0214 前編
ある程度体調が安定するようになったカテリーネ様が、働くことを熱望された。
以前料理の相談をされた時と同様に私に相談をされたのだが、こればかりは私の権限でどうこうできる範疇ではない。
とはいえ何も協力をしない選択をとりたくなかった私は、今一度ディートリッヒ様に掛け合い、他の者も含めて話をつけた。
安全を確保しつつ働ける場所を協議した結果、医務室にて傷の治療魔法対応をしていただくこととなる。
万が一体調を崩されても、そのまま医者にかかれるからだ。
だからといって四六時中働ける訳もなく、『朝の時間だけ』などの限られた時間内のみになった。
治療魔法自体は使える者は多くとも、大きく癒せるほどの者はさほどいない為、カテリーネ様の御助力は少しの間でも大きい。
そうしてカテリーネ様は働けることに満足をされ、護衛としてゲオフかカール、時折ライモンド殿を連れて対応されている。
カテリーネ様は治療にくる人物が萎縮してしまうからと、護衛が真横にいて欲しくないと仰っていたがそうはいかない。
ディートリッヒ様の精神衛生上の為、我々の不安を解消する為、いてもらわねばならないのだ。
カテリーネ様が魔術に長けている面があるのは分かっているが、いつ何が起こるか分からない。
そこが仕事をする上での落としどころなのだと理解されたカテリーネ様は、渋々ながらも納得された。
最近のカテリーネ様は、右目を隠すようにしていた前髪を横に纏めて留めており、赤の瞳が見える形に変えている。
両の目の色が違うのは不気味だとされていて迫害の対象になりやすいが、カテリーネ様の両脇には目を光らせる者がいるのだ。
表立って発言はないだろうし、品位あるカテリーネ様のお姿を見て暴言を吐けるとは思えないから大丈夫だろう。
しっかりと赤い瞳が見えることにより、元々ディートリッヒ様と似ていた部分が更に多くなって、ますますディートリッヒ様を彷彿とさせるお姿になった。
やはりご兄妹なのだなとディートリッヒ様に零したら、ディートリッヒ様は喜びのあまり、何度も何度も力いっぱい私の肩を叩いたのだ。
痛い思いをする羽目になったので、今度からは似ていると思った瞬間があっても、何も言わないでおく。
そして、カテリーネ様の笑顔が変化された。
静かに微笑むことが多かったのだが、……一番美しいと思っている無邪気な笑顔を浮かべるようになり、私の心が乱れて止まない。
だが毎回心を乱す精神状態はとても良い状態とはいえず、己の精神を一度叩き直さなければならないと感じた。
戦争終結とはなったが、それで終わりにはならない。
今まで皇帝を頂点として動かしていた組織や構造について、見直しの協議がされ始めた。
事の発端であり、一番の問題点であった皇帝ウベルは死んだ。
だからといって簡単に問題解決とはいかない。
皇帝が様々な権利を独占していたが故に、今回の戦争は勃発したのだ。
権力を皇帝に集中させない仕組みにすべきであると、国の運営について煮詰める作業が発生した。
皇帝制度は確かに問題点が存在するが、逆に利点も存在する。
それは皇帝制度でない別の制度にしたとしても同様のことだ。
主に貴族が多くなっている『現状を維持したい帝国派』、解放軍に参加した者が多い『帝国という枠組みを解散させたい解放派』、民が幸せになる方向に進めたいと思っているディートリッヒ様は双方の板挟みになっていた。
利権や利益なども絡んで簡単に進む話ではない上に、どちらもこの国に住む民だ。
食料問題だけは早急に解決しなければと、一部の貴族が過剰に取り立てていた分の解放や、ディートリッヒ様が備蓄の多い地へ頭を下げて解決をしたものの、その分の『お返し』をしなければならないのだから、一段と負担も大きい。
双方、様々な妥協や我慢をしてもらわなければならないのだが、平行線になっているものが多々あり、ディートリッヒ様は疲れ果てていた。
そのディートリッヒ様個人としては、「黒龍問題が解決した以上、必ずしも皇族がいないといけないことはない。ホントのところ、皇族やめてカテリーネと飯屋でもやりたい……」と、私だけに愚痴を零していらしたが、その夢は厳しすぎると言わざるを得ない。
ご兄妹で料理を作りあっているのは、大変微笑ましい光景だとは思うが……。
カテリーネ様の宮で行っているお二人の食事の席に、ご相伴にあずかることもあった。
その時はお二人が別々で料理を作られたらしく、「どちらの方がおいしいか」と大変回答に困る問いを投げかけられた。
並んでいる料理はゴクトーのもので、一度も見たことも食べたこともない。
双方ゴクトー料理を作ってからお気に入りになったようで度々作られている。
片方は『豚の生姜焼き』、もう片方は『きんぴらごぼう』という名称だ。
お米と呼ばれるものと交互に食すのが流儀と言われ、その通りに口へ含んだ。
なお、本来ならば『箸』と呼ばれる食器を使うのが通常なのだと聞いたが、それはなかったのでスプーンやフォークで食べていた。
実際に食してみて両方美味しいとは思ったのだが、塩気や甘味が強めなのが少々気になる。
そして、どの料理をどちらが作ったかは教えてくれず返答に窮していると、ディートリッヒ様は意地の悪い笑みを浮かべ、カテリーネ様は無言で私を見つめてきた。
絶対にどちらかを選べという意図を感じる。
普段食べている料理ならば飾り付け方などから推察できたかもしれないが、知らない料理では判断のしようがない。
私は散々迷った末に、どちらかといえばこちらが好みだと言える豚の生姜焼きを選んだ。
ディートリッヒ様は「ははーん?」と言いながら目を細めて含み笑いをし、カテリーネ様は片手をほんのりと赤い頬に当て、微笑されてから視線を斜め下に落とされた。
……結局、どちらが作ったのかは明かされないまま食事会は終わってしまった。
ディートリッヒ様が『暫定として』皇帝となることが決定し、カテリーネ様も正式に皇女として迎えられた。
そうして他の大まかな協議が終了した為、細かく会議をする必要がなくなり、自領に戻れるほどの余裕が発生した。
部下を送って指示はしていたが、実際に見聞きしなければ見えないものがある。
私は一度領地へと戻り、領地内を回って細かな部分を聞いて回っていたのだが……。
「ああ領主様、ちゃんと責任とったのかい?」
「ヴァルムントさま〜! およめさまをとったんでしょ〜? およめさまはどこ〜?」
「やだこの子。お嫁さんよ、お嫁さん。……それで、ヴァルムント様。お嫁さんはどちらに?」
「あのヴィルヘルム様の子がなあ。ここまで大胆なことをするとはの……」
「それでヴァルムント様や、いつ頃御子様が産まれるんじゃ?」
……帝都と近いせいか領地にまで妙な噂話が広がっており、私は頭が痛みを訴えてきているのを感じた。
領民に会う一言目には必ずと言っていいほど、噂について尋ねられたのだ。
共に回っていた、側近であり領地の仕事を任せていたフォンゾが、後ろでまとめている茶の髪の毛を揺らしながら後方でずっと笑い続けている。
「ひ、ひーっ! ふ、ふふふ、ヴァルムント様、……ははははっ!」
「笑いすぎだ」
「だ、だって、そりゃ、ふふ、笑いますって! あの朴念仁なヴァルムント様が! ふ、ふふふ……ゲホッゴホッ」
しまいには咽せて咳き込んでいた。
私は蹲るフォンゾを無視をして屋敷へと歩き始める。
「ふう、……あっ! 待ってくださいよヴァルムント様、置いていかないで! 実際、どうなんです? カールとゲオフがお姫様に付いてるんですよね? そういうことなんですよね、ねっ?」
「喧しい」
「領地にとってめ〜っちゃくちゃ重要なことじゃないですか〜っ! 教えて下さいよぉ〜!」
「煩いぞ」
やたら追及してくるフォンゾの言葉を叩き落としながら、辿り着いた屋敷の扉を開き、用事を済ませる為に執務室へと直行する。
噂は別として、領民から聞いた意見を元にしながら、席について手袋を外し処理すべき書類を手に取った。
「も〜ちょっと、ゆっくりしてもいいんじゃないですか? ヴァルムント様、急ぎすぎですって」
「必要だからやっているまでだ。今以上に忙しくなる可能性もある」
一時的に落ち着いたというだけで、細々としたものやこれからを見据えての改革についてなどは決まっていない。
長丁場になるのが決定しているが故に、現時点で出来得る対応はした方が良いに決まっている。
「それは……、そうかもしれないですけど。我々としてはヴァルムント様に息抜きしていただきたいんですよ〜。先の戦争で覚悟していたとはいえ、やっぱりヴァルムント様にはこちらの領主として、いていただきたいんですから」
「……すまない」
隣国との戦いに出る前に、私が戻らない覚悟をして備えよと伝えていた。
領地を支えなければと、気を張っていたであろうフォンゾには多大な苦労をかけてしまったはずだ。
実際カテリーネ様がいらっしゃらなければ、私もディートリッヒ様も、ついてきてくれた兵達も生きてはおらず、この国そのものが存続できていたかどうかも怪しい。
「いーんですよ! こうしてお姫様のおかげで生きて戻ってきてくれたんですし! ……で、お姫様とはどういう」
「いい加減にしろ」
「あだーッ!!」
投げた手袋がフォンゾの顔面に当たり、フォンゾは大袈裟な声を出して地に伏した。
おいおい言いながら嘘泣きをしているが、反応せずに書類へ意識を戻していく。
──根本的な話だが、私はカテリーネ様にふさわしい人物といえない。
私は命を厭わなかった人間だ。……今はもう命を賭ける行為などできないが。
その上、カテリーネ様は育った環境故に、黒龍を殺した私へ責任を求めただけである。
例え命の共有がなされていようとも、そのような状態のカテリーネ様を娶る行為は非常に不誠実だ。
そして私は……、カテリーネ様へ恋情を持っているわけではなく、やっかいな周囲の噂や邪推などはあるが、だからといって必ずしも結婚しなければならない事態ではないのだ。
したがって、噂が収束するまで私は沈黙を貫くつもりである。
否定をすると却って騒がしくなる為であり、……他意はない。
どこかでニヤついたディートリッヒ様が「本当か~?」と言ってきている気がしたが、気のせいだ。
眉間を軽く揉んでから再度目の前にある書類に集中しようとするが、カテリーネ様の煌く笑顔が思い浮かんできて、思わず顔を両手で覆った。
「やっぱ疲れてるんじゃないですか、ヴァルムント様」
「……違う」




