Ⅹ
私は黒龍の血に染まりきった身を清めてからすぐに、鎧を解いて正体を偽装し近くの街へと入っていく。
旅装束に身を包んでいる、待機させていた部下のカールとゲオフと合流をし、街を出て人のいない場所である指示を出した。
「しかしヴァルムント様、それは……」
「ディートリッヒ様と私からの願いになる。これは任務ではない。だが、お前達にしか頼めないんだ」
私が頭を下げるとゲオフは戸惑いの様子を見せていたが、カールは私の言葉を聞いてすぐに返事を返した。
「承知いたしました。不肖ながらこのカール、全力で対応いたします」
「……っ。ゲオフも、同じく」
「すまない、苦労を掛ける。……頼んだぞ」
茶と緑の頭を下げて礼をする2人を眺めた後に私は頷き、行くべき場所へと向かう為、待機させていた馬に乗って駆けていく。
馬を全力で飛ばし道中で買い替えを何日か繰り返しながら、皇子であるディートリッヒ様のおわす軍営まで戻ってきた。
幸いにも隣国との戦いはまだ小競り合いで済んでいたようで、そこまで慌ただしい様子は見られない。
兵士達を労いながら進んでいると、慌てた様子のある人物が駆け寄ってくる。
「あっ、ヴァルムント将軍〜!! お戻りになられたのですね! おれ、ずっと待ってたんですよぉ〜」
「よく務めてくれた、感謝する。……だが、その格好で情けない声を出すな」
「もう終わりだからいいじゃないですか……」
私の身代わりをするのに背丈と髪色が似ているという理由で選ばれ、普段私が動きやすさを重視して愛用している紋章のない軽装鎧を着用したアルウィンが駆け寄ってくる。
顔も動きも私に似ても似つかないと思っているが、遠くから見て『ヴァルムント』がいると判断されれば良かったので問題はない。
子供の如く愚図るアルウィンを放置し、兵士から聞いていたディートリッヒ様がいらっしゃる天幕へと向かっていく。
入口両脇にいる護衛2人に軽く挨拶をしてから、入る前に姿勢を今一度正して中に響くように声を張って言葉を伝える。
「蒼翼将軍ヴァルムント、只今戻りました」
「戻ったか。入って良い」
「はっ」
入室してすぐ目に入ったのは、ディートリッヒ様が椅子の背に体を完全に寄っ掛からせていた姿だ。
一応簡素な鎧は身に纏っていらっしゃるが、金髪をいつも通りに整えておらず、紅い瞳が眠そうに書類の文字を追っていて怠惰としか言いようがない。
声だけ厳格さを保たせていた様子にため息をつきながら、近くへと足を運んでいく。
「で? どーだった?」
「どうだったとはなんですか。その顔はおやめ下さい、ディートリッヒ様。俗なことには回答致しません」
書類を横にあるテーブルに置いてからこちらを窺ってくるディートリッヒ様の御顔は、ふてぶてしい笑顔を浮かべていた。
だが私の回答に不満そうな様子になってから、切り替えて言葉を続けられる。
「綺麗だったとかそれくらいはいいだろ……あーはいはい睨むな睨むな。ホントお前そういうトコ固いよな。ま〜それは置いておいて、お前のことだから失敗はしてないのは分かってんだよ〜」
「……いえ。カテリーネ様は生きておられますし、黒龍は討伐いたしましたが、失敗はしました」
「えっ、本当か?」
ディートリッヒ様は椅子に預けていた体を瞬時に起こし、こちらを見ていた。
私は片膝をつき、ディートリッヒ様にこうべを垂れて申し上げる。
「……申し訳ございません。託された物を使用いたしました。いかなる処罰も受け入れます」
「あー、なるほどな? そっか、そんな頑固だったのか。でもお前、使う事態にならないようにするんじゃなかったっけ?」
「全ては私が推察できなかった故です」
「めんどくせぇな、そういうのいいからどうしてそうなったか全部言えっつーの。別に今は公式じゃねえんだし。俺、お前のそういうトコ嫌〜い。さっさと顔上げろ」
そうは仰るが、こちらとて身についた『作法』というものがある。
苦い表情になっているのを自覚しながら、顔を上げて言い訳を述べていく。
「……確実に使命を果たしたいという御覚悟があったのでしょう。私を違う行先の魔法陣へと案内されました。その為、儀式に間に合わず」
「魔法陣なんてあったのか。はー、昔からあるトコはすげえな。お前ああいうの好きだから、じっくり見たかっただろ」
「いえ、もう十分です」
魔法陣が発動して祠の入口に戻されたと理解した瞬間、すぐに元の場所へと戻る為に対となっているモノがどこかにあると見当をつけた。
その対を見つけ出し、一方通行になっていたのを対面通行へとなるように変更をして飛んだ。
少しだけ見た魔法陣を元に即興で改変したものだったが故、転移した先の位置は元の場所から大幅に距離が開いていた。
覚えていた魔法陣が更に曖昧だったら、今頃私はここにいないだろう。
その後の失敗も含めて良い印象がない為、あの場所に結びつくものは現状避けたかった。
「そうそう、俺は『アレ』使いたくなかったからいいよ。寧ろ助かったわ」
「ですが……」
「ですがも何もねーよ。俺が使うには気が重すぎる」
ディートリッヒ様は、再び椅子に体を預けて腕組みをされた。
そう思われる気持ちも理解している。
だからこそ、使用しない事態に私はすべきだった。
「ヴァルムント、やめろ。俺達の目的が達成される事が一番なんだ。『アレ』なんかよりも、カテリーネの命があるのが大切なんだ。分かるだろ?」
「……はい」
「で、カテリーネはどこに預けてきたんだ?」
「……、……反乱軍の将に」
「はぁ!? お、おま、……おい!?」
ディートリッヒ様が物凄い勢いで立ち上がり、その流れのまま私の目の前に来て大きく両肩を揺らしてくる。
こういった反応になるのは百も承知だ。
「ここに連れてくるのは駄目だとは言ったが、なんでソッチに!? 俺は預ける候補ちゃんと言ったよな!? ……あー、お、お前のことだから考えあって反乱軍に渡したんだよな? な?」
「勿論、考えなしに預けた訳ではありません。反乱軍の将ヘルトはカテリーネ様を慕っており、またライモンド殿はカテリーネ様のことを自身の孫のように思っておりました。親しい者のいる場所の方が、カテリーネ様もご安心なさるかと」
密かにカテリーネ様を見守っていた時のやり取りなどから、そう私は推察している。
特にカテリーネ様を預けた時のライモンド殿は生きていたことに喜び、最後に言葉を交わした時は必ず護ると決意に満ち溢れた眼をしていた。
何故か頭が痛そうに片手を頭にやったディートリッヒ様は、歯切れが悪そうながらも尋ねてくる。
「『慕っており』って……いやお前それ、あーいいやそこは。なんでライモンド達と親しいんだ?」
「オプファン村が、ライモンド殿が逃げてから住んでいた先だったそうです」
「はー、すげぇ話だな。んでよ、それだけじゃないよな?」
「部下のゲオフとカールに、カテリーネ様だけを命懸けで守る為に反乱軍へ潜るよう願い、受けてくれました。……カテリーネ様を守ること以外は、絶対にするなとも」
どちらも癖のある部下ではあるが、信頼できる者達だ。
私のその言葉を聞いて安堵したのか、ディートリッヒ様は体を投げ出すように椅子に座り直した。
「……ま、それが正解だな。下手に探らせたり工作したらあぶねーったらありゃしねえ。あいつらならちゃんと『勝ち馬』に乗ってくれるだろ」
「ディートリッヒ様!!」
「怒んなよ。お前だってそう思ったからそうしたんだろ」
思わず口を噤む。
カテリーネ様の御安全と幸せを考えると、どうやってもそれが正しい道でしかなかったから、私はそう指示をしたのだ。
だが、ディートリッヒ様に言われるのは違う。
「俺も、お前も、俺達についてきてくれてる奴だって強い。それは自信持って言えるさ。しかし国は民の支持なしではあり得ない。いくら俺らが強くとも、俺らだけが活躍しても、信じてくれる民がいなくちゃ意味がない。今の帝国はどうだ? それがないから反乱軍……解放軍なんてものができてる」
ディートリッヒ様は上を向きながら、諦観した様子で話し続けた。
「とち狂ってやがる皇帝陛下のせいで、皇族に対する期待は下がり切ってる。しかも俺は好機と見て攻めてきてる隣国の対処をしなきゃなんねえ。結局、国の為にあることができなかった皇族なんて終わるんだ」
「貴方がいる! 貴方は国の為に戦っている! だから我々は貴方についていくのです! 貴方について行くと決めた民もおります!」
立ち上がり大声で主張をすると、ディートリッヒ様はクッと笑ってから私の目を見つめながら言ってくる。
「……ああ、そうさ。俺は俺を信じてくれているお前達の為に、最期まで戦う。……ヴァルムント、疲れているとこ悪いが、明日から攻めていくぞ。行けるか?」
「無論です」
「なら早く休め。お前には四六時中働いてもらうからよ」
行けと手で払うような仕草をされ、私は一礼をしてから出ていこうとすると、最後にディートリッヒ様から声をかけられる。
「……ヴァル、こんな中で行ってくれてありがとな」
「いいえ。確かにディートの願いでしたが、私の願いでもありましたから」
静かに首を振ってから、今度こそ私は天幕から出ていった。