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夜明けのボトルシップ  作者: 高橋
二章 白日の推理
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14話『探偵の思考回路』

「彼が売買していた薬物の原料は麻黄(まおう)です」

「マオウ……?」


 フェリシアの口から出た聞き慣れない単語に私は小首を傾げた。

 フェリシアは穏やかな口調のまま、そのマオウとやらがなぜこの話題に出てくるのかを説明していく。


「マオウは東方の砂漠地帯に自生し、覚醒剤の原料ともなる植物の一種です。西方でも一部の地域には自生していますが、あまりポピュラーなものとは言えませんね」

「なぜ……彼が売買していた薬物の原料がマオウだと分かるのでござるか?」

「ええ、それはサキさんには分からなくても当然のことだと思います。彼は自宅にマオウを保存しているわけですから、当然、衣服にもその香りは僅かながら染みついているわけです。私とイアンは特別鼻が利きますので、彼女がこの部屋に入って来た瞬間に、ああ、マオウの香りがするなと思っておりました」

「フェリシア殿だけでなくイアン殿も……?」

「特別な訓練を積んでいるので、ある程度までは」

「そうでござるか……でも、原料がマオウだと分かっても何かの役に立つ情報とは思えないのでござるが……」

「それが今回の場合は大いに役に立ちました。というのも、私は息子さんには従軍経験はおありですか?とお聞きしましたよね?」


 確かにフェリシアはそんな質問をしていた。しかも、唐突に。


「先ほども言った通り、この辺りで流通している薬物の原料としてはマオウはあまりポピュラーなものではないのです。同じく薬物の原料として有名な大麻やケシについては西方にも広く分布していますので、わざわざマオウを使うよりも安価で済みます。売る側としても買う側としてもマオウを使うメリットはあまりないのです」

「ではなぜあの男はわざわざマオウを……?」

「昼間の女性は、彼が数年前の東方戦争に従軍していたとお話していました。彼女は彼がそこで酷い経験をしたせいで引き籠もりになってしまったと思っていたようですが、それは半分あたり、半分不正解といったところでしょう。おそらく彼は従軍中に軍の仲間に薬物を教えられ、現地に自生するマオウを用いた薬物を常習するようになった。それは彼女の言うように、過酷な戦場での癒やしを求めてのことだったのかもしれませんが、戦争から帰って来てからはそれが手に入らず禁断症状に苦しんだことでしょう」

「それが引き籠もりの原因だと?」

「覚醒剤を使用すると脳が過剰な量のドーパミンを放出し興奮状態、快楽状態を生み出します。しかしその効果が切れれば、副作用によってそれとは反対の状態へと向かってしまう」

「興奮と快楽の反対……」

「それ以外にも様々な副作用はありますが、彼が社会に出られなくなってしまった主たる原因は薬物だったと思われます」

「でも、彼はなぜマオウに拘ったでござるか? 大麻やケシのほうが入手は容易なのでござろう?」

「それについては、恐らく彼にとっての薬物といえばマオウという状態になっていたのでしょう。サキさんには、そこが特別美味しいわけでもないのに行きつけになっているというお店などはありませんか?」


「拙者は長らく旅をしていた身でござるから分からぬでござるが、想像には易いでござるな」

「人は身近なもの、初めて味わったものに執着する生き物です。そして彼は大麻やケシの入手方法は知らず、逆にマオウの入手方法は知っていた。東方勤務の現役の軍人との繋がりさえあればそこからマオウを取り寄せることは可能です。彼がどれだけの期間従軍していたのかは不明ですが、昼間の女性の語り口から考えればそう短くはなかったのでしょう。軍内部にそういった知り合いがいるのかもしれませんし、今の彼の顧客もおそらくは元軍人、それも東方に勤務していた方々なのでしょう」


 つまり、フェリシアは依頼主の服に染みついた香りから薬物の原料を把握し、その薬物の自生地から彼が軍属であったのではないかと予測し、薬物と彼との関係性や思考回路、行動について考察した……ということらしい。

 しかしまだ分からないことは残っている。


「ここまでは分かったでござる。ではなぜイアン殿は一目見て、あの男が彼女のご子息だと分かったのでござるか?」


 私はフェリシアからイアンのほうへと視線を向けるが、イアンは説明が面倒だといった様子で部屋の隅に置かれたソファに寝転がり、そのまま目を瞑った。

 仕方がないので、イアンからフェリシアのほうへと視線を戻す。


「彼は長らく軍人でしたから」

「軍人と言っても見て分かるものではござらぬよ。着ている服が常に軍服というなら話は別でござるが……」

「まあ色々と見分ける方法はありますが、正規軍人は行進の際に常に左足から踏み出すよう訓練されています。これは万国共通の作法ですので、軍人経験が長い人ほど、身体に染みついている癖だと言えるでしょうね」

「歩き方のクセ……でござるか……?」


 そんなもの、気にしたことすらなかった。

 私が驚いていると、フェリシアは得意になってにこりと微笑む。


「私はサキさんを判断する要素として『行動』を用いた。と話しましたね?」


 依頼に行く直前の会話だ。

 確かにそんな話をしていた。


「行動以外にも、外見的な要素も人を判断する要素としては重要なものが多くあります。例えば手を見ただけでも……美容師や理容師は薬指の中節の甲側にタコが出来ていることが多いです。彼らは理容ハサミという特殊な形状のハサミを常用しているので、これはよく見られる特徴です。ギタリストや一部の弦楽器の奏者は頻繁に弦を指で弾く都合上、指先に角質が出来て硬くなります。弓使いであれば、天文筋にタコができていることが多いですね。これは弓を構える際には中指、薬指、小指を用いて構えるためです。こう言った要素をひとつひとつ読み解いていけば、その人がどのような人間なのかは概ね分かってしまうものなのですよ」


 私はフェリシアの言葉に思わず息を飲んだ。

 身体的特徴や身体の動かし方から相手がどのような人物なのかを判別する……。

 彼女が今語ったことは原理的には可能なことなのだろう。しかし、いざこうして「何を見て」「どう判断したのか」を聞くまでに至らなければ、それは端から見れば特殊な魔法のようにしか思われないような特異な技能だ。


「驚いたでござるな……まさか見た目や行動だけでそこまで分かるものとは……」

「ふふ……サキさんは両手ともに第一背側骨間筋と小指外転筋が発達していますね。両手剣を使用する方によく見られる特徴です。他にも中指から小指にかけて、付け根に出来ているタコも同様の理由から現れる身体的特徴です」

「こ、ここまで来ると末恐ろしいでござるな……」


 フェリシアは得意げに微笑むと、それから人差し指を口元に添えて言った。


「私たちは『あらゆる手段を用いて』依頼を解決するプロフェッショナルの集団ですから。イアンには今のような手法の他にも、変装や交渉や医学の技術も教えています。……少し話が脱線してしまいましたね。つまり、イアンは軍属の特徴を持ちつつ薬物常用者でもあり、引き籠もりでマオウの香りのする怪しい男を探して街を練り歩き、見事全ての特徴が合致する人物を見つけ出した……と、これが解答になりますね!」

「おお……」


 本当に魔法のような話だ。

 しかも、それはこの世界に存在するどの魔法よりも一見すると不可思議なように見えて、しかし、極めて合理的で理性的な特異技能なのだ。


 私はフェリシアの説明を聞いて、そしてイアンの実演した技能を見て、心が躍るような気持ちがした。


 私は、魔法を越えたものを求めて忍者になった。

 忍術が何かを私は知らない。だから、それを魔法を越えたものだと定義した。

 だからだろうか、私は思わずこんなことを呟いてしまっていた。


「つまり、忍術でござるな……!」


 私の言葉にフェリシアは思わず口元をおさえて笑い、イアンは「嘘だろ!?」といった様子で私の顔を見て驚愕していた。


「忍術ではねえだろ……!!」

「いえ、忍術かもしれません!」

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