閑話 とある遺跡での思い出
最近、変な噂が流れている。
「ねえねえ、メニューの多い異世界料理店って知ってる?」
「突然現れるドアに入るといけるってやつ? 吟遊詩人の歌の」
若いシスターたちのヒソヒソ声に少年は足を止めた。
少年といっても、少年と青年の間くらいの年頃で、線は細いが柔らかな筋肉がつき始めていた。
彼は、盗み聞きは失礼だと思いながらも、好奇心から耳をそばだてる。
「それそれ、異世界の料理が食べられるって噂のやつ!」
「異世界? あたしは死後の料理が食べられるって聞いたわよ?」
「えっ! そんな怖い話だったの?」
「怖い話とは違うみたいだけど」
「どういうこと?」
聖堂に続く渡り廊下は中庭に面している。
中庭で、この教会で暮らすシスターたちが洗濯を干しながらお喋りをしていた。
「あたしが聞いたのは、守護神さまに選ばれた者だけがいける店だって。そこでは守護神さまの住まう天上の料理が振る舞われるって。だから死後の世界にあるんじゃないかって。実際に、噂の発端になった吟遊詩人は、砂漠で死にかけたところをその店の料理で生き返ったんでしょ?」
「あっ、守護神さまの話なら私も聞いたわね。でも、私の場合は、その店で異世界の料理を食べた人は守護神さまの加護を得られるって話だったけど……」
彼女たちは聞かれていることに気付かず噂話に花を咲かせる。
「見たことのない、すっごくきれいで美味しい料理なんでしょ?」
「一度は食べたいわよねえ。真綿のように柔らかいパンがあるとか!」
「新鮮な野菜や、生で食べられる魚まであるらしいわよ!」
「あはははっ、さすがに生魚はないわよー!」
「でも、ケットシーが営む料理店だから魚があるって。ほら、吟遊詩人が食べたのも生魚って言うじゃない!」
「ああっ、聞いたことある! たしか、カインセェドンだかカーセンドンだっけ? それでも魚は危ないわよ」
キャッキャと笑い合うシスターたち。
その背後から、老年のシスターが忍び寄り咳払いをした。
途端に若いシスターたちは肩を跳ね上げさせる。
「お二人とも、お口より手を動かしたらいかが?」
「は、はい!」
「申し訳ありません!」
せっせと洗濯を再開する若いシスターたち。
その横を通り抜け、老年のシスターは少年のほうへと足を向ける。
「ごめんなさいね。勇者さまにくだらない話を聞かせてしまったわ」
「いえ! 大変興味深いお話でした」
呆れた様子のシスターに少年は首を横に振る。
少年が気を遣ってくれたと思ったシスターは「困ったものだわ」と申し訳なさそうに呟いた。
「妹さんの準備は整ったかしら?」
「はい。聖王様が色々とくださったので。明日の朝には発ちます」
「まさかあの子に、治癒師適性があったなんて。わたくしはあの子の意思を尊重しますわ。旅に出で、人々を救いたいなんて、守護神に遣える身としてはこれ以上の幸福はありませんわ。ただね、あの子は神聖力がうまく循環しない体質であることが、わたくしは心配でならないのよ。言ってもきかないでしょうが、それでもあの子に治癒術を使わせる時は重々ご理解くださいまし」
「もちろんです。大切な妹ですから」
少年は力強く頷く。
シスターは母親のような微笑みを浮かべた。
それから、たわいもない話をあと彼女は聖堂に消えていった。去り際に、ぽつりと――
「異世界料理店とやらが本当に守護神様のお気遣いなら、あの子の体質もどうにかならないかしら……」
と呟いて。
「異世界料理店……」
少年もその言葉を口にする。
吟遊詩人が歌った『メニューの多い異世界料理店』の噂は少年も耳にしていた。そして、聞いた時からずっと気になっていた。
「もしかしたら、そこでならあの時の宝石みたいなパンが食べられるかな?」
少年は自分が勇者と呼ばれる前のことを思い出す。
とある遺跡で突然現れた美味しいパンを食べた時を。
「そこに行けば、エルシーにもあれを食べさせてあげられるかな?」
少年の瞳に希望の光が灯る。
「異世界料理店のこと、調べよう!」




