2話『なんですか! あれは!?』
「それで、ですねえ……こちらの件については、一体どのようにお考えでしょうか……?」
額に脂ぎった汗を滲ませたその小太りの男は、柔らかいソファの中で縮こまりながら、黒縁の丸眼鏡を掛けた柔和そうな青い瞳を上目遣いにして、ちらちらとテーブルの向かいのほうへと視線を投げ掛けている。
この汗かきの男の名はテデュシャンだ。
王国の中でも随一の規模を誇る交易都市<<ヴィリクス市>>において、冒険者ギルドのギルドマスターを務める街の有力者……ではあるのだが、生来の小心者で、誰に対してもこうしてオドオドした話し方をするので、市民たちからはなぜ彼がこの役職に収まったのかと不思議に思われている。
テデュシャンは気まずそうに部屋中にきょろきょろ視線を泳がせ、滝のように流れる汗をシャツの袖で拭っている。
この部屋の状態を一言で表すとするならば、「整然としたカオス」という言葉が一番しっくりくるだろう。
本棚に収まりきらず積み上げられた高価な本の数々に、何に使うのかよく分からない金属製の細長い道具や、のこぎり、何やら赤い物体がこびり付いた医療用のメス等がそこここに散らかり、棚には部屋の主が愛好する酒瓶がキラキラと行儀よく並んでいる。
部屋の主はテーブル越しにテデュシャンに微笑み、そっと紙面に走らせていたペンを卓上に置いた。
「ええ、ほぼ確実に追放とみて間違いないでしょうね。被害者はもっぱら、可哀想な忍者の子猫ちゃんと言ったところでしょうか?」
「では、やはり、うちのギルドで殺人が……」
テデュシャンは今にも気絶しそうなほど青ざめた顔で、泣きそうになりながら問う。
「な、なぜそう思われたのですか……? ど、どどどどうして、これが追放だと……!? そ、それに、何故忍者と……?」
「説明が必要でしょうか?」
部屋の主はメモの内容をひとつひとつ指でなぞりながら読み上げていく。
「パーティ名『グレイブ・ストーン』……この辺りでは有名な名前ですね。構成人数は五人でしたが、ここ最近はもっぱら四人でいることが多い、と。本人たち曰く、残りの一人は一週間前に急ぎの用で隣町へと発った……ただ気になることに、その急ぎの用とやらが何なのかを本人たちに聞いても『自分たちにも分からない』の一点張り。その点について不審に思い――」
「こうしてあなたを頼りに来たんですよ!! お願いです!! なぜ追放だとお考えになったのか教えて頂きたいのです!! も、もしも私のギルドで殺人があったなんて知れたら……あ、ぁ……」
気絶しかけた彼をお付きの者が抱き止め、テデュシャンは苦しそうに言う。
「お願いです、フェリシア様……あなたの私設ギルド<<夜明けのボトルシップ>>にしか、もう頼る宛てはないのです……!」
「ええ、ですから、今説明しているところですよね?」
小心者でありながら何の因果か巨大組織のトップになってしまったこの哀れな男、テデュシャンに、フェリシアと呼ばれた女は軽くため息をつくと、彼にはまず結論から先に伝えたほうがいいと判断した。
「私の考えるに、忍者の子猫ちゃんはまだダンジョン内で生きている可能性が高いです。私の助手をダンジョンへと向かわせるので、人命につきましてはひとまずはご安心を」
フェリシアは部屋の奥で寝ている助手のほうへと視線を向ける。
「イアン、仕事の時間です」
イアンと呼ばれた男は瞼を擦りながら、部屋の隅のソファからゆっくりとその身を起こす。
寝癖のついた黒髪を無造作にぐしゃぐしゃと掻き上げ、あくびをしながらフェリシアとテデュシャンのほうに視線を向ける。前髪の隙間から覗く左の瞳は焚火のようなオレンジ色を浮かべ、右は隠れてよく見えない。
背丈の程は平均よりは高く、骨格は頑丈。顔付きには神経質さが垣間見えるが、見る人が見れば強く惹かれるような独特の魅力を醸している。
彼は髪をぐしゃぐしゃ搔きながらフェリシアのほうへと歩いてくる。
「呼んだか?」
「仕事の依頼ですよ? 迷子の子猫ちゃんを探しましょう」
イアンは彼女からメモを受け取ると、しばらくそれを眺め、舌打ちをしてから仕事の準備に取りかかった。
「クソ面倒くせえな……。だから人間関係やってる奴らは全員クソッ垂れだっていつも言ってんだ。ダンジョンに仲間を置いて行くだぁ? どんな教育受けたらそんなゴミ人間に育つんだかなあ? ああ、イラつくな……これだから治安が悪い場所は嫌いなんだ……」
「ご、ごめんなさい……」
「あぁ?」
イアンの態度にテデュシャンは消え入りそうな声で謝罪を繰り返すが、イアンはそんなことには構わず支度を終えると、部屋の裏口へと向かう。
「二時間後に連絡しろ。ダンジョン前で待ってるからよ」
そう言って部屋を出ようとした時、イアンの肩が金属製のラックにぶつかり、麻袋に包まれた何かがゴトンと鈍い音を立て床に落下した。
落下の衝撃で麻袋は解け、その隙間からは白目を剥いた白い男の顔がこちらを見上げている。
「あ、ぅぁあああ!?!?!? うわあああぁっ!!!????」
テデュシャンは麻袋から現れた全裸の男の死体に驚きソファから転げ落ちた。
フェリシアは何でも無い様子で、イアンに死体を元の場所に戻すよう指示を出す。
「あら、失礼。イアン、解体したら裏に片付けておくという決まりでしたよね?」
「時間が無かったんだよ。仕方がねえだろ……」
「し、死体!? 人の死体!?」
イアンとフェリシアの横でテデュシャンが男の死体を指さしながら二人の顔を交互に見て叫ぶ。
「な、なんですか! あれは!?」
「裏通りの葬儀屋から譲って頂いたものです。私のような者には喉から手が出るほど欲しいものでして……」
「な、なんだってそんなものを……死体を解剖って……そんな、なんで……」
「なんで、と聞きますか……。そう聞かれましても、世にありふれた珍しくもない回答になってしまい面白くも何ともないと思いますが……」
フェリシアは柔和な笑みを浮かべ、手元にあった医療用のメスをそっと撫でながら、聖母のような優しい声音で囁いた。
「私たちは死んだ人間には興味がありません。ただ、生きている人間のために働くのみです」
雪のような白い髪がふわりと風になびき、儚げな青い瞳がにこりと微笑む。
色素の薄い滑らかな肌に、虚弱のために目立つ首元の鎖骨。
触れれば簡単に割れてしまう硝子のような、そうでなければ消えて無くなってしまう雪の結晶ような女……
フェリシア・デイライトは車いすに座ったまま、倒れた男に、その繊細い手を差し伸ばして言った。
「ご安心ください。我々、夜明けのボトルシップはどのような手を使ってでも、人命救助を最優先に活動しておりますから」