七話
玉のように可愛い子だった。
「ラドおじさま!」
魔物が暴れていると聞き、退治をしてから野生の猪を狩って左手で引きながら村の入口まで帰った時だ。
わしが帰ってきたのが見えたのか、村の長であるカミッラの孫娘であり巫女見習いの、まだ年端も行かないカテリーネが駆け寄ってきた。
「おお、カテリーネ。今日の修行は終わったのか?」
「はい、もちろんです! わたくしはゆいしょ正しき巫女ですので、ちゃんと行いました!」
胸を張ってやり遂げたことを主張するカテリーネは愛愛しく、村の皆から可愛がられている。
……とある者以外からは。
「そちらはおじさまが狩られた猪ですね! おじさまはすごいです!」
「ははは、昔はわしもヤンチャをしておったんだ」
髪で隠れていない目を輝かせているカテリーネの頭を撫でたかったが、今の手は血や土やら毛やらで汚れ切っている。
次会ったら撫でてやらねばと思いつつ、一緒に村の中へと入っていく。
「ラドおじさまはケガしていませんか? していたら、わたくしが治しますよ!」
「気を使ってくれてありがとうな、わしは怪我しておらん。まだまだ現役ということだ」
右腕の筋肉を見やすいようにグッと力を込めて披露をすると、カテリーネは小さく拍手をしながら大きな笑顔を浮かべた。
「おじさまかっこいいです! わたくしも巫女の身でなければ、おじさまのようになりたかったです」
「流石にそれは無理があるな……」
こんな華奢な子には筋肉はつきにくいだろうし、何よりも似合わない。
この子を立派に支えることのできる男の隣で、幸せに暮らしているのが一番だと思っている。
ため息をついて寂しそうな少女を慰めようと、わしは1つの提案をした。
「わしはこの後に猪を捌いて村の皆にお裾分けをしようと思っているんだが、干し肉にするのに茹でてから塩をかけねばならん。……手伝ってくれるか?」
「わ、わたくしでよければ手伝います! 家でやるべきことを終わらせてからまいります! それまで待っていただけますか……?」
「捌くのがそもそも大変だからな、お前が終わらすまでに終わっていないだろう。配る作業もある、心配するな」
わしの答えにカテリーネはコクコクを頷いてから、早歩きで自宅へと戻っていく。
健気な姿に微笑みながら、さっさと猪を今の住まいとしている家で捌こうと足を進めていった。
わしがこの村に来てから、季節が1つ過ぎ去っている。
一緒に連れて逃れてきた2歳のヘルトは、最初こそ元の環境を恋しがって泣くばかりで、唯一変わらなかったわしだけに安心をしていた。
だが今は泣いても快く声をかけてくれるオプファン村の皆に慣れたようで、近所に預けられるほど懐いてくれている。特にカテリーネには、よく懐いていた。
カテリーネの方もヘルトを可愛がっており、いい関係が築けていて何よりだと思っている。
のどかだった。
わしの息子でありヘルトの父であるライノアが処刑されてから、あまりにも慌ただしい日々が続き息つく暇もなしだったのを省みると、なんとも心穏やかな日々だ。
ヘルトの育児にはいつも悩まされているが、大事な孫息子の育児ほど大切なものはない。
むしろ、気がかりなのはカテリーネの方だ。
「……ラドおじさま。ごめんなさい……」
家裏で準備をしてから猪を捌いていると、申し訳なさそうな態度でカテリーネが近寄ってきているのに気がついた。
「どうしたんだ、カテリーネ。何があった」
「ばば様からまだやることがあると……。夜までかかりそうなので、今日はお手伝いができないです。ごめんなさい」
また、この手ではカテリーネを撫でてやれない。
捌く作業を止め、カテリーネの前に行ってからしゃがみ込んで目線を合わせる。
しょげているカテリーネに、ぎこちないながらにも笑顔を向けてこう言ってやった。
「いいんだ、カテリーネ。また今度やろう。わしには料理を美味くすることができん。次に手伝ってくれればよい」
「ほんとうですか!? 約束ですよ、おじさま! わたくし、巫女としてがんばってきます!」
灯火のごとく暖かな笑みを浮かべたカテリーネは、早足でこの場を立ち去っていく。
村の長の孫娘でありながら、可愛がらない人物。
それは、よりにもよって祖母にあたるカミッラである。
話をきいたところ、元よりこのオプファン村の長で黒龍の祠を管理する者は、ここの領主である貴族から派遣されているらしく、カミッラもその1人だ。
あまりにも影の薄い下級貴族の領地であったことだけは覚えている。毒にも薬にもならぬ者であったので、さほど人物は記憶に残っていなかった。
だからこそ、この村を逃げ先に選んだというのもある。
仮にも建国逸話の元になった場所だからこそ、管理をしっかりしておきたいということで、村長はそういう決まりとしているそうだ。
村人達は特に不利益になることもなかったのと、まとめ役というのは大変であることを知っていたので、慣習として受け入れているという。
そうしてカミッラが村長となってから数年。
カミッラの息子とその嫁が亡くなり、唯一の血縁であるということで赤ん坊のカテリーネがこの村にやってきた。
ある程度の世話はしているものの、『それ以上』はしない。
孫娘に対する態度としては妙に気味悪く思い、見かねた村人達はカテリーネの面倒をこっそり見るようになった。
すくすくと育ったカテリーネの自我がある程度育ってくると、カミッラは厳しい躾を始める。
まだその年齢ではと思うような事までしており、やりすぎではと村人が感じていた中でも、カテリーネは懸命に応えていた。
双方違う色の瞳も、こんなど田舎じゃただの珍しい個性で終わるところを、頑なに隠させたのだ。
視界が不便になるというのに、カテリーネは文句も何も言わずにカミッラの指示にとにかく従った。
食事だってそうだ。
子供は将来の働き手であり、力の源となる肉は食べさせておくものだというのに、黒龍の巫女とさせるからと肉類の摂取を禁じさせた。
どう考えてもおかしい。とはいえ、仮にも村長だ。
面と向かって刃向かうことはせずに、こっそりと村人達はカテリーネにお裾分けをしている。
そしてカテリーネ本人はあまり腹に入らないが食べることや料理をすることが大好きなようで、村人の対応に喜びカミッラに内緒で色々料理や食材について聞いて回っていた。
それを聞いて、わしも同じようにすることにした、という訳だ。
カテリーネは他の村人からは聞けない、他領地の特産物や他国の薬味などをわしから聞いては、目を輝かせていつか手に入れてみたい、食べてみたいと語っていた。
カテリーネ当人はカミッラに嫌われていると気がついていないのか、気にしていないのか分からないが、露ほどにも傷ついていない。
それが幸いと言うべきなのか、わしには分からなかった。
事情があるかもしれないが、子に罪はない。
それに、孫というものは愛おしく可愛いものではないのか。
カテリーネとカミッラを見る度に、わしはそう思わざるをえなかった。
◆
玉のように、可愛い子だった。
立派な男を迎え、その隣で優しく微笑み幸せに暮らして、好きな料理を沢山して、沢山食べていて欲しい子だった。
ルチェッテに黒龍による異常を治してもらい、回復していく視界で見えた光景。
それは、残酷な世界だ。
戦っていた黒龍は、痛みに堪えるように盛大な唸り声をあげて体を丸めていた。
「り、リーネ姉さ……、……ね、姉さんッ!!」
ヘルトの手から剣が滑り落ち、地面へと転がっていく。
命綱である剣が落ちたのにも構わず、ヘルトが駆けていく先にあるのは。
血の水溜まりの中でピクリとも動かず横たわる、孫娘のように思っていたカテリーネだった。