0214 後編
帝都へ部下達と共に出向いた時のことだ。
やたらと浮ついた空気が漂っており、当惑しながら城へと向かっている最中で、主に女性達の気迫が尋常ではない。
私に向かってくる視線も普段より多くなっているが、女性同士で密やかな会話をした後、首を振ることが多々あった。
「……この空気はなんだ?」
「分かりません。悪いことではなさそうですが……」
不在の間に一体何があったのだろうと考えながら城内へと入り、応接室へと向かっている途中にライモンド殿が正面から歩いてきた。
小さな袋を2つ大きな手のひらで大事に抱えており、心なしか嬉しそうな顔をされている。
「おお、ヴァルムント。丁度良い時に来たな」
「丁度良い時……、ですか?」
「さっさと医務室にいけ。お前らはわしと行くぞ」
「お、お待ちくださいライモンド殿」
私の言葉など聞こえていないと言わんばかりに、部下達を強引に連れて何処かへ行ってしまう。
一応、今回の会議までの時間に余裕があるにはあるが……。
1人残されることになってしまった私は、困り果てながらもひとまず医務室へと向かうことにした。
医務室の扉をノックし声をかけて入っていく。
中はベッドが等間隔に並んでおり、数人が横たわって寝ていたり本を読んで暇つぶしをしていたりする。
何度かこちらに寄っているからか、医者や看護婦は私を見て会釈をした。
いつものように「いらっしゃいます」と医務室からいくつかの個室へ繋がる廊下に通され、奥の方にある部屋へと歩いていく。
半開きになっている扉を一度ノックをし、名乗りを上げた。
「失礼します。ヴァルムントです」
「ヴァルムント様、いらっしゃったのですね。もしかして、ライモンド様とお会いされたのですか?」
「ああ。医務室に行けと……」
本日の当番であろうゲオフが対応してきた。
ゲオフが頷いてから扉を大きく開いたので、私は一礼をしてからそのまま入室をする。
個室としては少し広めの部屋で、入口付近に治療者用のベッドが設置されている。
窓際にあるテーブルとセットになっている椅子にカテリーネ様が座っていらした。
そのテーブルには、先程ライモンド殿が持っていた小さな袋と同じ物がいくつか置いてある。
カテリーネ様は私を見て微笑まれると、袋を一つ取ってから立ち上がり近寄ってこられた。
「ヴァルムント様、こちらをどうぞ」
「……こちらは?」
「わたくしが作ったクッキーになります。本日を女性から男性へ感謝を伝える、ささやかな贈り物をする日にしましょうと、少し前から呼びかけをいたしまして……。こういった催事があると、落ち込んだ気持ちが上がりやすいと思ったのです」
だから浮ついた雰囲気が漂っていたのかと、納得をした。
カテリーネ様は普段、患者を治癒されている。
痛みから解放された者は往々にして、余程変なものでない限り『お願い』を聞いて実行してくれる状態だ。
感謝の念を持つ者はカテリーネ様からのお願いを素直に聞き、広めていく。
カテリーネ様が治癒なさっていない時は医務室の者と話をしたり、城内の者と会話なさっているらしく、そこからも広まっていったのだろう。
城に勤めている者はディートリッヒ様を尊敬している者が多く、死傷者を出さずにディートリッヒ様と家族や知り合いである帝国兵を帰還させるきっかけとなったカテリーネ様に、感謝しているのが大半だ。
公示せずとも街中に広まっていったのは、そういった理由だと考えられる。
「ありがたく頂戴します。……今度、カテリーネ様にご満足いただけるような品を持って参ります」
「それでしたら、次月の同日に持ってきていただけないでしょうか? その日を逆にお返しする日にしていただければ、返礼に悩む者の一助になるかと思うのです。ヴァルムント様の方から広めていただけると、助かります」
女性から男性に送るのであれば、その逆もまた必要になってくるだろう。
我が父もその辺りの機微が鈍かったせいで度々母上に怒られ、母より「この男のように女性の心を察せない男になるな」と口酸っぱく言われた思い出が甦ってきた。
……自分が母上の仰っていた通りに成長できたとは、とても言えない。
「承知いたしました。力になれるか分かりませんが、周囲に話をいたします」
「はい、よろしくお願いします」
一礼をし顔を上げると、カテリーネ様が屈託のない笑顔を浮かべていらした。
ふいうちを食らったような気分になった私は、「それでは時間ですので」と断ってから足早に医務室から去っていく。
落ち着かなくなった心を鎮まれと、軽く首を左右に振って気持ちの入れ替えを図ったが、会議が始まるまでの間に治まることはなかった。
◆
「ヴァルムント、ちょっといいか?」
会議終了の合図と共に各々が広々とした会議室から立ち去っていき、私も帝都にいる際の拠点としてある屋敷へ戻ろうとしたのだが、ディートリッヒ様に呼び止められ足を止めた。
「はい、なんでしょうか」
「ちょいちょい、こっちこっち」
小声で言われた言葉に、完全に私用だということを察した。
急いで帰らなければならない理由もないので、同伴していた部下達を先に帰るよう指示してからディートリッヒ様についていく。
ディートリッヒ様の自室に到着して中に入ると、普段からそこまで物を置かれていない室内にひとつだけ、ある物が置いてあった。
早歩きでディートリッヒ様がテーブルの上に置いてある物を取り、私へと体を向けて自慢げに見せてくる。
おそらくカテリーネ様が配っていらした小袋だ。
「カテリーネから貰ったんだ!」
「私も同様のものを頂きましたが……」
会議までの時間に頂いたクッキーを食べてみたが、シナモンの匂いが薫る、少し辛味のきいたジンジャークッキーだった。
私は比較的辛味のある食べ物を好んでいる為、偶然とはいえ好みの味だったことに喜んだ。
「ヴァル、違う。違うぞ。全然違う」
分かってないな〜と言いながら、袋から一つ取り出して見せつけてくる。
取り出されたクッキーは、いたって普通のクッキーに見えた。
「カテリーネがみんなに配ったクッキーは、普通の甘いクッキーなんだよ。俺に作ってくれたのは、塩と合うように作られたクッキーでな! 俺の為に! 俺好みに! 作ってくれたんだよ〜! これ作るのにかなり頑張ってたみたいでな〜、お兄ちゃん嬉しくて嬉しくて……」
ディートリッヒ様は溢れんばかりの笑みを浮かべてから、取り出したクッキーを頬張る。
どうしても自慢をしたくて、たまらなかったのだろう。
嬉しそうなのは何よりだと思うが、ディートリッヒ様の言葉に引っかかったものがあった。
「甘いクッキー、ですか? ジンジャークッキーではなく?」
「そうだぞ。ライモンドとヘルトには甘みを増したものをあげたみたいだが。……ほーん?」
……失敗した。
私が顔を顰めていると、ディートリッヒ様は意地悪そうな表情へと変えてからもう一枚クッキーを取り、しっかりと咀嚼して食べてから口を開いた。
「俺のクッキーのが手間暇かかってて愛情たっぷりだろうし? カテリーネがそうならお兄ちゃんは構わないんだけど、まだ、まだな〜。お兄ちゃんと一緒にいてほしいなぁ〜」
「……おそらくディートリッヒ様がご想像されるようなことではございません」
「ああ!? 惚れてるんだからちょっとは自惚れとけ!!」
その理屈はおかしいと指摘する前に、ディートリッヒ様が距離を詰めてきて私の顎を片手で掴んでくる。
「ですから、惚れているとは一度も申し上げておりませんし、カテリーネ様はご自分の育った環境故に混乱されているだけです」
「お前頑固にも程があるだろ!? 時々カテリーネに見惚れてんの知ってんだからな!? ……環境が悪かったのはそうなんだが、今は段々『自分』というものを見つけてきてるんだ。お前の言う通りだったとしても、ここまでずっと混乱してるだなんて思えないけどな?」
だからさっさと楽になれ〜。と、顎を掴んだ手を左右に揺らし始めた。
「お、おやめ、く、ださ、いっ」
「……ま、本人がちゃんと理解しなきゃ、どれだけ言っても意味ないか。お前もあの子もな〜」
呆れ果てたと言わんばかりのため息をついてから、用事は済んだと突き放され部屋から追い出される。
本当に自慢したかっただけらしい親友にいささか呆れつつも、屋敷へ戻ろうと足を動かしていく。
──判明した事実に、繋がっている心臓の鼓動が早くなった気がした。




