15話『物語の幕開け』
初めての依頼を終えた私は、自室へと帰ってきた。
ドアノブを回し部屋の中に入る。
掃除したばかりの、だけど長い間物置として使われていた部屋の独特な香り。
本棚に並ぶ本やボトルシップはフェリシアの趣味なのだろう。
私はその中にある一冊の本を取り出した。
赤い表紙に黄金色の文字が印字されたそれはこの国の歴史書だった。
パラパラと軽く中身を覗いていくが、やたらと固い文章と専門的な用語の羅列で、疲れた脳で理解するには少々苦になる文章だったため、私はその本をそのまま本棚の中にしまい込む。
刀を壁に立て掛け、ダガ―ホルダーやその他の装備品を外しテーブルの上に置くと、ベッドに倒れ込む。
髪の毛が乱れ視界を覆い、私はぼんやりとその隙間から、窓から差し込む月明りを眺めていた。
夜明けのボトルシップ……。
それはグレイブ・ストーンを抜けた私の所属する新しいギルド。
グレイたちによって抹殺されようとしていた私を救い出し、仲間として迎え入れてくれた命の恩人。
だけど、私は本当にここにいていいのだろうか?
「拙者は……」
私はベッドの上で寝返りをうち、壁のほうを向いた。
私の生きる意味は戦うことだけだ。剣に生き、剣に死ぬ。
剣だけが私の存在価値であり、それが折れた時が、きっと私という人間の終わる時だ。
だけど、フェリシアとイアンは違う。あの二人はきっとこの世界の役に立つ立派な人たちだ。私に出来ないことを何だって出来る。剣だけの……戦うことしか、殺すことしか能のない私なんかより、数百倍は器用な人たちだ。
だけど……。
包帯の巻かれた傷だらけの手を、ぎゅっと握りしめる。
私が彼女たちと出会い、こうして仲間になったことには何か理由があるはずだ。
仮にそれが単なる偶然だったのだとしても、私はそう信じたいと思っている。
私は壁を眺め、それから自分がまた考えなくもいいことを考えていることに気付き、ふっとため息を吐いた。
「迷うな。考えるな。拙者は……拙者に出来ることをするまででござるよ」
真夜中の穏やかな静寂の中、私は瞼を瞑り、夢と現の狭間に揺蕩い始める。
眠れるときに眠ることは、食べられるときに食べることと同じくらい重要なスキルだ。
長旅の中で学んだ数少ない教訓、その思考すらもゆったりと闇間に溶けていき、やがて私は眠りについた。
◇ ◇
新歴1799年──
ライディアルス共和国のとある発明家により開発された、実用レベルにまで発展された新型蒸気機関が世界に激震を与えてから、約十余年……。新たな技術の発達により急速に社会の工業化が進む西方社会、そこには旧世紀以前より長らく続いた魔法世界と、新たに芽吹き始めた工業世界の二つの軸により成り立つ、不安定で不規則でありあながら、どこか幻想的で泡沫的な、合理と不条理の入り混じる、時代の節目に特有の酔狂と混乱とが揺蕩っていた。
時代そのものが酔ってしまったとさえ思えるこの時代に、世界の全てを揺るがす一大事件が発生する。
人々はそれを後に『百鬼夜行事変』と称し、未来永劫に語り継いでゆくこととなる。
魔法のきらめきが夜の森を鮮やかに照らし、ガス灯のかがやきが夜の街を照らし出す。
剣と魔法による戦場の呪いは、銃と塹壕により新たな呪いへと書き換えられる。
かつて信じらたものたちが失われていき、これより始まる新たな時代が、過去の者たちを忘却の彼方へと押し流していく。
信じたものが消えていってしまうことへの悲しみ。
失われていくいにしえのものたちへの弔い。
幻想と望郷と理想と絶望と、それらすべての混ざり合わさった混乱の現実。
これより語られる物語は、九つの霊鬼による最後の戦の記録である。
それは過酷な運命に立ち向かう者の物語である。
それは自らの存在価値を試す者の物語である。
それは去っていく者たちへの別れの歌である。
それは永遠に語り継がれる愛憎の物語である。
それは悲しみと怒りに震える者の物語である。
それは愛が故の侵略と略奪と虐殺の物語である。
それは自らの力に溺れた者の悲運の物語である。
それは自ら立つことを拒絶した者の物語である。
それは望郷と諦観とそれでも進み続けるしかなかった者たちの物語である。
九つの糸が絡みあった先にあるものは、絶望の深淵か、それとも、希望の幕明けか。
新暦1799年──戦いののろしは、既に上がっている。




