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夜明けのボトルシップ  作者: 高橋
二章 白日の推理
13/15

13話『初任務』

 ヴィリクス市は国内でも随一の交易都市だ。

 早朝から夕方にかけての市場は行商人や交易商たちの喧噪に満ちあふれ、夜になれば仕事終わりの彼らが酒場になだれ込み、一日を通して賑やかな雰囲気を讃えている平和な街だ。


 しかし、そんなのんびりとした街で済ませられるほどこの街は単純ではない。

 ガス灯に照らされた明るい大通りから一歩外れて脇道に入れば、薬物の取引や売春行為などの犯罪行為を目にすることも少なくない。


 光があれば闇もある。

 それはこの国の……いや、この世界のあらゆる場所に言えることだ。


 今回の依頼は、そんなこの街の闇の部分に触れるものだ。


「うちのギルドは基本的にはこの手の依頼は請けないことにしている」

『私たちのような仕事をしていると裏社会との繋がりも大切ですからね。最大多数の最大幸福のためであれば多少の悪意は見逃すことも仕方のないことだと私は考えています』


 イアンの言葉に被せるように、脳内にフェリシアの声が響く。


『ああ、補足ですが、今の考えはあくまで私の考えです。イアンやサキさんに強要するつもりはありません』


 ガス灯に照らされた石畳の上を歩きながら、私は賑わう酒場を見回し、それからイアンのほうに視線を向けた。


「イアン殿はどう考えているでござるか?」

「あ? 何がだよ」

「大通りはこうして平和であっても、裏路地では薬物の売買や売春が平然と行われていることをどのように考えているのか、でござる」


 イアンは小さく「知るかよ」と呟き、それから暫くして口を開いた。


「こういうのは普通は警察の仕事なんだよ」


 私はイアンの言葉に確かにと頷いた。


「では、なぜあの女性はフェリシア殿を頼って……?」

「事情があんだろ」


 そう言うと、イアンはふと足を止めた。


「どうしたでござるか?」

「ああ、獲物を見付けた」

「獲物……でござるか?」

「昼間のババアの馬鹿息子だ」


 イアンの視線の向こうには黒いコートを纏った一人の男が歩いている。

 身長は175くらいだろうか、中折れ帽を目深に被り、酒場のキャッチに声を掛けられるのを無視して迂路通りへと消えていく。


 私はイアンの後ろに付き従って男の後を追うが、なぜ彼が例の女性の息子なのか全く分からない。


「イアン殿? もしかして昼間の女性は以前にも依頼を持ってきていたのでござるか? 昼間話していた内容だけではあの男性がご子息殿とは分からないでござるよ!」

「見りゃ分かる」

「分からぬでござるよ!!」

「それはお前が馬鹿だからだ」

「ば……馬鹿……」


 イアンは足早に路地裏を進んでいき、私も彼を追いかける。

 私は歩きながら昼間のフェリシアと女性との会話を思い出すが、ヒントになりそうなものは何一つ思い当たらない。


 だけど、思い返してみれば不自然なやりとりがひとつだけあった。


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 フェリシアはそんな問いを女性に投げかけていた。

 これ以前の会話にそんなことを仄めかすようなやり取りはひとつもなかった。それなのにフェリシアはなぜかその問いをして、確かに彼女の息子には軍人経験があるという証言を得ていた。


「もしかして……従軍経験があることが何か関係しているでござるか?」


 私がそう言うとイアンは足を止め、物陰に身体を潜める。

 私が彼に質問を投げ掛けようとすると彼は人差し指を立てそれを制止する。

 彼がハンドサインで「見ろ」と示したほうを見ると、男が誰かと話しているのが見えた。


「ヤクの取引だ」


 暗闇の中でよく見えないが、確かに紙袋と紙幣を交換しているように見える。


「でも、薬物かどうかまではまだ分からな……イアン殿?」


 私が振り返った先、イアンはぎらりと瞳を輝かせ、身を屈めていた。


 刹那、路地裏に風が吹いた。

 札束と紙袋が舞い、甲高い金属音が暗い路地裏にこだまする。


「ッ……! 誰だ! テメエ……!」


 気付いた時には男は地面に押し倒され、その目の前には叩き落とされたナイフが転がっている。

 取引相手はその場に倒れ込み、そのまま「ひぃいい!!」と叫びながら走り去って行く。

 私はイアンの元へと駆け寄り、目の前で起きていることが何なのか、ワケが分からず混乱する頭で彼のほうに問いかける。


「い、イアン殿!? 逃げたほうはどうするでござるか!? 追うでござるか!?」

「おい……お前今何売ろうとした?」


 イアンが男の腕を捻ると、売人は呻き声を上げる。


「ぐっ……警察か……? クソ……」

「その受け答え、警察に見つかったら不味いもん売ってるって自白してるようなもんだぜ?」


 イアンは男の腕をしめたまま、さらに関節を逆方向にキツく締めていく。


「がぁああ……っ!! やめろ!! やめてくれ!!! 金か!? 金ならいくらでもやる!!! だから──」

「あぁ? んなもんいらねえよ……!」


 刹那、腕の折れる音が聞こえ、男の悲鳴が鼓膜に刺さる。

 ダンジョンで戦った<<針の王>>ほどの悲鳴ではなかったが、それでも悲痛な声であることに変わりはなかった。


「い、イアン殿……流石にやり過ぎでは……」

「お前は黙ってろ」


 男は泣きながらやめてくれと何度も懇願するが、それでもイアンはその責めをやめることはなく、折った右腕を離すと、同じように左腕を締め上げていく。


「嫌だ!!! 嫌だ!!! 痛い痛い痛いいたい!!!! なんで!? 何が目的だ……!! 金ならやる……ヤクでも、なんでも……!!!」

「んなもんいらねえよ……。今俺が欲しいのはテメエの悲鳴と命だけなんだからなァ……」


 その言葉を聞いた瞬間、男はイアンの顔を見上げ、その狂気に染まった瞳に大きく目を見開いた。

 彼は今から自分が殺されることを悟り、自分が薬物の売人だということをすっかり忘れてしまったかのように、絶叫しようとした。


 もう警察に捕まってもいい。

 この狂った男に殺されることだけは絶対に嫌だ。

 死にたくない!!!

 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……!!!!!


 きっと彼はこのように思ったに違いない。

 しかしイアンは彼の口に、一体どこから取り出したのか……汚い雑巾をむりやり突っ込み叫べなくしてやる。


「~~~っ!!!!! ~~~~~ッッッッ!!!!!」


 男は世の成人男性が一生に一度流すかどうかといったくらいの凄い量の涙を流しながら、顔を真っ赤にして何かを叫んでいる。しかし、口に入れられた雑巾のせいでその声はどこにも届かない。

 イアンは男の耳元で悪魔のような笑みを浮かべ、言った。


「俺はなあ。ヤクの売人を殺して回る正義のヒーローなんだよ……。本当は殺せれば誰だっていいんだけどよォ、そこらの奴らを殺すと世間が黙ってねえからなァ。だけど、お前みたいな悪玉だったら殺しても誰も文句言わないんじゃないかって思ったんだ……今まで我慢してたんだがよ、もう殺人衝動を抑えられねえんだよ!! だから! 俺はお前みたいな悪人を殺して回ることにしたんだぜ……!! ヤクの売人だったら、いくら殺しても世間から文句も言われねえからなあああッ!!!!」


 イアンはまるで狂人のような声でそう叫ぶと、男の前にナイフを見せ付ける。

 男はそれを見て何も出来ず、身体をぶるぶる震わせる。イアンはそれに対し悪魔のような笑い声を聞かせた。


「ヒャハアアハハハハ!!! 見ろよこのナイフ!! これは悪を裂くナイフだ!!! 正義のナイフだァ!!!! これでお前を滅多刺しにして、ぶっ殺がしてやるぜッッッ!!!!」

「~~~~!!!!!!」


 男はもう抵抗する意思も尽きたのか、あまりの恐怖に絶望したのか、ギュッとまぶたを固く瞑って「もごもご」と何かを呟いている。神に懺悔でもしているのだろうか……。

 そんなことをしていると、異様な叫び声を聞いてか聞かずか、向こうのほうから松明を持った何人かの男たちが走ってきた。


「オイ!! そこのお前!!! 一体何をしている!!!」

「クソ! サツが来やがった!!! 逃げるぞ!!!」

「え!? えぇえ!?!?!?」


 イアンは男の後頭部を殴りつけて気絶させると、路地の奥のほうへと走っていく。

 私は何が何だか分からないままイアンの背を追いかけ、警察の怒号を背に受けながら暫くの間走り通すと、追っ手を撒いたことを確認し、その場でほっと息をついた。


「それで、イアン殿……あれは一体何でござるか!?」

「何ってお前……依頼内容覚えてねえのか?」

「ご子息の犯罪行為をやめさせてほしいと……」


 私はそこまで言ってまさかと思う。


「そういうやり方ってありなんでござるか!?」

『私たちは『どのような手段を使ってでも』依頼を完遂するプロフェッショナルな集団ですから……』


 脳内に響くフェリシアの声に私は呆然と立ち尽くす。

 イアンは私のほうを見てさっきまでの狂い方が嘘のように、平然とした声音で問う。


「アイツ、もう一度売人やると思うか……?」

「拙者は……絶対にやらないと思うでござる」

「そういうこった。依頼解決だな」


 確かにこれで依頼は解決するかもしれない。

 あの男は薬物の売買が、裏で悪事を働くことがいかに危険なことなのかを身をもって過剰なまでに体感したはずだ。さすがにあれはやりすぎな気がしないでもないが……。


『依頼は達成しました。あとは昼間の女性がまたお話に来て近況を報告してくれるでしょうし、その時に売買が終わっていればそれで良し。これでも懲りてなければ次はまた別の方法でも考えましょう』


 フェリシアのその言葉に私は些細な違和感を抱く。


「あのご子息は警察に捕まったわけでござろう? では、法廷で裁かれるのでは……?」


 そう言った私の前に紙袋が掲げられる。

 イアンが持っているそれは紛れもなく、彼が取引に使っていた薬物の紙袋だ。


「アイツが自分の取引を自白しない限りは捕まらねえよ。証拠はこっちで押さえたからな」


 私はイアンとフェリシアの意味の分からない行動に頭を抱える。


「警察に捕まれば確実に再犯を防げるでござろう? なぜ? なぜイアン殿は彼に有利になるように薬物を確保したでござるか……? 拙者、もう状況が飲み込めないでござるよ……」


 頭を抱える私にイアンは肩を竦めた。


「お前、最初に聞いてきただろ。なぜあのババアが警察じゃなくて俺たちを頼るのかって」

「聞いたでござる。たしかあの時イアン殿は事情があるのだろうと……」

「あのババアは自分のクソガキを可哀想に思ってたんだと思うぜ」


 私はイアンの顔を見上げた。


「戦争で心を病んでマトモな生活を送れなくなったクソガキに、引き籠もりでもいいから犯罪だけはしないで欲しいと言って、高い依頼料を厭わず俺たちのギルドにまで、藁にも縋る思いで足を運んだ。心を病んで引き籠もりで前科者と来りゃ将来的にどうなるか不安で不安で仕方がねえだろ」

「息子を前科者にすることだけは避けたかった……だから警察には頼りたくなかった……ということでござるか?」

「あくまで想像だがな。俺たちは依頼をこなすだけだ。依頼者の事情も過去も心情も知ったこっちゃねえよ……」


 そう言うと、イアンは懐に紙袋をしまい、裏通りを進んでいく。

 私はつい今しがた起きた出来事を頭の中で整理しながら、彼のあとを歩いていく。


 犯罪が起きる裏には必ず事情がある。

 生活の困窮や人付き合いでのトラブル。仕事が上手く行かなかったり、恋愛が上手く行かなかったりして自暴自棄になっての犯罪もあるだろう。だから、単純な犯罪の裏にも多くの要素が複雑に絡み合っていて、私が今見たものの裏にもきっと多くの事情が隠されていたのだと思う。


 フェリシアとイアンのやり方が正しいのか、間違っているのか、私には断言が出来ない。

 ただ、私は思う。


 光があれば闇もある。反対のことも、きっと言えると私は信じたい。


 彼にはチャンスが与えられた。

 そのチャンスを生かして、しっかりと生きてくれたら私は嬉しい。


 そこまで考えて、私はフェリシアとイアンのこの仕事について少しだけ分かった気がした。まだほとんどの部分は全然分からないし、二人は謎だらけの人物だ。だけど、たぶん彼らは希望を見ているのだと思う。


 イアンと共にギルドへと帰る。

 階段を上り玄関の鍵を開け、中へと入ると、フェリシアとゴゴーレムが出迎えてくれた。


「お帰りなさい、イアン、サキさん。そしてサキさんは初の依頼お疲れさまでした」

「いや、拙者は見ているだけでござったが……」

「いえ、誰しも初めから何でも出来るわけではありませんから」


 フェリシアに出迎えられ部屋へと入る。

 

「でも、サキさんは勘が良いほうかもなのかもしれませんね?」

「勘……?」

「イアンとお話していた従軍経験のお話についてです」


 彼女の言葉に私は思い出す。


「そういえば、どうしてイアン殿はあの男が昼間の女性のご子息だと分かったのでござるか? それに、フェリシア殿はなぜ、急にあの時、会話の中で従軍経験はあったかと聞いたのでござるか……?」


 私はフェリシアに促されるままソファに腰を下ろし、それから、穏やかに微笑む雪のような彼女が何を考えていたのかを聞くことにした。

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