XI
「なっ、何を言っている!?」
今まで出したことのない声が出てしまった。
焦るのは当然で、私とカテリーネ様は婚約状態であり夫婦となる誓いも式も行っていない。
同じ部屋で眠るなど言語道断な話だ。
故に他の方法を探るべきだというのに、カールは私の部屋でカテリーネ様が就寝する前提で会話を進めていく。
「ヴァルムント様とカテリーネ様は婚約なさってるんですよ? 『イチャついてんやろうな〜』くらいにしか思いませんて」
「カテリーネ様のご評判に関わるだろう!!」
カールに掴みかかったが、当のカールはどこ吹く風のまま言葉を続ける。
「態々ゲンブルク側に伝えるんやったらまだしも、内々でやれば噂程度で済みますって。交換に出すシーツも汚れてへんかったら事実無根やし」
「カッ、カールッ!!」
カテリーネ様の御前でなければ殴り倒していたところだった。
それが分かっているのか、カールは軽薄な笑みを浮かべて私の激しい揺すりをいなしている。
我々2人が喧しくしているところに、カテリーネ様が声を上げた。
「あの……。か、可能であれば、ヴァルムント様のお部屋で過ごさせていただけると嬉しいです。悪霊が怖いのも本当ですので……」
「しかし、カテリーネ様。それではカテリーネ様に謂れのない言葉がかけられてしまいます。別の案を考えましょう」
たとえ事実ではないと分かっていても、悪意ある言葉を投げかけられてはカテリーネ様のお心が傷ついてしまう。
違う手段を探ろうと説得する姿勢に入ろうとしたら、カテリーネ様はご自分の両指を絡ませながら私を見上げてこう仰った。
「……わたくしを護る仕事の他に、何か必要不可欠な仕事があるのであればそちらを優先して下さい」
「いっ、いえ! 決してそのようなことはございません!! 私は何よりもカテリーネ様をお護りすると誓っております! ですので共に部屋で過ごすのが嫌という訳ではなく……!」
「ならええんとちゃいます? カテリーネ様がいらしても」
「カールッ! それとこれとは違うだろう!」
「駄目、なのですか……?」
カテリーネ様の瞳が潤み、不安げな表情で私を見つめてきている。
心許なさげなお姿を見て次の言葉を紡げずにまごついていると、カールが私の体を小突いてきた。
……カテリーネ様を長くご不安な状態にさせる訳にはいかない。
結局私は、他の方法があるはずだと思いながらも渋々頷くことしかできなかった。
悪霊が私に取り憑いた事実についてはリージーと後ほどグスターベにのみ共有。
他の者へは『カテリーネ様が幽霊を見て怖がった』為にしばらく私の部屋にいらっしゃると話をした。
……リージーに話をした時、彼女は反対をしてくれるだろうと思っていた。
だが彼女はいつもの笑顔で荒唐無稽な案を「素晴らしい案ですね」と通してしまったのだ。
何故だ、カテリーネ様の名誉に関わるというのに!
他の者も「幽霊が怖いなら仕方ない」と、私が案じている点に関して全く気にせずにいる。
ただただ、にんまりとした笑顔ばかり返された。
私がおかしくなってしまったのか、周囲がおかしくなってしまったのか。
悩んだ末に、解決策を知っていそうなグスターベに説明を兼ねて会いに行く。
外交官として来ているグスターベも貴族の一員であり、我々程の規模ではないが個別の部屋を与えられている。
グスターベの部屋に辿り着き、悪霊についての共有と部屋をどうにかならないかと相談したのだが……。
「いいんじゃないですか? お二人の仲が良いことを大々的に示すべきだと思いますよ」
「どうしてそうなる……」
「将軍は眉目秀麗ですからねえ。色々な場所にご挨拶へ伺った時、秋波を送られていたのに気がつきませんでしたか?」
……その様な事があっただろうか?
軽く首を傾げながら反論をしていく。
「私がカテリーネ様の婚約者である事は周知の事実だろう。婚約している者に対してする意味がない」
「意味はありますよー。自分自身の欲の発散、将軍と繋がりがあることの誇示。そして、帝国との縁ができるかもしれないんですから」
回答に理解できないと顔を顰める私とは対照的に、グスターベは屈託のない笑顔を浮かべてる。
「将軍はそのままが良いんです。却って私がやりやすいので、非常に助かります」
「……褒め言葉に聞こえないが」
「褒め言葉ですよ、勿論」
私には、胡散臭い言葉にしか聞こえなかった。
「将軍は言い寄られるの苦手でしょう? カテリーネ様にも来られたら困りますし、丁度いいじゃないですか。それでも来る者は変態ですからぶった切ってください。揶揄は……、まぁ頑張ってください。ともかく、どうぞカテリーネ様と同じ部屋でお過ごし下さい。私の方でもその前提で話を進めつつ情報収集いたします」
結局グスターベから別案を得られず、私はカテリーネ様と部屋を共にする事となってしまったのだ。
夕食という名の会合を終え、別所にて身を清め。
護衛として立っている者に労いをしてから自身の部屋へと入ると、同じく身を清めてから然程時間が経っていないであろうカテリーネ様がソファに座っていらした。
その後ろでリージーがカテリーネ様の髪の毛を綺麗にしている。
カテリーネ様は普段からお綺麗だが、今日はより一層輝いて見えるのは気のせいだろうか。
「お帰りなさいませ、ヴァルムント様」
「……只今戻りました」
言葉にし難い浮ついた気持ちになりながら、カテリーネ様へと近づいていく。
丁度リージーが作業を終えたのか、「完了いたしましたので」と一声かけてから部屋を去っていく。
扉も完全に閉められ、密室になってしまった。
現在、部屋にいるのは私とカテリーネ様だけだ。
この状況に困り果てながらも一度浴室で軽装に着替えて部屋に戻り、絶対にしなければならない事をカテリーネ様へと伝える。
「カテリーネ様、ベッドはカテリーネ様がお使い下さい。私はそちらのソファで就寝いたします」
「え……? ベッドは2人でも眠れる広さです。無理にソファで眠らなくてもいいのですよ」
「いえ、なりません。カテリーネ様と私は婚約を結んでいる間柄です。婚姻をしていない以上、男女が褥を共にしてはなりません」
カテリーネ様は優しさからそう仰ったのだろうが、ここだけは譲れない。
困り果てていらっしゃる様子が手に取るように分かる。
私はカテリーネ様に対して誠実でいたい。
そして、カテリーネ様を私の恥すべき欲望で壊したくない。
2回ほどカテリーネ様を抱き締める機会があったが、あまりにもカテリーネ様は華奢な体付きだった。
繊細すぎるお体を壊してしまうと思い、離れた方がいいと理解しているのにそれが中々できずにいた。
そのまま抱きしめ続けていると、カテリーネ様の全てを喰らい尽くせと低俗な欲が囁いてくるのだ。
何もかも暴き、滅茶苦茶にしろと。
大切にしたいと願っているはずなのに、何故このような下劣な考えが浮かんでしまうのか。
なんとも自分が情けない存在すぎて嫌になっていた。
だからこそ、私は断固としてソファで眠るつもりだ。
私の強固な姿勢が伝わったのか、カテリーネ様は戸惑いながらも頷いてくださった。
◆
城内を照らしていた火が最低限になり、殆どが暗闇に包まれた時刻。
室内の灯りは消えて月明りのみが光源となっている中、ベッドのある方向から柔らかな布の擦れる音と共に人が起き上がっていくのが分かった。
ソファの背もたれ側を正面にしながら、薄い毛布を掛けて横になっている私を、カテリーネ様が静かに見つめているのを感じる。
「ヴァルムント様……」
再び布のこすれ合う音と、ベッドから降りていく音が聞こえてきた。
小さな音をたてながらゆっくりと此方へ近づいてきている。
平静を保てと自身に言い聞かせているが、胸の鼓動が早まって止まらない状態が続いていた。
「……もう、お休みになられたのですか?」
心臓の鼓動で体全体が揺れている錯覚に陥り、私が起きていると分からないでいてくれと祈る。
私の真横まで辿り着いたカテリーネ様は、わたしの顔辺りを覗いて起きているか確認する視線を飛ばしていた。
思わず動きそうになった表情を気合いで抑え、平常であれと脳内で強く繰り返す。
しばし凝視されていたと思ったら、私の腕に手を当てて触り始めたのだ。
体が大きく震えそうになるのを必死で抑え、小さく柔らかな手のひらや指先が腕の形を確かめるように滑っていくのを耐える。
指先から上腕にかけての至る所まで確認されていたかと思うと、今度は背中へと移動していった。
温かな手が背骨を上から下へ辿っていき、甘い痺れが広がって声が出そうになる。
歯を食い縛り堪えているが、次は背中の筋肉を触れていくので痺れが足先まで届いていく。
「ふふっ」
その間のカテリーネ様は私と対照的に、楽しそうなご様子で手を動かされていた。
ある程度した後にカテリーネ様は私の首筋へと手を動かしていき、血管や喉仏に触れていく。
生理的な反応で動きかけたのをそれ以上の理性でぶん殴り止めていると、カテリーネ様はそのまま手を頭へと移動させ指先に髪の毛に絡め始める。
しばらく遊ばれていた後、柔らかな手の腹で頭を撫で始めてた。
「ヴァルムント様、いつもありがとうございます……」
小さな声と共にもたらされた優しい感触に、先程まで荒々しくなっていた心身が急激に落ち着いていくのを感じた。
……寧ろ、お礼を言うべきなのは私の方だ。
国の顔として立つことは不慣れであるというのに、毅然とした立ち振る舞いを貫かれている。
ご自分が不勉強だと感じたことはすぐ学び、グスターベに指摘された点もすぐに飲み込んで次に活かしていく。
婦女子が恐れる風貌の者でも普段と変わらないご様子で接し、治癒や対話をされる。
国の、ディートリッヒ様の為に役に立ちたいのだと懸命に行動されていた。
そんなカテリーネ様を護りたいと思っている私が、傷つける行為などしてはならない。
ゆっくりと頭を撫でられる感触を受けながら、私はより一層決意を新たにしたのだった。
やがてカテリーネ様は撫でるのに満足をされたのか、近づけていた体を離していく。
ベッドへと戻るのだろうと思っていたのだが、まだカテリーネ様はその場に留まっている。
何かあったのだろうか。
思案しているうちにカテリーネ様は再度近づき、私の頭部に片手を乗せてから『柔らかい何か』を私の耳に触れさせた。
その正体を考えていると、カテリーネ様は早々とした足取りでベッドへと戻って行かれる。
指にしては感触が柔らかすぎるものだった。
考え抜いた末に辿り着いた『答え』に、私の全身が茹っていくのを感じる。
……カテリーネ様の方向を向いて寝られないと思ったが故に、正面を背もたれ側に向けておいて良かった。
知らず知らずのうちに上がっていた肩を撫で下ろした。




