夢であれ
原作のお兄様が儚い夢を見ている話です。
本編時系列的には幕間のちょっと後くらい。
そこそこ暗い話なので注意。
「ディートリッヒ様。皇族という者は、民を護り、国を護る為に存在している高貴なる者なのです」
「ディートリッヒ様。……お父上を見習ってはいけませぬ。あの方は人々を苦しめてばかりです……」
「ディートリッヒ様! 助けて下さい、我々は皇帝陛下に苦しめられています! もう無理なんです、我々は!!」
「このクソ皇子! なんであのクソ皇帝を放っていやがる!! お前のせいで俺の、俺の家族は……っ!!」
「ディート、リッヒ様……。……未来を、国を、家族を、……おねが、い、し……」
俺は。
シュワーツドラッハ帝国、第一皇子ディートリッヒ。
国を護る者。
「ディートリッヒ様。貴方について行きます、他でもない貴方に!」
「ディートリッヒ様こそ、この国を統べる方なのです!」
「……ディート、行きましょう」
民を護る者。
「私の可愛い子。立派な男になって、立派に生きるのですよ」
そして、ディートリッヒというただ1人の男は、妹と母上が亡くなり、安らぎを失って眠りについていた。
◆
夢を見ているのが、感覚で分かった。
体が弛んでおり、水中にいるかのような感覚が付き纏っている。
ゆっくりと眼を開けると、俺は城の自室のベッドに横たわっている状態だった。
近くで忙しなく動いている人物がいて、俺に毛布を掛けようと奮闘している。
滑らかな金の髪を揺らし、清楚なドレスを身に纏った少女だ。
その少女の香りだろう、ふんわりとしたミルクの香りが鼻をかすめる。
柔らかな眼差しで俺を見つめている両の眼は、赤と青色の珍しい色をしていた。
……母上に、どことなく似ている。
少女は俺へ毛布をしっかり掛けていき、隅々まで問題がないのを確認した後、労わるように俺の肩を優しくさすった。
「お兄様、寝ていて大丈夫ですよ。わたくし、しばらく傍におりますから」
「おにい、さま……? 誰の、ことだ」
「……寝惚けていらっしゃるのですか?」
眼を見張って俺を見ている少女の顔に、嘘偽りがあるように思えなかった。
そこから穏和に微笑んだ少女は、俺の頭に手を伸ばして優しく撫でてくる。
……母上から撫でられた時を思い出す、暖かなものだった。
「妹のカテリーネですよ、お兄様。……ずっと、1人にしてごめんなさい」
知らぬ間に俺の眼から溢れていた涙を、その細い手でハンカチを取り出してから拭ってくる。
あらかた拭き終わってハンカチをしまうと、カテリーネという少女──いや、俺の妹が俺に抱きついてきた。
……何度、想像したことだろう。
妹が生きていたら、どんな姿をしていただろうか。
どんな性格になっていただろうか。
どんな……、笑顔を見せてくれただろうか。
俺の夢でしかないはずなのに、想像していた以上に綺麗で、可愛くて、優しくて。
……眼の色が違ったりするのも、全く想像できていなかったというのにな。
あのクソ野郎から受け継いでいる青色のはずなのに、全然見え方が違う。
アイツは濁り切った澱んだ青で、妹のは澄み切った美しい青だった。
腕を動かして、カテリーネを抱きしめ返す。
カテリーネ。
……そうか、カテリーネという名前なのか。
俺がずっと呼べなかった名前。
俺がずっと呼びたかった名前。
「……カテリーネ」
「はい、お兄様」
「カテ、リーネ……」
カテリーネが俺の体を宥めるようにトントンとしてくる。
優しさが、暖かさが、その声が、俺の全てに沁みて止まらない。
折角カテリーネに拭ってもらったというのに、再び眼から涙が溢れていった。
俺の家族。
俺の、唯一の、妹。
「カテリーネ、……カテリーネ。俺は、俺は……」
「大丈夫ですよ、お兄様。申しました通り、わたくしは傍におります」
──嘘だ。
これは夢で、起きたらカテリーネはいない。
俺は、この感覚を忘れたくない。
妹を、忘れたくない。
夢は起きたらほとんど忘れてしまう。
記憶を少しでも刻み込もうと、ただみっともなくカテリーネに強く縋り付くだけの兄になった。
……これは、夢だ。
ディートリッヒという人間が見ているだけの、夢だ。
だから今だけは皇子ではない、ただの人間としてこの夢の中にいたかった。
俺の縋りつきへの返事なのか、カテリーネも俺を強く抱きし返してくる。
「……お兄様。わたくしの今の目標は、お兄様を支え続けることです。お兄様の力になりたい。お兄様が心安らげるよう、わたくしは努力いたします」
「なら、傍にいてくれ。いなくならないでくれ」
「……悪い夢でも見たのですか? 大丈夫です、お兄様。わたくしはここにおります」
こちらが現実だったら、どれ程よかっただろう。
幸せに満ち溢れた現状から離れたくないと、心が叫んでいる。
だが気持ちに反して体は重くなっていき、段々と力が抜けていって眼を開けていられなくなっていた。
駄目だ。駄目だ駄目だ!
俺は、俺は!
「嫌だ、……俺は、カテリーネの、隣、に」
「お兄様。お兄様が辛い時は、いつでも呼んでください。わたくしはいつでも、お兄様の元に駆けつけます。約束いたします」
……駄目だ。
それも駄目だ。
俺のいる現実に、カテリーネが来てもいいことは何一つない。
ただ俺が一時の幸せを得るだけだ。
呼べない、呼びたくない。
俺の、俺の大切な家族を不幸になどしたくない!
動かなくなってきた体を精一杯動かし、今一度カテリーネを抱きしめる。
俺の妹、俺の幸せ。
……どうか、夢のままであってくれ。
不幸でいるのは、俺だけでいい。
だが、……全てが終わったその時ならば、呼んでもいいだろうか。
俺の力が抜けていき、意識が遠のいていくのを感じる。
それに気がついただろうカテリーネが、静かに言葉を呟いた。
「おやすみなさい、お兄様」
「……ああ」
この顔を、笑顔を、温もりを、声を、優しさを、気持ちを。
忘れてたまるものか。
そう思いながら俺は、現実へと帰っていった。
(兵士さんに手間かけさせることになるけど、簡易ベッドか何かを頼んだら部屋に持ってきてくれねーかな……。寝たとはいえ、流石に今のお兄様を1人にするのはなぁ)
◆
「……カテリーネ? なんでここにベッド持ち込んでまで寝てるんだ?」
「おはようございます、お兄様。御気分はいかがですか……?」
「ん? なんかやけにスッキリとしてるくらいだな」
「そう、ですか」
(夢うつつな感じだったし、忘れた……?)
「お兄様。お兄様が忘れていても、わたくしは約束を守りますから」
「お、おう……?」
(おれがお兄様の元にできるだけ駆けつけたいのは変わらないし)




