十七話
ついに解放軍が皇帝を討ち果たした。
先立って帰ってきた者達からの知らせに、砦内の人間全てが沸き立ち大騒ぎとなっている。
医務室でその知らせを聞いた私はほっとすると同時に、まだまだやるべきことは継続してくるものだと改めて気を引き締めた。
概ねは帝都内で傷病の処置はされるだろうが、比較的軽症の者や精神に異常をきたした者などはこちらに戻ってから見ることもある。
帰ってくるまでに日にちはあれど、手当の準備するのに越したことはない。
手配をかける為に少々部屋から出て、資材管理をしている場所へと向かっていた時のことだ。
「い、いたっ! ブラッツ先生〜!」
「ゼリンダ、そんなに急いでどうしましたか」
看護婦をしてもらっているゼリンダが、走って私の元へ駆け寄ってきた。
全速力だったのか、辿り着くと息を切らせながら話してくる。
「ふう、ふぅ……。せ、先生! カテリーネさんが、カテリーネさんが……!」
「カテリーネさんがどうかしましたか」
「と、とにかく……、き、きてください〜!」
共にカテリーネさんの部屋へと走り出したが、ゼリンダはあまりにも息切れで辛そうだ。
落ち着いてからで良いと言い、私だけ先に向かうことにした。
「カテリーネさん? 入りますよー」
「先生! すまないが頼む……」
カテリーネさんの部屋の前に辿り着き、軽くノックをし声掛けをしたらラドさんから返答があった。
扉を開けて中へと入ると、窓を開けてはいるが鼻をつく臭いが漂っている。
部屋の端にその臭い──吐瀉物を処理したであろう布が固まって存在しており、水の張った桶とコップがキャビネットの上に置かれていた。
テーブルには手のつけられていない昼食があり、ラドさんはカテリーネさんの近くに椅子を寄せて座り、カテリーネさんの背中を摩って気遣っている。
当のカテリーネさんは、日が経つにつれて気力が灯ってきていた眼を、今は見る影もない澱んだものにさせていた。
泣き腫らした跡が目元と頬に残っており、口元は吐き続けたせいか若干かぶれ、胸元を押さえながら荒い呼吸を繰り返している。
私が声をかけても反応するかどうか怪しい状態だ。
「状況を伺ってもいいですか」
「……分からん。わしが昼飯を持ってここへと来た時、カテリーネは胸を押さえて隅の方で泣きながら吐いておった。後は巡回の兵に医務室の者を呼んでもらい、ゼリンダに処置をしてもらったくらいだ」
カテリーネさんが今も押さえている胸元は、自分で貫いた場所のはず。
なんらかのきっかけで胸を貫いた時の痛みが呼び起こされてしまったのだろうか。
とはいえ他の可能性も十分考えられるので、全体を診なければならない。
「ラドさん、すみません。そちら替わっていただいてもいいですか」
「無論だ」
席を替わってもらい、カテリーネさんの診察を開始する。
頑張って走ってきたゼリンダも到着し、ラドさんと一緒に部屋の片付けをしているようだった。
「カテリーネさん、診察をしますね。痛むところや気になるところがあったら言ってください」
◆
一通りの診察は終わった。
可能な範囲で原因を探ったが、やはり精神的なものが一番かもしれないと思い至った。
なにせ本人が何も答えてくれず、意思があるのかどうか分からない眼をずっとしているのだから。
それ故にどうしてそうなったのかを特定をするのに困難極まったが、何か変わったことがなかったかを探っていくうちに、原因であろうものに行き着くこととなる。
「失礼します」
「わ、ブラッツさんがノックなしで押し入りなんてめっずらし〜」
デスクで書類を眺めていたセベリアノがへらりとした顔をあげた。
ここはセベリアノの自室であり、重要な物が多いが故に広めの部屋となっている。
本が所狭しと至る所に収納されていて、デスクの上には何十枚ものの紙が積み重なっていた。
「私がここに来た理由を分かっていながらそれですか」
「さあ? オレは未来が見える人間じゃないから分からないなあ〜」
澄ました表情でそう抜かすセベリアノに苛立ちが募る。
しかしここで乗ってしまったら終わりだ。
ゆっくりと呼吸を繰り返してから言うべきことを言葉にしていく。
「カテリーネさんが傷付いた原因は、巡回の兵士からの証言からして貴方である可能性が高いです。たとえ貴方でなくとも何かしらの要因は知っているのでしょう」
「他に要因があるかもしれないのに、疑いすぎじゃない〜?」
「貴方だから疑っているのです」
この人は必要であらば平気で人を傷つけることを厭わない人だ。
そういう人物であるからこそ、軍を動かせる今の地位にいる。
理解はしているが、私はとても容認できない。
セベリアノは腕を組んで「う〜ん」と唸ってから、椅子の背に体重を乗せた。
「真実を教えてあげただけだよ〜。多分このままだと知らないままだったろうし?」
「それはなんですか」
「言えない言えない。すっごい面倒な話だからね〜。先生は言いふらすような人じゃないけど、用心するに越したことはないでしょ〜」
原因を知らないと対処もできないのだが、世の中知ってはいけないことも多々ある。
ましてや軍の中核にいるセベリアノが言っている以上、追及をしても無駄だろう。
複雑な状況に頭を悩ませながらも、だからと言って私は止める訳にはいかなかった。
「言えない部分は言えなくていいです。私はカテリーネさんを救える手立てを少しでも知りたいのです」
「と言われてもなぁ。……カテリーネちゃん、どういう状態なの?」
「貴方のせいで嘔吐し、胸が痛んでいる状態が続いています」
「……そこまでいっちゃってたのか」
セベリアノは眼を閉じて頭を後ろへと倒す。
片手を頭に乗せ、少々唸ってから口を開いた。
「……八つ当たりが過ぎたと反省してる」
「貴方はそうなることくらい想定できたでしょう。反省で傷も傷跡も元には戻りませんよ」
「嫌だなぁ〜。オレでも想定できないことはあるし、オレもすっごく傷ついてるんだよ〜」
「貴方が傷付いているからといって、他の誰かを傷つけていい理由にはなりません」
とはいえ、戦争を仕掛けた私達が言えた道理ではないが。
だけれどもセベリアノには刺さったらしく、体を上げて気まずいといった表情でこう言い放った。
「そう、だよなぁ。カテリーネちゃんは別に何も……。罪滅ぼし……って訳じゃないけど、色々と便宜を図っておくよ」
「便宜とは具体的に何ですか」
「それも言えない」
怒りが頂点に達した私は、セベリアノに近寄りとある部分を思いっきり押してあげた。
「ッぐ、あだだだだだだだだだだ! やめて、やめ!」
「昔にゴクトーの者から習った『ツボ押し』というものです。これは肩凝りに効くそうですよ」
「痛みの方がやばいってえええええ!」
セベリアノが涙目になるほどやってやったのち、私は手を数回叩いてからデスクに体を預けて伸びているセベリアノを見下ろす。
「私は医者として、患者を追い詰めるようなことをした貴方を許しませんし、貴方が嫌いです。しかしながら貴方は軍に必要とされ、罰することも叶わない立場にいる」
「う〜ん、知ってる。オレはもうじき役割が終わる人間だから、罰されてもいいんだけどね〜」
ヘラヘラとした笑いを向けてくるセベリアノへもう一度ツボ押しをかましてから、肺に溜まった空気を大きく吐いてから告げた。
「貴方の職業柄難しいのは承知の上ですが、貴方自身のことを話せる人に話した方がいい」
「……気遣ってくれるんだ?」
「貴方がこれ以上加害者として被害者を増やさないようにです」
その私の答えにセベリアノは首の後ろをかきながら目線を逸らしたのだった。
数日後、再びセベリアノは帝都へと戻っていき、逆に帝都から戻ってきた者達の手当てに私達は追われていく。
カテリーネさんの症状は幾分か落ち着いたものの、意思が極端に弱くなり部屋の外に出ることすらなくなっていた。
カテリーネさんの気持ちを現実へ戻せる手立てもなく、『便宜』がなんなのかも分からないままで、前回以上に回復が厳しい状態と化している。
そんな中、民の間で最後の皇族であるディートリッヒ皇子を打ち倒そうという機運が高まっていき、解放軍は皇子とヴァルムント将軍を討伐せんと進軍を始めることとなる。
そうして解放軍が皇子との最後の戦いに出かけた次の日、カテリーネさんが拠点から姿を消し、それを追ったのかラドさんもいなくなっていた。