姉さんに近寄るな!」
◆
ヴァルムント。
紅翼将軍に就いていたファイクリングを倒す際に、皇子からの命を受け解放軍とは別で人々を密かに助けていた蒼翼将軍。
皇帝に睨まれるのはまずいのだと、正体を隠した状態で動いていた。
解放軍の存在自体には眉を顰めていたけれど、蛮行を許すわけにはいかない故に今回は見逃すと言い、次に会った時は敵だと去っていった人物。
どうしてなのか村の入口で出会い、睨まれはしたものの何もなかった。
けれど、次に村の中で出会った時にナッハバールが突っかかってしまった結果、「実力の差というものを見せてやる」と外で戦うこととなった。
ヴァルムントが全員かかってこいと言ったので不参加を表明したじいちゃん以外の多対一となったのだけれど、僕たちは人数の有利があるにも拘らずヴァルムントに叩きのめされる。
「この程度で我々に勝とうなど思い上がりにも程がある。……今回はお前達とは関係のない件でこちらにきた。人を殺生をする為に来たわけではない。命拾いをしたな」
座り込んだり倒れ伏したりしている僕たちを見下ろした彼は傷ひとつ負うことなく、そう言って去っていく。
見学に徹していたじいちゃんは、僕たちを介抱しながらこう言ってきた。
「あやつは相当な修行や場数を踏んだようだな……。今や父親のヴィルヘルム以上になっているやもしれんな」
「あ〜も〜。そりゃヴァルムントは強いよ〜。20かそこいらで前蒼翼将軍を倒したんだからさ〜」
だからオレは嫌だって言ったのにと、セベリアノは地面に転がったまま頭を掻いてめんどくさそうに呟いている。
それに対してナッハバールがあぐらをかきながら悔しそうに言い募った。
「あの弱っちいのに紅翼名乗ってたファイクリングと似たような実力だったんじゃねーのか」
「アイツはアイツで一応そこそこ強かっただろナッハ。アイツは緑翼将軍と打ち合える実力ではあったらしいけど、ヴァルムントと比べると比じゃないよ」
現在の緑翼将軍は50代の老将グスタフで帝都の守りを担当しており、昔にその身一つで隣国との戦争時に一騎当千の活躍をしたと聞いている。
そんな人と互角に撃ち合っていた人物を倒し、蒼翼将軍となったのだから強いのは当然。
でも、ここまで強いだなんて思っていなかった。
ここまで色々ありはしたけど順調にきたせいで、思い上がっていたのかもしれない。
「……ヘルト、大丈夫? ほら、わたしが治すから」
「ありがとう、ルチェッテ」
じいちゃんから魔力を回復する薬をもらって飲んだルチェッテが、僕たちを魔法で回復しようとしてくれる。
暖かい回復の光を受けながら、僕はため息をついた。
「まだまだなんだなぁ、僕は……」
「ヘルト……。大丈夫よ、次会った時にコテンパンにしてやればいいじゃない! ほら、ヘルトは15なんでしょ? アッチはもっと年上なんだから、その差があるのは当然よ。ヘルトはまだまだこれから経験を積んで成長できるってコトなの!」
背中を優しく叩かれ、ルチェッテから太陽のような笑顔を向けられた。
……ルチェッテの言う通りだ。
僕には経験というものが足りていなかった。
だからこそ、もっと訓練や戦闘を重ねて、もっと強くならなくちゃいけないんだ。
ルチェッテの言葉と笑顔に元気をもらい、強く握りしめた拳を見つめていると、ナッハバールが耳元をかきながらオイオイと声をかけてくる。
「俺はアイツより年上なんだがな……。お前のその理屈じゃ、俺はダメ人間になるのか?」
「ちょっと! あんたにはそんなコト言ってないじゃない! ナッハバールの馬鹿!」
「あーはいはいお二人さん、喧嘩はやめて喧嘩はやめて。それでジネちゃんさ〜、ずっと地面で転がってるのはやめてよねー」
いつもの喧嘩が始めると、いつものようにセベリアノが仲裁に入った。たまに仲裁じゃなくて、ヤジを飛ばしに行くのに困っている。
立ち上がって体についた土とかを払っていると、じいちゃんが寄ってきて頭を撫でてきた。
「わっ、じいちゃん何……?」
「ははは。なあに、生きていれば次はいくらでもある。生き延びて、戦って、次を重ねていくのだ。そうして前を向いていければ、お前はいくらでも強くなれるさ」
強く。もっと強くなりたい。
あのヴァルムントを倒せるくらいに、もっと強く。
姉さんが安心して笑っていられる国に、僕がしなきゃいけないんだ。
じいちゃんに向かって僕は頷き、早速強くなろうとお願いをする。
「じいちゃん、修行をお願いしてもいい?」
「おお、そうだな。ここに来たからには、ここでできることを久しぶりにやるか」
「あ、あの、修行って今からやるんですかぁ……?」
「……ジネーヴラ、いい加減起き上がるんだ」
じいちゃんがまだ地面に転がったままのジネーヴラの肩を掴んで起き上がらせてから、僕に再度向き合って頷いてくれた。
「山道往復五回! わしとの打ち合いをしながら行くぞヘルト!」
「うん!」
「……え!? ちょっと、今からそれやらないでよ~お二人さん!!」
セベリアノの声が聞こえたけれど、既に僕とじいちゃんは走り始めていて、その声はちゃんと聞こえなかった。