拾伍話
燃やされたら、何も残らない。
◆
「ズィリック! 図書室にずっと入り浸っていたら、干からびちゃうぞ〜」
「兄さん」
窓がなく空気がこもっている小さな図書室の扉が開くと同時に、兄さんが僕と同じオレンジ色の髪を揺らし赤い瞳を輝かせながら入ってきた。
兄さんはいつものニヤニヤとした表情で、椅子に座って本を読んでいた僕のことをからかってくる。
「本当にお前は本の虫だな〜。そのうち、紙でも食っちゃうんじゃないか?」
「そんなことする訳ない! 兄さんの意地悪!」
「アッハッハッハ、ごめんごめん冗談だってば。で? 今日は何を読んで……ってお前! なんでそれを読んでるんだ!?」
「ええ〜? 僕はここにあったのを読んでただけ〜」
驚いて僕を指さしてくる兄さんに向かってとびっきりの笑顔を見せつつ、読んでいた本を抱きしめる。
本と言ったけど、中身は御先祖様の日記みたいなものだった。
父さんが兄さんにこっそり渡してたから気になって、そのまま本を持って図書室に来た兄さんがちょっと違う本と見違えちゃうようにしただけだ。
「お前な〜、それは当主だけに受け継がれてるものなんだよ〜。はあ……父さんに怒られる」
「勉強になることは書いてあったけど、僕に知られて兄さんが怒られるような内容は書いてなかったのに? ……もしかして、黒龍のこと?」
黒龍は初代皇帝アダルギーソによって倒されたはずなのに、この本では封印したってなってた。
その事実を知られたくないから当主にしか教えてないってことなのかな。
いや、それとも皇族が機能しなくなった時の保険……?
「あ〜……そうだよ。絶対誰にも言うな。ある意味皇帝に逆らうことになるからな! これを知ったのはオレとお前の秘密ってことにしよう。うん、そうしよう」
今の皇帝はちょっと物騒で、触れたら火傷しかねない人物だ。
この間もなんかしょうもないことで処罰されただとか聞いたことがある。
父さんから重々注意をされていて、刺激したら危ないってことは兄さんでも分かってることだし、僕も表立って言ったりしない。
そうでなくてもこの事実を掲げたら皇族に楯突くことになるから、騒ぎにするのはまずいし。
皇族の遠戚だからって罰を受けないことはない。
「それくらい分かってるよ。わざわざ言いふらしたりしない。それに、兄さんが父さんから怒られたくないだけでしょ」
「お前も怒られることになるんだぞ!」
「僕は別に」
怒られるのは前提で実行して読んだから、想定内のことは気にならない。
それに兄さんは絶対に秘密にする方向で動くと思ってたからね。
兄さんは大きく息をついて頭をガシガシと掻いた。
「はあ……。お前が家継ぐ方が家には絶対いいと思うんだけどなあ。帝都に行って腹の探り合いとか、怒られたりすんのオレ無理だわ」
「僕は無理だよ、こうやって余計なこともするし。兄さんじゃないとダメ。それに僕は、兄さんを補佐する方が性に合ってる」
向き不向きで言ったら兄さんが言ってる通り、適性があるのは僕の方だと思う。
でも僕は、この家を継ぐのは兄さんしかいないと思ってる。
父さんや母さん、仕えてくれてる家臣や民だって、みんな太陽みたいな兄さんのことが大好きだ。
ずっと本ばっかり読んで色んなことを探って好き勝手する僕よりも、みんなと一緒に盛り上げることができる兄さんが一番いい。
「オレもお前がいてくれたら嬉しいんだがな〜。いつかはお前も独立して……ううっ」
「……今泣くのは気が早すぎるよ」
涙脆すぎるでしょ、兄さん。
そうやって兄さんに呆れながらも、同じ日々を過ごしていくはずだった。
血と炎で赤く染まった屋敷の中を、兄さんに引っ張られながら駆けていく。
始まりは唐突だった。
大きな物音がして眠りから覚めたら、窓の外が夜中なのにほんのりと明るい。
臭いも変だし、起き上がって靴を履いてから部屋の外へと出ると、血のついた剣を持った兄さんが僕に走って近寄ってくる。
「に、兄さん、一体何が……」
「襲撃だ。詳しくは分からんが、少なくともラズリの連中じゃない」
「ラズリじゃないの!?」
ラズリ・オーム国はシュワーツドラッハ帝国に接している国の一つで、僕達の領地と隣り合わせとなってる。
よくちょっかいをかけてくる国だから、襲撃と聞いて真っ先に浮かんだのがそこだった。
でも違うってなったら、一体どこになるんだろう。
「ともかく行くぞ、ズィリック」
「う、うん」
兄さんに手を掴まれて連れられながら、僕は誰が襲撃なんかをしたのか考えていた。
もしかしたら単純にラズリが襲ってきたんじゃなくて、ラズリから依頼された者の可能性がある。
それでなくても国内の他貴族とか、最近金銭の流れの怪しいところとか、考えられる筋は沢山あった。
炎が上がってきている屋敷の廊下の中を走っていると、見たくないものが沢山あった。
僕のイタズラを怒りながらも許してくれる兵士のエナンドが、侵入者と差し違えて死んでいる。
厳格な執事のヘアーツは首にナイフが突き刺さっていて、壁にもたれかけるような姿勢で死んでいる。
しょっちゅうおやつをくれたコックのヨシカが何かを投げたような体勢で倒れていて、口から血を流して死んでいる。
母さんが大事にしていた指輪をつけた手が転がっていて、角になっていて見えない奥の方から大量の血が流れていた。
父さんが念入りに手入れをしていた剣が折れて転がっており、その周辺には血が転々と彼方此方に落ちている。
他にも沢山、みんなみんな、死んでいる。
「少し下がれ」
何かに気がついた兄さんが、手を離して僕を後ろに下がらせた。
「お出ましだ」
前方から音もなく走ってきた黒い服の男が、兄さんに向かって銀の線を描きながら剣を振り下ろす。
けれど兄さんは振り下ろされるより前に足を半歩後ろに動かして避けつつ、素早く首へと剣を叩き込んだ。
「お、ご……」
「オレを甘く見るな! ……ズィリック、行くぞ!」
男の首から血が溢れ出し、その体が崩れ落ちて剣が転がり落ちていく。
僕も何かしら持っていた方がいいんじゃないかと思って、男が持っていた剣を取って兄さんの後を追う。
やがて辿り着いた場所は、いつもの図書室だった。
「兄さん、どうしてここに」
「流石のお前でも知らなかったみたいだけど、ここに隠し通路があるんだよな〜」
扉を開けて入り兄さんは剣を一度置いてから、中央に置いてあるテーブルを豪快に前へと押し出し、テーブルの脚が置かれていた場所の床に手を引っ掛ける。
そうすると一部の床板が持ち上がって、隠されていた通路が見えた。
「いいか、お前だけでも逃げるんだ」
「嫌だ! 僕も兄さんといる! 僕が魔法使えるの分かってるよね!? 兄さんの後ろで戦えるんだよ!?」
「……本当にお前は口が回るなぁ」
僕の首根っこを掴んだ兄さんは、抵抗する僕を無理やり隠し通路に押し込んだ。
「ちょっと剣が危な……、兄さん!」
急いで図書室に戻ろうとしたけれど兄さんは床板を戻し、テーブルか何かをズルズルと音を立てながら元の位置に移動させている。
そして床板越しに、兄さんのくぐもった声が聞こえた。
「ズィリック、お前はまだ子供だ。対してオレは大人で、責任者だ。子供が責任を負う必要はない。……大丈夫、大丈夫さ」
「僕だって貴族だ! 責任はあるよ!」
「ないさ。っと、早く逃げろ。もう来やがった」
扉が開く音がし、剣と剣のぶつかり合いと兄さんの声が聞こえる。
その音はどんどんどんどん遠ざかっていき、やがて屋敷が燃えて崩れていく音に紛れて聞こえなくなった。
「兄さん……! けほ、けほっ」
床板に何度体をぶつけてもびくともしないし、剣で刺そうとしても上手くいかない。
テーブル以外の何かが上にあるみたいだ。
煙が蔓延してきて、ずっとここにいるのも危険になってきた。
ここにずっといても兄さんを、みんなを助けられない。
僕は通路の先を目指して全身を動かした。
逃げて、逃げて、出口としてあった蓋を開けて外に出ると、そこは鬱蒼と茂っている森の中で。
多分、屋敷近くの森だ。
そう検討をつけた僕は、煙が上がっている場所がないかと空を見上げる。
大きく上がっている煙をすぐに見つけて一目散に走り出した。
「兄さん……、兄さんっ!」
息が上がる。剣が重くて手放したい。
でも、魔力が尽きた時に使えるかもしれなくて手放せずにいた。
そうして息も絶え絶えになった頃、僕は辿り着くこととなる。
全てが炎に包まれた、僕の屋敷に。
……僕は、分かってしまった。
もう間に合うものはなく、何もかも失ってしまったと。
大切な人達を、家族を殺され、屋敷が燃やされ、兄さんが治めるはずだった領地も燃やされていた。
僕はただ、燃えていく様を茫然と見ているしかできなかった。
やがて、燃やすものがなくなった炎は立ち消え、代わりに僕の心の中で復讐の炎が宿る。
そうして僕は、復讐の為に名前を捨てた。
何がなんでも絶対に、襲撃した者達の正体を突き止めなければならない。
手掛かりは僕が万が一の為にと持っていた、この剣だけ。
僕は生きる為、突き止める為に手段を選ばず日々を過ごした。
躊躇なんてものは全くない。
とある街をうろついていた僕は、僕のいた場所は『盗賊団によって襲撃された』と国からの発表が掲示されているのを見つけた。
そして今は、これ幸いと言わんばかりに焦土となったあの地をラズリが占領し始めたという。
……絶対に盗賊なんかじゃない。
アイツらは明らかに金銭目的ではなく、人を殺すことだけを目的にしていたのが分かる。
嘘をつくなよ。何を根拠にそんなことを言っているんだ。
後々から火事場泥棒が来て盗んだ可能性はあるけれど、父さんや兄さんがその辺の賊に負けると思ってるのか!?
出鱈目なことを言っている国に対して、猛烈な怒りが湧き立っていく。
そして僕が考えていた可能性が1つ、大きく高まっていった。
国が──皇帝が襲わせたんじゃないかって。
皇帝ウベル。
黒髪に青目と、代々続く皇族らしからぬ色を持っている。
別に黒髪や青目が禁忌だとかそんなものはない。
ただ、生まれた場所が悪かった。それだけだ。
初代皇帝は金髪に赤目であったが故に、皇族がその色であることを求められがちになっている。
別に皇族だけがその色を持っている訳じゃないから、伝統みたいなものだ。
といっても髪色や目の色なんて選択できないものだから、どちらかさえあればいいという風潮になっていた。
けれどウベルは、そのどちらも持たないまま生まれてきてしまったのだ。
当然ながらウベルを産んだ皇后は不貞を疑われた。
当時の皇帝は一切皇后を疑うことはなかったが、周囲が疑いの目を向けるのをやめなかったという。
しかも黒髪なせいで黒龍と同じ色であると揶揄までされたのだ。
皇族が司っているのは白翼だというのに。
そんな環境で育ったからか、ウベルは歪みに歪んでしまったんだと思っている。
とにかく、ウベルは攻撃的な性格になってしまった。
その後皇帝に子供ができることはなく、問題のあるウベルがそのまま跡を継ぎ、先代皇帝と后妃が亡くなり今に至っている。
遠戚であるガリーナを后妃に迎え、新しく誕生した皇子であるディートリッヒも疎んでいるという。
どちらも金髪に赤目を持っている、ただそれだけで。
……ま、これは父さんや様々な噂からの憶測でしかないけど。
僕は実際に会ったことすらないし。
でもそんな噂が立つ皇帝だからこそ、なくはないのではと僕は思ったのだ。
父さんの、もしくは僕たち家族の『何かしら』が癇に障って、殺すように命じたんじゃないかって。
その線での調査を追加し、とにかく僕は復讐相手を見つけることに全力を尽くした。
そうして僕は敵から拾った剣を元に、復讐相手へと辿り着くこととなる。
裏の、そのまた奥からの情報筋から提供されたものによると、あの剣は皇族が専用で持っている鍛治師の作品であると突き止めたのだ。
……僕達に襲いかかってきたのは正規の兵ではなく、完全に暗部を請け負っている者達だった。
暗部を請け負う部隊を動かせる人物は、皇帝しかいない。
僕の復讐すべき相手は、皇帝。
そして、そんな皇帝を止められなかった周囲だ。
◇
ついに、ついに皇帝を追い詰めた。
この扉の先には、皇帝ウベルがいる。
それだけで僕は、僕は──
「……おい、大丈夫かセベリアノ」
「オレは大丈夫だよ、ナッハ。大丈夫、大丈夫さ。むしろ気持ちが奮い立ってるくらいだ!」
──だってこれは、僕が一番待ち望んだ瞬間だから。