9話『捨て猫のようなブラックホール』
「拙者……これくらいならぺろりでござるよ?」
ニヤりと笑いそう言い放った小柄な少女を見下ろし、イアンは思う。
(そんなわけねえだろ……!)
フェリシアが頼んだピザは五枚。しかもトッピング全部乗せでサイズは最大。
イアンは食べられるほうだが、それでもせいぜい二枚が限界だ。
フェリシアが一枚の三分の一を食べられるかどうか、そしてイアンが二枚食べ、残りはあと三枚……。
彼女は小柄で、しかも痩せ形だ。
艶のある黒髪をうなじの中ほどで切り揃え、鮮血色の瞳はツリ目がち。口は小さく口数が少なそうな落ち着いた見た目をしている。動物に例えるなら猫のような雰囲気だろうか。先の戦闘での負傷でガーゼや包帯が目立つが、そのお陰もあってかまるで路地裏の捨て猫のように見える。
しかし、彼女はこと食べ物を前にした場合においては、猫ではなくブラックホールだった。
「嘘……だろ……?」
「久々の食事……非常に美味でござった。フェリシア殿、イアン殿、このご恩は必ずや何らかの形で……」
「フフ……見ましたか、イアン? これが忍者の力です。分かったらあなたもサキさんを見習って早く忍者になりなさい」
「ぜっっってぇ忍者関係ねえだろ……。それはさておき、本当に全部食っちまうとはな……」
サキは少し口元を歪ませ、意外そうにしているイアンのほうに答えた。
「長い旅路ではいつどこで食事が出来るか分からぬでござるからな。食べられる時に少しでも多く食べ、飢えに備える。それが拙者の忍者としての流儀にござる」
(奢って貰ってるのに随分とどや顔で語るなコイツ……)
「それはそれとして、なんだ……。食べるのに夢中でほとんど会話が出来ていなかったし、ちょっとした身の上話でもどうだ。食後のデザートくらいなら用意はあるが……」
「デザート! でござるか! 拙者、甘いものは大好物でござる……!」
何でも大好物っぽいなと思いながら、イアンは作り置きのクッキーやマドレーヌを皿に盛り付け運んでくる。
「口に合えばいいが……」
「これは手作りの品でござるか?」
「ああ、まあ……少しは心得があってな」
彼女はクッキーを口内に入れると、瞳を輝かせながらイアンのほうを見た。
「美味しい! 美味しいでござる!」
「そりゃよかった」
「イアンの本職はクッキー職人ですからね」
「適当こくんじゃねえ……」
「イアン殿はクッキー職人なのでござるか?」
「信じるなよ……」
イアンは溜息を吐き、それから話を本題へと移していく。
目の前の忍者……このサキとかいう少女が一体何者なのか。フェリシアはなぜ彼女をああまでして助けたのか……。分からないことがあまりにも多すぎる。
しかしその前に、相手の情報を引き出すにはこちらの情報を開示したほうがスムーズに進むことが多い。ひとまず食事で相手を油断させ話やすい場を整えた。あとは軽く探りを入れていく。
「名前しか教えてなかったが……。改めて自己紹介させてもらうぜ。俺の名はイアン・シュトラーゼ。歳は22だ。<夜明けのボトルシップ>で実行部隊員として……まあ、分かり易く言えば主に剣士をやってるな」
「それは表の顔で、裏の顔はクッキー職人なんですよね?」
「そうなんでござるか?」
「だからちげえって……」
イアンは苦笑いしながら続ける。
「で、そっちのイカれ女がフェリシア・デイライトだ。常識が無くて道徳もなくて倫理観が狂ってる」
「はて……酷い言い様ですね……? イアンが真面目に紹介してくれないのでサキさんに正しい認識をお教えし直さなくてはならない羽目になってしまいました。改めましてサキさん、私はフェリシア・デイライトです。頭が非常に良く仕事の出来る絶世の美女のフェリシアです。以後、お見知りおきを」
「普段はコイツが指示を出して俺が動いてる。所謂『ブレイン』ってやつだな。一応『リーダー』でもあるが、うちのギルドは俺とコイツとゴゴーレムの三人だけの小規模組織だ。だからまとめ役的な役割はそんなに重要視されていない。重要なのは、適切な指示が出来るかどうかだけだ。……まあ、色々とアレだが、頭がキレるってことだけは本当だ」
イアンの説明を受け、フェリシアはそっと呟く。
「決して常識や倫理観がないワケではありません。常識は思考の首輪であり、道徳は行動の足枷となります。そして倫理とは心の手錠のようなもの……。それら全てを意識的に外した状態でしか到達し得ない『解』が、この世界には無数にあります。私たちはそういった常識の範疇では手に負えなかったものたちを処分するためにここにいるのです。法では裁けない悪を、常識や理解を越えた悪を、その他、社会や共同体、様々な繋がりたちが対処仕切れなかった諸々の悪たちを……それらすべてを『力尽くで』『手段を選ばずに』どうにかするのが私たち<夜明けのボトルシップ>のお仕事です。まあ、簡単に言ってしまえば、人々の抱えたお悩みの最終処分場のようなものですね」
「最終処分場……」
私の呟きにフェリシアはクッキーを摘まみながら微笑む。
「自慢ではありませんが、こう見えて冒険者ギルドや国家からのお願い事を聞くこともあるんですよ? もっとも、お願い事の内容や提示された報酬によってはお断りさせて頂くことも多くあるのですが……」
「自慢じゃねえか」
「ゴゴーレム!」
「自慢ではありません。れっきとした事実です」
イアンとゴゴーレムの言葉をすまし顔で否定すると、フェリシアは手元にあったウイスキーの酒瓶に手を伸ばす。その酒瓶をイアンがテーブルの自分側に引き寄せた。
「まだ朝だぞ。いい加減にしろ」
「……仕方がありませんね。そのウィスキーはお昼の楽しみに取っておきましょう」
「昼間から飲むなっつってんだ。肝臓ぶっ壊れて死ぬぞ」
「そんな死に方が出来るのであればむしろ本望です。文字通り、浴びるほどのお酒に呑まれて死ねれば、それ以上に一体何を望むことがあるでしょうか? それはそうとサキさんの自己紹介がまだでしたね。あなたは一体どこで何をしてきた方なのか。何を成し、何を求める方なのか」
フェリシアはサキのほうをすっと見据え、氷河のような青い瞳で真っ直ぐに彼女に問うた。
「あの『呪い』は一体、どこで手に入れたものなのですか?」
サキは鮮血色の赤い瞳で彼女の瞳を見つめ返し、それから、ゆっくりと口を開いた。
「それを話すには、拙者はまだ貴殿らのことを知らなさ過ぎる。誤解無きよう申し上げるが、拙者には貴殿らの名誉を貶めるつもりは皆目ござらぬ。しかし、拙者の持つ『呪い』は人の世には過ぎた力ゆえ、信用出来る御仁か否か、確かな判断が定まらぬうちにはその正体を明かすわけにはいかないでござる」
「なるほど……」
サキとフェリシアは何も言わずしばし見つめ合い、それからフェリシアは懐から一枚の紙を取り出し、それをサキの前に提示した。
「こちらはピザの領収書です……」
「な……っ!」
フェリシアはニヤリと笑いサキのほうに身を乗り出した。
「忍者というものは、奢って貰った相手には礼を尽くさないものなのでしょうか?」
「うぅ……っ!」
サキは奥歯を噛み顔を逸らす。そのサキの顔を覗き込みフェリシアはさらに追い打ちを掛ける。
「トッピング全部乗せですよ? あのお店で一番大きなサイズですよ? 美味しくなかったんですか?」
「そ、それは……!!」
フェリシアはクッキーの載った皿をサキの前に見せ付ける。
「<夜明けのボトルシップ>お手製クッキー、実はこれ、一枚5000ミュリエで販売しているものなんです」
「ご、ごせん!?」
サキは泣きそうな顔で指折り食べたクッキーの枚数を数え始め、それから青ざめた顔でフェリシアのほうを見た。
「拙者……お金持ってないでござる……」
「でしたら──」
「おい! いい加減にしろ。年下相手にみっともねえぞ」
「な!」
フェリシアはイアンの言葉に手をわなわなとさせながら何かを言おうとしているが、胸のあたりで肝心の言葉がつっかえて出てこない。
「このクッキーは俺の趣味で作ってるもんで売りものなんかじゃねえ。大体一枚5000ミュリエのクッキーなんかあってたまるかよ……」
イアンはそう言ってクッキーを一枚つまみ噛み砕くと、サキの前に提示されたピザの領収書を拾い上げ、それを部屋の隅まで持って行きビリビリに破いてゴミ箱に捨てた。
「な! なんてことするんですイアン!! そんなことをしたらピザ代を経費で落とせなくなります!!」
「んなもん経費で落とせると思うな。……まあなんだ、言いたくねえことなら無理に答える必要なんてねえんだ。誰にだって言えねえ秘密のひとつや二つはあるもんだからな」
「私にはありませんが?」
「コイツの歳は二十なn──」
「イアン!!!!!!」
「そういうことだぞ。分かったか、人格破綻女が」
「イアン殿……助けられた拙者が言うのも何でござるが……なにもそこまで言わなくても……」
「ぐすぐす……酷いです……」
「チッ……」
イアンは心底面倒臭そうに頭を搔きながら、どかりと椅子に腰を下ろしこちらに視線を投げ掛けて、言った。
「で、どこまでなら話せるんだ?」