彼女は遺志と共にある
リージーのほぼ過去話。
当該話は番外編にあたります。話並び替え機能がなろうにありません…。
前半時系列は蒼翼将軍の0214あたり。
お二人が幸せであればいい。
私の願いは、それだけ。
◆
「リージーさん」
カテリーネ様のお部屋にあるテーブルには、勉学に必要な本と紙が置かれています。
部屋の主であるカテリーネ様は窓から差し込む朝の太陽の光に照らされながら、歴史書と睨めっこをしつつ頭の中で整理した内容を紙に書きだしていました。
じっくりと頭の中で文章を咀嚼していらっしゃいます。
カテリーネ様からのご要望により、私が臨時として帝国の歴史や作法などをお教えしています。
教師を呼ぼうにも選定に時間がかかっており、カテリーネ様の体調や医務室でのお仕事によって取りやめになることもあるからと、しばらくは僭越ながら私が担当することになりました。
「はい。何でしょうか、カテリーネ様」
「ハッフェーンでの取引が活発になった要因は、三代目皇帝がニーヒスターと和平を結んだから、でしたよね……?」
「その通りです。その和平のおかげで、今も我が国との取引が続いている訳なんですね~」
カテリーネ様は羽根ペンを紙の上で走らせ、聞いた内容を踏まえての書き込みをされています。
帝国のことを理解しようと尽力されている姿はとても健気で愛らしいです。
皇女として、お兄様の妹として恥ずかしくない姿でいたいからと懸命な姿勢が私の心を打ちました。
やはり余計な心配を負わせたくないと、より一層想いが深まっていくのを感じます。
……カテリーネ様の御立場について、様々な議論が交わされています。
ごく一部の上層部に位置している魔術師の前で、カテリーネ様が皇族である証拠を披露されました。
貴族・解放派共に表立っての証明を希望していましたが、公ですべきものではないと却下。
それ故に、カテリーネ様が村に行った本当の経緯を発表しても邪推が次々に生まれていきました。
お顔は確かにディートリッヒ様と似通っておられるが、本当に亡くなったとされていた皇女なのか。
黒龍が生きていたなど、適当な嘘ではないか。
争いを止める為に動いたカテリーネ様を取り込むのに、皇女だと勝手に決めつけ騙して動いていたのではないか。
あれこれ言って、自分こそがカテリーネ様を利用できる立場になれればと、自身の息がかかった者を教師としようと動く人間が複数います。
そのせいでカテリーネ様に『余計な物事』を吹き込む可能性が増えたのもあり、選定に難儀をしていました。
私以外の侍女についても同じで、現在は私が専用となってカテリーネ様についていますが、裏にも何人か付いてはおります。
カテリーネ様が皇女の身であらせられる故に、専門につく者は多ければ多い方が良い。
それでも表で働くのを私一人に留めているのは、こちらも審査に時間がかかっているから。
政治は貴族身分である者、それに準ずる者によって取り仕切られていました。
けれど今は自分達よりも『下』だと思っていた人物が入り込んできています。
矜持により現状を許せない者、どうにかして自らの地位を安泰にさせようとする者。
更に自身の力を拡大させようとする者、何としてでも政治の中核に潜り込みたい者など、様々な思惑が交差していました。
ディートリッヒ様やヴァルムント様、解放軍側の意向もあり、なるべくカテリーネ様を煩わせない人選を心掛けています。
こうして選別している事実をカテリーネ様へ伝えてないのは、自らも情報を掴もうと頑張るのが目に見えていたから。
手一杯になってご体調を崩されることになってしまう恐れもあります。
勉学もほどほどにしていただきたい為、勉強時以外には趣味である料理本などだけ部屋におくようにしていました。
……後々人の『捌き方』を覚えていただくことになりますが、今しなければいけないものではありません。
「リージーさん?」
「……申し訳ございません! 少々考え事をしておりました」
物思いに耽りすぎたせいで、カテリーネ様の呼びかけに気が付けませんでした。
反省をして両頬を軽く叩いていると、カテリーネ様が恐る恐るといった様子で私に話しかけてきます。
「あの……。前々から思っていたのですが、休暇は取らないのでしょうか。現状の体制で難しいのは承知の上ですが、それでリージーさんが倒れてしまうのは嫌なのです」
「ご心配をおかけして申し訳ございません。私は大丈夫です。カテリーネ様にお仕えすることが、私にとって一番幸せなのですよ〜」
弁明などではなく、心からの言葉です。
できるならば一生お仕えしていたいと、心の底からそう思っております。
「ですが、休憩は必要です」
「本当に負担ではないのです。こうしてお仕えできている時間こそ、癒しの時間となっているのですよ」
私は微笑みながら、少し休憩にしましょうと声をかけてお茶の準備をしに行きました。
カテリーネ様へ奉仕すればするほど、可愛らしさや健気さのある反応が返ってきてやりがいがあります。
特にヴァルムント様の話題を出したり、ヴァルムント様がいらっしゃる方向へ案内すると、より一層愛らしい態度に変わっていく。
ご自身のお気持ちに気づいていらっしゃるのかは分からないけれど、頬を赤らめて目を伏せたり指を絡ませたりする仕草に、見守っている側としても気持ちが高まって仕方がないのです。
実際にヴァルムント様とお会いすると花笑みをされるものですから、『審査』で疲れ切った神経が一気に緩まって安らぎを感じます。
ついつい口の端が上がりすぎるのを抑えてばかりでした。
最近でいうと、感謝の気持ちとしてクッキーを作ろうとした時のこと。
王城の一角にあるキッチンをお借りし、コック監修の下でディートリッヒ様専用に塩のクッキーを作り終え、分け隔てなく配る用のクッキーを作り終え。
これで終了だと片付けを始めようとした折に、カテリーネ様が声を上げました。
「……もう一つ、別で作りたいものがあるのです」
その時のカテリーネ様は言いにくそうに、けれど言わないまま終わるのは嫌だと言わんばかりの恥じらい方で、とても胸がときめいたのを覚えております。
「その……。ヴァルムント様が辛いモノの方が好きだと聞きましたので、別でジンジャークッキーを作りたい……のです」
惜しむらくは、現場にヴァルムント様とディートリッヒ様がいらっしゃらなかったことです。
恥ずかしいからと目を細め、頬をアーモンドの花色にし、指先を遊ばせながら口元へと持っていく動作はここ一番の可愛らしさでした。
きっとディートリッヒ様がいらしたら天に拳を突き上げた後ヴァルムント様に嫉妬されていたでしょうし、ヴァルムント様ならば更なる追撃をしてカテリーネ様をもっと可愛くされていたはずです。
本当に、本当に惜しく、しかしながら見ることができた私は幸せ者でした。
……そう。
本当に、私は幸せ者なのです。
カテリーネ様にお仕えするという、叶わないと思っていたガリーナ様の遺志をやり遂げているのだから。
◆
私が幼い頃、貴族の一員として家族と登城。
皇后陛下が住まわれている宮の応接室にて、母親と二人でご挨拶をした折の話です。
その時の私は兄や姉と比べて出来が悪く、いつも母や父に「どうしてお前は駄目なのか」と言われてばかりの人物でした。
兄は仕官して優秀な成績を収めており、姉は上位貴族の下で行儀見習いをし。
一方の私は、どこに行かせるにも恥であると行先が難航していたのです。
俯いてばかりで皇后陛下への挨拶もままならず、母からいつもの冷ややかな眼差しを受けて縮こまっていた私へ、皇后陛下であらせられるガリーナ様が声をかけてくださいました。
「ねえ、その子を私の所で働かせてくれないかしら?」
顔を上げて見た先にいらっしゃった青いドレスの人物は、金の髪に赤い瞳。
貴族の中では珍しくない組み合わせなのに、私はお見かけした瞬間から惹かれてやまなかった。
そのガリーナ様の通る声が、瞬く間に私の心を奪い去っていったのです。
──別格。
この言葉が似合う方がいるのだと、私は初めて知りました。
私よりも姉はどうかとガリーナ様へ進言する母でしたが、絶対にこの子がいいとガリーナ様は譲らず、私はガリーナ様の下で行儀見習いへと採用が決まりました。
何故私が採用されたのかは今でも分かりません。憐れみだったかもしれません。
それでもしがない貴族の末娘である私を、あまり出来が良くないとされていた私を、お世辞にも良いとは言えない私を、行儀見習いとして採用して下さったお方。
私はこの方に報いる為ならば何でもできると思っていました。
行儀見習いとしてお仕えするようになってから半年ほど過ぎた頃。
数多くの失敗をしながらも、学び続けてある程度は使えるようになったと評された私は、妊婦としてお腹が大きくなってあまり動けなくなったガリーナ様の話相手をしておりました。
ガリーナ様はベッドに置かれたクッションを背にしながら、大きなお腹をさすりつつ私へお声をかけてくださいました。
「この子が産まれたら、貴女にこの子の侍女を頼みたいわ」
「私が……、でしょうか?」
「ええ、そうよ。色々なことを教えてあげて欲しいの。貴女は幸せを願える優しい子だから、きっとこの子の力になってくれる」
なれるのだろうか。
そんな疑問が頭を過りましたが、後押しする笑みを浮かべたガリーナ様に、私はとっさに頷いたのです。
敬愛するガリーナ様の願いを叶えたい一心で。
……けれど、お産まれになった御子様は早々に亡くなってしまい。
精神を病まれたガリーナ様も、後を追うように亡くなられた。
国を挙げての葬式が準備される中、私はただ上司である侍女長から言われた通りに動くことしかできずにいました。
ガリーナ様のお部屋を綺麗にするという、お仕事を。
「……ガリーナ様」
赤ちゃんが産まれたらきっと陛下も認めてくださるのだと仰っていたガリーナ様。
楽しそうにディートリッヒ様と未来について語り合うガリーナ様。
穏やかな表情でお腹をゆっくりとさするガリーナ様。
いつもベッドで柔らかな笑顔を浮かべていたガリーナ様。
いたるところに思い出があるのに、今は空っぽのベッドがそこにあるだけでした。
……私は、無力でした。
物事をもっと知っていれば何かできたかもしれません。
ガリーナ様を引き留めることができたかもしれません。
「ガリーナ様。私は貴方に、報いたかったのです……」
もう意味がないと分かっていても、私は様々なことを学ばずにはいられなかった。
無駄だというのに、それでもやらないという選択肢はとれなかったのです。
どうにもならない後悔を打ち消そうと学びを続け、侍女としての仕事を着実にこなしていきました。
この頃には家族も城内での評判を聞いて「戻ってこい」と言ってきましたが、私は無視を貫いたのです。
私の心はガリーナ様の元にあり、家族の元にはない。
意志を貫き頑固となっていた私のことをどこかでお知りになったのか、ディートリッヒ様の命令でご本人の下で仕えることになりました。
赴任当日。
ディートリッヒ様のお部屋で告げられた言葉は、こうでした。
「これならお前の家族も文句は言えないだろう? ……お前が母上に尽くしてくれていたことは知っているからな」
と、いじわる気に笑うディートリッヒ様の笑顔は、ガリーナ様を思い起こさせる表情で。
少し泣きそうな気持ちになりながらも、私は「誠心誠意お仕えいたします」としっかり返事をし礼をしました。
これからはガリーナ様の忘れ形見であるディートリッヒ様にお仕えする。
少しでもガリーナ様への恩返しができればと、気持ちを新たにしました。
やがて隣国との戦争が始まりディートリッヒ様とヴァルムント様が赴いている間、解放軍と帝国軍との戦いが始まり。
激化した戦争の果てに、民の手引きもあって解放軍が帝都へと乗り込んできたのです。
王城に変わらずいた私は、この城が解放軍によって荒らされて思い出が消されていくのを危惧していました。
実際、城の一部が破壊されたり燃やされたのですから。
やがて皇帝が倒され、解放軍の支配下となった城内から、皇帝派だった者達の大半が早々に逃げ出していきました。
残ったのは皇子派と中立派、解放軍派の者達。
表立って反抗をしない限りは、皇子派であろうとそのままにされました。
言わなければ証拠もなにもないですし、ディートリッヒ様も「今後を考えて証拠となるものは隠しておけ」と指示されておりました。
それを態々調査して処罰している時間は解放軍になかったのです。
何故なら、勢いのままに皇子であるディートリッヒ様を討伐しに行こうという機運が解放軍内で高まっていたのですから。
解放軍はしばし滞在した後に城の解放軍派に城内の統一を任せ、……ディートリッヒ様の討伐に乗り出したのです。
私は、無力でした。
解放軍を止めることもあたわず、ただ城でひっそりと過ごすことしかできませんでした。
今思えば、皇子派の人々に声かけをし一矢報いるなどできたかもしれません。
……結果論にはなりますが、しなくて良かったです。
不気味に静まり返っていた城内が騒がしくなったかと思えば、段々と驚きと興奮と困惑が入り混じった感情に溢れかえっていきました。
そう、帝国軍と解放軍が無傷で帰ってきたのです。
片方が捕虜などになっているなどの雰囲気もなく、されど仲良くとは言い切れない絶妙な空気感を保っています。
一体どうなっているのかと迎えに向かった城内の者が困惑している中で、先頭を歩いていたディートリッヒ様と解放軍リーダーのヘルトが宣言をしたそうです。
我々は和解をした。
これからは、互いに道を交えてこの国を導いていくのだ。……と。
──解放軍側の帝国軍への憎悪は激しく、親が憎ければ子も憎いのだとディートリッヒ様にまで及んでいました。
隣国との戦争で激しく消耗したディートリッヒ様達が、解放軍との戦いに耐えられるはずもない。
そう思っていたのにどうして和解となったのかと不可解な面持ちでいると、一気に噂が駆け巡りました。
聖女様が戦いを憂いて止めて下さった。
無益な闘いは止めるべきだと、戦場に乱入なさったのだ。
この時点で理解しがたい噂だと思っていたのですが、更に混沌へと陥れる噂が次々に入ってきました。
ヴァルムント様が女性をたぶらかしていた責任をとらなくてはいけなかった。
女性を巡ってディートリッヒ様とヴァルムント様との修羅場が巻き起こった。
ディートリッヒ様ではなく、ヴァルムント様と解放軍リーダーとの修羅場だった。
など、他にも理解し難い噂ばかりが入ってきます。
……ディートリッヒ様にお仕えしている為、ヴァルムント将軍とは何度かお会いしたことがありました。
いたって生真面目なお方で、とても噂のような話が出てくる人物だとは思えません。
心から何が起こっているのだろうと困惑していると、ある噂が耳に飛び込んできたのです。
『その女性は、亡くなったとされていたディートリッヒ様の妹である』、と。
私は走りました。
それが噂ではなく嘘偽りのない事実だとしたら。
真実ならば、──私は。
途中、私を呼びにきていたらしい兵士に連れられて、共にディートリッヒ様のお部屋へと走りました。
本来ならばはしたない行為ではありますが致し方ありません。
入っていくとディートリッヒ様はアルウィンに手伝われながら着替えており、慌ててディートリッヒ様に近づいていくと制止をされました。
「やらなくていい。それより準備をしてくれ」
「……何を、でしょうか」
思わず声が震えてしまいました。
ディートリッヒ様は気にすることなく、着替えを続けながら私の眼を捉えてこう仰ったのです。
「俺の妹は──カテリーネは、生きていたんだ。黙っていてすまなかった。少ししたら城へ迎える。……母上の宮を準備してくれるか?」
ああ、……ああ!
しっかりと礼をしてから大急ぎで部屋を退出しました。
ディートリッヒ様はカテリーネ様が生きていらっしゃることをご存知だったみたいですが、関係ありません。
きっとご事情があったのでしょう。そうでなければきっと、私に話していただけていたはずです。
宮への道を走っている最中、眼から涙が溢れかえって仕方がありませんでした。
拭っても拭っても止まりません。
だってこれは、歓喜の涙なのです。
ガリーナ様。
私は貴方の遺志を遂げることできそうです。
そうして涙で塗れた顔のまま、笑顔で城内を走り抜けました。
私は、全力でカテリーネ様にお仕えいたします。
それが私の幸せであり、ガリーナ様の願いだったのですから。




