XXIV
もうすぐきょうだいが産まれてくるかもしれない。
その知らせに、俺はベッドの上でどったんばったんしたり、無駄に部屋の中を走り回ったりした。
側近のベアディに「ディートリッヒ様! 皇子らしくない行動ですぞ!」とか怒られると思うけど、そんなの関係ない。
この嬉しい気持ちを抑えるのは、俺には無理だ!
母上はいつも悲しみに暮れている。
会う度に父上に暴言を吐かれたり、冷たい態度を取られたりして、ずっと心が傷ついていた。
けど、ある日に母上が妊娠したと分かった時、母上の顔は悲しみから喜びに変わったんだ。
「きっとこの子が『確かな証拠』になってくれるわ」
……理由は、悲しいことだったけれど。
俺が生まれて以来、母上は自分のいる宮には俺と父上以外の男性を入れることがなくなっていた。
でも! 母上が笑顔になってくれて俺は嬉しかった。
産まれてくる子は、俺達に幸せを運んできてくれている!
幸運を運んでくれた子を、俺は大切にしてあげたい。
母上を笑顔にしてくれてありがとうって、言ってあげるんだ。
生まれてきたら何をしてあげよう。
男の子だったら、俺が戦い方について教えてあげたいし、木の登り方を教えてあげたい。
女の子だったら、俺が見つけた綺麗な花が咲く場所を教えてあげるし、俺が持ってる一番綺麗な物をあげようと思ってる。
どっちだとしても関係なく、庭の右端にある花は蜜が美味しいし、キッチンのおじちゃんからはたまにお菓子がもらえたりすることも教えてあげたい。
ヴァルムントは歴史ばっか好きでかったいヤツだけど、いいヤツだから紹介してやりたいし。
……あっ、でも女の子だったら紹介はなしにする。
俺の妹は、俺だけの妹だし。
沢山、沢山、伝えたいことがある。
父上や周りから色々言われたりしたり、悲しいことや辛いことがあったりするけど、それよりも楽しいことがあるんだって沢山伝えてやりたい。
俺も、母上も、お前のことを愛しているんだぞって、いっぱい言ってあげるんだ。
そうすればきっと、俺は強く生きていける。
母上だって、ずっと笑顔でいてくれるはず。
だからだから、はやく産まれてきてほしい。
あといくつ眠れば産まれてくるんだろう?
明日? 明後日? 明々後日?
もしかしたら、今この時に産まれてきてるかもしれない。
してあげたいことも考えてたら中々眠れなくて、産まれるまでの間の俺はずーっと眠い状態が続いて勉強中ベアディに怒られまくった。
俺にとっても国にとっても一大事なんだからいいじゃん!
…………勉強が大事なのは分かってる。
父上には嫌そうな目で見られるけど、俺は次の皇帝になる男だ。
でもでもその前に、俺は兄になる男だ。許してくれたっていいだろ。
そんな日が続いたある日、勉強が終わった俺のところにようやく吉報が届けられる。
勉強中の俺に知られると勉強が止まるからって理由で、勉強が終わってから赤ちゃんが生まれたことを知らされた。
俺はすぐ駆けつけたかったのに!
ぶつくさ文句を言いながらも、会っていいと言われたので母上の宮へと走って向かっていく。
母上は出産の疲れで眠っており、生まれた子は隣の別室にいるという。
そしてそして、女の子だっていうことも聞いた。……妹だ!
入り口で警護している女騎士に挨拶をしてから、妹の眠る別室に入っていく。
女医が囲いのある小さなベッドの傍に居て、俺の妹を見守っている。
入ってきた俺の存在に気が付くと、ゆっくりとした礼をしてから「ご覧になられますか?」と小さな声で言ってきた。
俺はうんと頷き、近くの椅子に膝を立てて囲いの中の妹を見た。
正直に言うと、顔は生まれたばっかりだからかクシャクシャだ。
目は閉じたまんまで、ほっぺたは真っ赤で熟れたりんごのように見えた。
手も足もすごく小さい。腕や腿の部分なんかは膨らんだパンみたいだ。
けれどずーっと見ていると、段々と可愛く見えてくる。
……ほっぺを指先でちょっとだけつつく。
すごくぷにっとしていて、触ったからなのか口をもにょもにょとし始めた。
やっぱり、俺の妹は可愛い。
俺は笑顔を抑えられなくて、ずーっとにやにやしながら妹を眺める。
今も可愛いけど、成長したらもっと可愛くなるはずだ。
そんな未来図を想像しながら、俺は許された時間精一杯まで妹の傍に居続けた。
だけどそれが、最後に妹に会えた日になるだなんて思っていなかった。
妹に謎の病状が現れ始めたらしい。
俺や母上にかかってしまったらいけないからと、医者以外は妹に会っちゃいけないことになった。
心配で、俺が妹が生まれる前と同じ状態になったのは仕方ないと思う。
大丈夫かな、大丈夫かなって思い続けるのは辛かったから、明るいことも考えることにした。
妹の名前は今遠征に出ている父上が名付けるとのことだったから、まだ名前はついていない状態だ。
早く名前を呼んで、お前の名前はこうなんだよって教えてあげたい。
病気が良くなったら沢山沢山呼んであげるんだ。
そしていつか、笑顔で応えてくれるようになってほしい。
教えたいことは100以上にもなったし、あげたいものも増えてきた。
すぐに治ってくれないかな。どんどん貯まっていっちゃうよ。
母上にも、いっぱいいっぱいやりたいことを話した。
きっとできるって言ってくれたし、貴方が妹を守ってあげるのよとも言われて、もっと俺は強くならなくっちゃと、もっと戦闘訓練を頑張るんだと決意する。
ヴァルムントは素質はいいって言われてるのに訓練に乗り気じゃないから嫌がるだろうけど、俺との訓練にいっぱい付き合ってもらわなきゃ!
ずっと俺は妹にしてあげたい様々なことを考えていたのだけれど、日が経って俺にきた知らせは、父上が御帰還されたことと、妹は亡くなったというものだった。
妹の死から、母上は壊れてしまった。
最初はせめて妹の亡骸に会わせてほしいと泣いていたのだけれど、病気が移ってしまう可能性はなくなってないと言われて会うことができずに終わった。
やがて俺が声をかけても、どこか違うところを見たままの状態になってしまったのだ。
時々ぶつぶつと何かを呟いてたけど、何を言っているのかは分からない。
そうして母上が一度正気に戻られたのは、亡くなる直前だった。
「……母上」
母上は妹が亡くなってから、ベッドの上でただぼーっとされていることが大半だ。
でも俺が訪れた時、母上は珍しく体を起こしてベッドの端に座る体勢をとっていた。
「どうされたのですか、母上。今日は調子がいいんですね」
俺は近くの椅子に座ってから母上に話しかける。
声に反応して母上が生気のない目で俺を見てきた。
体はすっかりやせ細って、骨が浮き出ている状態だ。
その片手には何かを握り込んでいて、チャリッと金属の擦れる音がしている。
手の隙間から段々と赤い光が漏れ出していっており、見えた赤い光に妙な怖さを感じた。
嫌な予感しかしない。
「ディートリッヒ」
「はっ、はい! 母上! どうかされましたか?」
「……お前だけが希望なのです。だから、ディートリッヒ。生き残りなさい。せめて、お前だけでも……」
「母上……?」
母上は何かを握りしめている手を、俺に向かって差し出してくる。
受け取れということなのかと思って、ちょっと嫌だけど俺は母上の手の下に両手を広げて受け取る体勢をとった。
母上の手が手を緩めて俺の手のひらに落とした赤い光の正体は、紅い宝石のついたネックレスだ。
……恐怖を覚えるほど煌めく宝石に、俺は体を少し震わせる。
「母上、これは……?」
「これを私だと思ってずっと持っていなさい。私は貴方の傍に、ずっといるわ……」
母上は手を伸ばして、俺を確かめるようになぞっていく。
冷たい指先が俺の肌の上を滑っていった。
やがて俺をなぞることに満足したのか、母上は目を細めて惜しむような笑いをしてから、ゆっくりと体をベッドへと預けていく。
「母上?」
目を瞑って横たわったのを疲れたんだと思った俺は、ネックレスをポケットにしまってから毛布をかけてあげた。
部屋の外で待っていた母上の側近に「母上を頼む」と言ってから、俺は自分の部屋へと帰っていく。
翌朝、母上はこの世を去っていった。
◆
俺には、心配してくれる臣下がいる。友達がいる。将来守らなきゃいけない民がいる。
このまま父上を……いや、あの舐め腐った野郎を野放しにしたら、もっと被害が及ぶ。
だから俺は、名前がないまま亡くなった妹も、疲れて逝ってしまった母上がいなくても、頑張るしかなかった。
あの野郎の暴挙のせいでどんどん国は疲弊していってる。
きな臭いことばっかりが起こっていて、全部アイツが起こしているんじゃないかと錯覚するほどだった。
周りが『俺が大人になったら』と期待をしてくる声が高まっていく。
民の訴えを聞き、臣下の声を聞き、改善に着手しようとしてもあの野郎に却下される。
俺はすぐ大人になりたいのに、時間はすぐに俺を大人にしてくれない。
──苦しかった。
どうすればいいのだろう。どうやっても、今の俺には力が足りない。
根回ししようとしても、あの野郎の力は強く支援者は多い。
頑張っても頑張っても無駄な足掻きになっているように思えてならなかった。
心身ともに疲れ果てた俺が、ベッドの上に体を放り投げたまま呆然としていると、ノックの音が部屋に響いた。
「ディートリッヒ様、ヴァルムント様がお越しです」
「通していい」
ベアディから入室の許可を求める声が聞こえ、俺はそのまま返事をした。
扉の開く音がしてから、「失礼します」という声と共に絨毯を踏み締める足音が近づいてくる。
「ディートリッヒ様、只今戻りました」
「お〜。どーだった? お前の好きそうなものはオプファン村にあったのか?」
俺が首だけ動かしてヴァルを見ると、何故かヴァルは難しそうな顔をして俺を見ている。
歴史大好きっ子だから、多少は興奮して語ってくるかなーって思ってたんだが?
なんだなんだと体を起こして、しっかりとヴァルに体を向けた。
「……どうした?」
「あ……。……いや、」
「どうしたんだよ、お前にしては歯切れ悪いな?」
何かを言いたいが、言うのを戸惑っている様子だ。
割と直球なことが多いヴァルにしては珍しかった。
「よく分かんねえけど、言うだけ言ってみろよー。別に俺はお友達の言うことに一々怒ったりしないぜ?」
「そうではなく……」
「あのなぁ、逆に言われない方がイラついてくるんだぞ?」
ビシッと指差すと、ヴァルは腕を組んで数秒した後に口を開いた。
「……実は、」
そうして語られた内容に、俺は動揺と期待と不安を一気に抱え込むこととなった。




