XVIII
馬の世話をし終えて馬房から出てくるゲオフを、誰にも話し声が聞こえない位置まで引っ張っていき、そのふさふさに茂っている緑の頭を箒の柄で叩いてやった。
「何をするカール」
「このボケ。お前バレとるやないかい」
何がだと言わんばかりの怪訝な顔をしている面に、再度箒の柄を叩きつける。
たいして痛くないと理解しているせいでゲオフは避けることすらしない。
頭も体も堅物な相棒に片足を踏み鳴らしながら用件を伝えていく。
「人手が足りないちゅーことで、お前にカテリーネ様周辺の巡回警備が回ってきたんや」
「警備? そんなことを私がしてもいいのか?」
「アホ、お前だからや。どっかのえら〜い軍師様から直々にご指名やったらしいで? これでバレてないっちゅうのは無理やわ」
偶然を装ったとはいえ『侵入を防いでいた』からなのか、『ゲオフの視線があからさますぎた』のか、『動きが不自然すぎた』からなのか。
どれが要因なのかは不明であるが、あちらに我々の正体が見破られていたのは確かだ。
……軍師以外からは感づかれていないと思いたい。
「お前はバレていないのか?」
「知らん。ご指名があったのはお前だけや」
ゲオフだけバレたのか、どちらもバレているがあえてゲオフだけにしたのか。
こちらも考えられることは山程あるが……。
「まー、どちらにせよの話やな。ボクらはあちらさんのことを探っとらんからこそ、許されたんやろ」
出入り口を探りはしたが、カテリーネ様のご安全を考えてのことだ。
ヴァルムント様に言われた通りに我々は一切軍内部の情報は探ろうとしておらず、外へと情報を渡す為に『誰か』と接触したこともない。
だからこそ、今容態が悪化されたカテリーネ様の近くに配置をされたのではないか。
「お前やのうてボクやったらな〜。カテリーネ様と楽しくお喋りしたんやけどなぁ〜」
「何を言っているんだ。私でもそれくらいできるんだが」
「無茶抜かすな」
この堅物が機知に富んだ会話をできるとは到底思えない。
売り言葉に買い言葉をしただけで、できないと自覚はあったのか口をひん曲げてから「……確かにそうかもしれないが」と言い訳をしてきた。
「お前に決まったもんはしゃーない。変に探ったりせーへんで、本当にたまたま聞こえた会話だけで探っとけ。んで、カテリーネ様と会話できたらするんや。カテリーネ様のご容態もあるし、無理してやるもんやない」
「わ、分かっているが」
「……こうは言ったけどな、案外お前の方が上手くいくかもしれへんなぁ」
自分の髪を撫でながらそう言うと、ゲオフは不可思議たまらないと言わんばかりの顔をした。
「しかし、カテリーネ様は何故体調を崩されたのか」
「……あの軍師が余計なこと知って喋ったんとちゃう? せやから罪滅ぼしに回された可能性が高いで」
解放軍は帝都に進撃し、皇帝を討ち破った。
ディートリッヒ様の手の者が潜伏し、いざという時は隠し書庫を燃やすよう指示されていたはずだが、阻止されて見られてしまった可能性は十二分に考えられる。
「ディートリッヒ様もヴァルムント様も、カテリーネ様がご自分の出自に関しては知らないままでいてほしいと願われていたのいうのに……」
「……せやな。カテリーネ様は何も知らんかったし、知ることもできなかったんや。自分らで絶対に護ったるで」
皇帝が討たれた以上、次に矛先が向かうのはディートリッヒ皇子とヴァルムント将軍だ。
ディートリッヒ様は出来うる限りの対応をされていらしたが、勢いに呑まれた民が止まるとは思えない。
ここまで散々暴虐を果たしてきた皇帝への溜まりに溜まった鬱憤は、皇帝を倒しただけでは払うことはできないはずだ。
対して御二方はご自分の責務であると、『最期』まで皇族と将軍であろうとしている。
……それでいいのだろうかと、度々思ってしまう。
我々は御二方の『願い』を叶える為にここにいるが、できることならば御二方こそ幸せになって欲しいと思っている。
責務を果たそうとしていることは、立派だ。
しかしながら最善であるとは到底思えない。
苦難の道を歩まれているからこそ、幸せであって欲しいと願うのは罪なのだろうか。
「……ままならんものやなぁ」
「何がだ」
「いいからお前は会話の種類でも増やしとき」
コイツは受けた命に一直線で何を言っても無駄だ。
首をぐるっと回してから、馬房に戻ろうとゲオフの背中を押した。
◆
ゲオフはゲオフなりに頑張っているようだった。
扉の前で大きく『おはようございます!』と挨拶してライモンド殿に不審な眼で見られたそうだが、ゲオフの性格が性格なのでそこまで問題にならなかった。
……会話の種類を増やせとは言ったが、そうしろとは言っていない。
だがそれで逆にライモンド殿から良くも悪くも堅い人柄を認知された結果、信頼につながったようだ。
反応こそないものの、たまにカテリーネ様に声掛けをさせてもらえるようになったという。
やった行動に何をしているんだとは思いつつも、やはりゲオフでよかったのだと思うことにした。
本日解放軍が、隣国との激闘を制した後の皇子を征伐せんと進軍をし始めた。
こちらに療養していた者達も動ける者は出立しており、人数差や消耗具合を考えたらどう足掻いても皇子側に勝ち目はない。
ディートリッヒ様達は国の為に働いていらしたというのに酷い話ではあるが、それが戦いというものであり、人の感情というものだ。
世の中は不如意であると思いながら、自室にて浅い眠りについていた時のことだった。
夜中、警備についているゲオフから『合図』がもたらされた。
素早く体を起こし、他の者が起きぬよう慎重に外へと出ていく。
厩舎へと歩いていく道すがら、大きな人影を見つけて体を壁に沿わせ身を潜めたのだが、月明かりに照らされて映った姿に目を疑った。
「……カール、いるんだろう。出てきてくれないか」
「お、おーい。ゲオフくん? 説明してくれへん? それともボクの目がおかしくなったん?」
何度瞬きしても、何度目を擦っても、目の前にある光景が変わることはなかった。
身を乗り出して見たのは、あからさまに困り顔のゲオフ。
そしてその隣には、ライモンド殿がカテリーネ様を抱えている姿があったのだ。カテリーネ様は起きていらっしゃるが、やはり全快しているとはいいがたい表情をされている。
「な、何? この状況なんなん? 何がどーなってこうなったん!?」
「……本当にコイツがお前の相棒なのか」
「普段はこうしておく方がいいとかなんだとか言ってこうなんです。元はもっと真面目で……」
「何言うとんねんゲオフお前!」
ライモンド殿からの質問にそう答えたゲオフの頬を思いっきり掴み、ぐっちゃぐちゃにしてやっていると、カテリーネ様よりお声がけをされたのでピタリと止める。
「あの……カール、さん?」
「はい!! なんでっしゃろ!?」
「わたくしを……どこへでも、連れていっていただける、のでしょう?」
「え、ええ!! どこへでも!!」
「……では、わたくしを、……兄、……お兄様と、ヴァルムント様の元に、連れていって下さいませんか?」
目をひん剥いてゲオフを見たが、顔を掴んだ手を振り払ってから首を左右に振った。
「私から言ったわけじゃない。カテリーネ様から仰ったことだ……。ご自身の事情をセベリアノから知り、どうしても一目会いたいとライモンド殿にお願いをされていた故に、介入するしかないと思ったんだ」
こちらの正体についても明かしたらしい。
ゲオフにしては柔軟な対応に驚きつつも、そうなったら話は別だと態度を改めることにした。
「……なれば不肖カール、必ずやカテリーネ様をディートリッヒ様とヴァルムント様の元にお連れいたします。ゲオフ、準備するぞ」
「分かっている」
急いで厩舎へと走っていき出立の準備をする。
馬についてはゲオフに任せ、こちらは出る為の準備をしようと出口の方へと回っていくと、何故かいつもいるはずの兵士が不在になっていた。
……まさかとは思うが、あの軍師はここまで読んでいたのだろうか。
不気味なやつだと思いながらも、ゲオフの元に戻って馬車を動ける状態にする。
そうして中にカテリーネ様とライモンド殿とゲオフに乗ってもらい、こちらは御者を担うことになった。
「では参ります。急ぎますので、お身体には十分お気をつけ下さい」
こうして馬に合図を送り、我々は拠点から旅立ってヴァルムント様とディートリッヒ様の元へと向かって行ったのだった。




