IV
案の定収まらなかったのであともう1話あります。
「……カテリーネ、様?」
決して声が聞こえた訳ではない。
カテリーネ様が私を呼ぶ時に感じる、心の波が体に響いてきたのだ。
『それ』は穏やかな海辺の波のように、ゆっくりと押しては引いてを繰り返している。
明らかに道があるとは思えない、雪が山程降り積もっている方向へと導かれている気がしてきていた。
心臓の位置に掌を当ててみる。
この感覚が正しきものなのか、真にカテリーネ様が私を呼んでいるかは不明だ。
絶望で、ありもしない希望を作り上げているのかもしれない。
しかしながら、今選べる道はこれ以外に存在していないのだ。
きっとあの呪いによるものではないかと見当をつけて、苦悩されているディートリッヒ様に伺いを立てることにした。
「……ディートリッヒ様」
「どうした、何かあったか……?」
「具体性がなく申し訳ないのですが、何かが私を道なき道へと導いているように感じるのです。……もしかしたら、カテリーネ様が呪いを利用されているのかもしれません」
私の言葉に、ディートリッヒ様は目を見開いた。
口元に手を当てて思考された後、考えがまとまったのか手を下ろし口を開く。
「俺もあの呪いについての詳細は分からん。だからお前の言う説が合っているかも分からない。しかし今できる対応は、その導きを信じて沿ってみるしかないだろう。時間もないしな……」
私とカテリーネ様を繋いでいる呪いは、カテリーネ様本人もその詳細をご存知でなく、継続した状態でいると起こり得る現象について不明なままだった。
魔術師達に尋ねることも考えたが、禁術に値するものであること、下手したらカテリーネ様と私の命が失われる可能性があることから、手出しをしないと決定がなされたのだ。
もし不都合が起こった場合には、その限りではなくなるだろうが。
「とはいえ道なき道です。ディートリッヒ様は安全が確認でき次第、共に来ていただけないでしょうか」
「一緒に行って迷子になったら駄目ってことだろ? ……分かってるさ。共に行きたい気持ちはあるが、俺は一旦下山する。だけどな、お前の命はカテリーネの命でもあるんだ」
「重々承知しております」
自分が死ぬと、呪いによってカテリーネ様の命も失われ本末転倒になる。
かといって私が行かない選択肢など存在しない。
最大限警戒しながら先へ進んでいくしかなかった。
「何人かヴァルムントについてけ。残りは俺と下山して待機だ」
「ヴァルムント様、お供いたします」
「当然ワタシもいきますよ! 行くまでの間に起こり得る変化というものを観察し実感をできるのは何よりも貴重な経験でしかない……! 何度通ってもいい!!」
確実に精霊とカテリーネ様の元へと辿り着けるとはいえないにも拘らず、魔術師達の後ろから出てきた1人の年若い帝国魔術師──ヨシュアと、術にのみ興味を示しているブレンが名乗りを上げた。
ブレンの目的はともかくとして、目に見えている危険を理解していながら、同行を申し出てくれることはありがたいことだ。
礼を言い、軽く注意事項を確認してからディートリッヒ様達と別れて向かおうとした時、ディートリッヒ様からお声がかかった。
「……頼んだぞ、ヴァル!」
「はい。必ず」
私は大きく頷いてから、2人を連れて雪しか見えない先へと歩き始めた。
◆
最初こそ新雪をかき分けて無理矢理進んでいたが、途中から急に雪が少なく歩きやすい道へと変化していった。
「おお〜、これは正規の道に入った証拠なんじゃないですかね。魔力の流れも若干違っていますし、このまま将軍の赴くままに行ければ辿り着けるかと! いや〜、最高だ……。ここまで綿密に組み上げられた術をこんなにも、こんなにも……くう〜!」
ブレンが無駄に盛り上がり始めたのを無視し、ヨシュアにブレンが言っているのは正しいのか確認の意味で目線をやると、戸惑いながらの頷きが返ってくる。
私は呆れながらも、行先に問題がないか注意を払いつつ、魔力を見ようと方々に歩いているブレンが逸れぬようにしながら先へと足を進めていく。
来た道を折り返すこともあり不安を覚えたが、導きは確かにその道を示しており、2人も特に何も言わずにいたので正規の道で間違いなかったのだろう。
「……あの、将軍。質問よろしいでしょうか」
「なんだ、ヨシュア」
「カテリーネ様が見つかって無事に帰還したら、ご結婚なさるんですか?」
思わず足が止まりかけたのを気合いで動かす。
平時ならば何も答えずに流していたのだが、今回は危険を顧みずにきてくれた者からの質問だ。
あまりに唐突で回答に困るものではあるが、できる限り答えてやりたい気持ちはあり、ひとまず発言の意図を探ることにした。
「……何故そう思った?」
「あの、ご結婚したら少しでも一緒になる時間が増えるじゃないですか。だから今回のようなことが起こりにくくなるから、ぼくはすぐに結婚するのって思って……。あっ、貴族だと実はそうでもなかったりしますか……?」
その後も小声で何かを呟いていたが、頭に入ってこない。
結婚。……結婚?
結婚しても、共に過ごす時間が増えるとは言い難い。
父は将軍としての責務をしっかりとこなしていたが故に、屋敷へと帰ってくる頻度は低かった。
それでも、母上は幸せに過ごされていたと私は思っている。
……話が逸れてしまったが、ヨシュアの想定で結婚といった流れは無理だ。
第一、カテリーネ様のお気持ちが最優先である。
「そのような理屈で簡単に結婚できるものではない。根本的な話、私とカテリーネ様はそのような関係ではない」
「えっ、え……? いやあ、どう見ても……。……えーっと、とりあえず分かりました。でも、カテリーネ様は不安なんじゃないですか? こんなに突然拐われることになったんですし、傍にいてほしいって思ったりするんじゃないのかなって……」
ヨシュアが言ってきた言葉に意表を突かれた。
……カテリーネ様のお気持ちが最優先だと思っていたというのに、今の私はカテリーネ様のお気持ちを考えることができていなかったではないか。
ゲオフやカール、他の兵士達が護衛についているとはいえ、限界があることは確かだ。
だからといって、結婚で解決できるものでもない。
「しばらくディートリッヒ様と共にいていただくのも手か……?」
「そこは将軍じゃないと駄目ですよ! そういうことを言うと、『乙女心』ってものが分かってないって言われちゃいますよ!!」
「誰にだ」
「女性陣からです。姉2人に妹1人いるぼくが言うんです。間違い無いですよ」
「そうか……」
──母上、やはり私には女性の心を察するといった行為は困難です。
渋面をしながら前へと進んでいると、ヨシュアは得意げに言葉を続けていく。
「将軍がカテリーネ様と会ったら、真っ先に抱きしめるんですよ! カテリーネ様はずっとお一人で、不安になっているはずです!」
「許可もなく抱きしめるのは駄目だろう」
「許可を取らないでいくのがいいんですよ!!」
やたら興奮した様子で力説をされてしまった。
……いくら歩く以外にできることがないとはいえ、このような緊張感のない雰囲気のままでいいのだろうか。
ヨシュアの力説と合わせて頭を悩ませていると、術と魔力の流れに興奮していたはずのブレンが口を挟んできた。
「将軍。女性も魔術も、懇切丁寧に扱うべきですよ。複雑な術というものは、漏洩防止で施した術者以外が触ると壊れやすいですからねえ。その点、将軍は術者みたいなものですし、多少乱暴に扱っても大丈夫でしょうけど」
「お前も何を言っている」
「いい加減お姫様とくっついて下さいよ〜将軍。ワタシ、半年以内に式を挙げるに賭けてるんですから」
「何故そんな馬鹿げた賭けをしているんだ!?」
カテリーネ様を対象とした賭けを行っていたとは許しがたく、帰還次第取り締まらなければならないと決意する。
だが声を荒げた私の様子など興味ないブレンは、そのまましゃべり続けた。
「いいから早く早く。将軍がお堅いからって殆ど半年以内に挙げないに賭けてるんですよ〜。さっさと挙げてくれれば、ワタシの研究費用がガッポガポになるんですよ」
「あっ、将軍! ぼくは賭けてないですからね! ぼくは純粋に将軍とカテリーネ様のことを応援していますから……!」
「……もういい。2人共、静かにしろ」
何故おかしな話に広がっているのか。
痛みを訴えてくる頭を押さえながら、導きに従って黙々と歩いていくしかできなかった。




