千里の道も一歩から
「死んだと思った」
「ご、ごめんなさい……」
本当に死んだと思った。初めての異世界探索は世界の滅亡と共に俺も滅亡して終わるかと思われたが、小指サイズになったり空を飛んだりというあの地獄を経験した今なら言える可愛い変化から世界を混沌へ叩き落とす変化を経て、なんとか元通りの俺になって天界へ帰ってくることが出来た。
とは言え、無事ではない。割れた太陽が隕石のように次々と地上に落ちてくる事態は、運良く奇跡的に女神の奇跡によって強化された体で叩き返したり砕いたりできたが、全身傷だらけの火傷だらけ。叩き返した拳はずたずたになったし、多分骨も折れてたし、ほとんど瀕死状態にまで陥っていた。
が、天界に引き寄せられたと同時に傷は全て塞がり、痛くて動かせやしなかった体も元通りになった。
最悪死にそうになっても天界に引き寄せて貰えれば助かるらしい。
それなら地上に降りて起きた巨人サイズやらビームやらも引き寄せたら元通りなのではないかと思ったが、女神の手によって変えられた部分は元通りにはならないそうだ。
身体強化だけは残して欲しかったが、この女神にそんな繊細な調整が出来るわけもなく、降りる前と全く同じ状態に戻った。
「もう二度と地上には行きたくない」
「つ、次は大丈夫ですので……!」
「何を根拠に言ってんの? あんなことになっといて何でそんなこと言えんの?」
「あの、その、さっきのは……少しでも危険を減らそうと、その、ハヤトさんの体を強化しようとしてですね……」
「余計なことしやがって……」
傷だらけなのはそのままに俺の体が元のサイズに戻り、世界を混沌に陥れるような変化がなくなった時、すんなりと天界に引き寄せられたところをみるに、地上と天界を繋ぐこと自体は失敗せずに出来るのは本当だったのだろう。得意という言葉を肯定する気にはなれないが。
俺自身の強化だなんて余計な善意を見せなければすんなりと地上に降りられたのだと思う。
そうしたら世界も滅びなかったし、俺の心に盛大なトラウマを残すこともなかった。
この女神は禄でもないことをする。
「で? また滅んだけど」
「……また造ります……」
ぐすぐすと鼻をすすりながら鏡に向かう女神から悲壮感が漂っている。
負けず劣らず俺からも絶望感が漂っているだろうからお互い様だ。
俺の絶望感を引き起こしたのは女神なのだからお互い様でもなんでもないが。
「とりあえず、一回休みで」
「一回休み、ですか?」
「本読んで勉強するから」
とにかくもう、なんでも良いから力が欲しい。
知識だって力になるはずだ。生憎俺は天才でもなんでもないので、全てを覚えるなんて無理だし、増してやそれを実践するなんて芸当が出来るはずもない。
が、なんとかしないと何も出来ずに死ぬか、天界でだらだら1,000年過ごすしかなくなる。
「ってことで、俺は本棚の部屋に籠るから。女神も頑張って世界造っといて」
「は、はい! 頑張ります!」
「あと布団くれ」
「その……最悪びっぐば」
「やっぱいいわ。俺が不安定とか関係なしに起きるんじゃねぇか」
地上から持って帰ってくるしかなさそうだ。
俺が地上に降りて持ってこなくても、ある程度文明が進んだところで引き寄せて貰えば良いだろう。
ところで、教室の中からこちらに連れ出された現在の俺の服装は制服だ。
先程は微生物しかいないと聞いたから気にしていなかったが、この調子では制服のまま地上に降りることになる。
学校が出来るまで文明が発展しないと言っていたから当然制服はないと考えて良いだろう。
人間のいる地上の様子をまともに見れていないのでこの服が浮くのかどうかもわからないが。
案外浮かない可能性だってある。それはまぁ、この後本で読めば分かるだろう。
とは言え、女神に服をどうにかして欲しいと頼んだところで結果はお察しである。こちらも地上で調達するしかなさそうだ。
正直、暫く地上には降りたくないが。次は俺の強化なんて絶対にしないよう言い含めなければいけない。
「ちなみに、この家の外ってどうなってんの?
体も鍛えたいし、走ろうかと思ってんだけど」
「外は……見渡す限り湖です。水の上にぽつんとこの家があります」
「なんもなさ過ぎでは……?」
「天界に手を回す余裕がなくて……」
「逆にこの家どうやって造ったの? よくできたな?」
「えへへ……姉様兄様方がいらっしゃる時もあるので、さすがに湖の上にきて頂くわけにもいかず……なんとか」
「神様ってお互いの世界にしょっちゅう遊びに行くもんなの?」
「いえ、たまにです。ここに最後に人がきたのも数千年前だったと思います。
私が地球に行ったのも数百年前でしたし……」
「その時漫画ないと思うけど?」
「時間の流れが違いますので……恐らくハヤトさんがいた時代から5年程前の時代だったと思います」
こちらの世界のほうが早く進んでるってことらしい。これは嬉しい情報だ。
ここで過ごした1,000年のラグは少ないと考えて良いだろう。
数年は進んでしまうようだが、同級生が少しばかり年上になるくらい……家族や友人、知人が既にいない世界に帰るよりはましだ。
見た目は高校生、中身は爺になっているかもしれないが。
少しだけ上を向いた気持ちと共にやる気も上がる。
よし、特訓だ。生き残る為に特訓をしなければ。
鏡の部屋から出て無機質な乳白色の廊下をかつんかつんと足音を響かせながら歩く。
窓の1つでも付ければ良いのに。まぁ……出来ないか。家が出来ただけでも上出来だろう。
本棚がずらりと並ぶ部屋に入り、何千何万と繰り返してきたにしては少ないこの世界の全てを眺める。
「……よし。やるか」
とにかく詰め込んで、詰め込んで。
俺には時間だけはある。なんせ1,000年もここで過ごさなければならない。
普通に生活していたら知らなかったであろう知識をとにかく頭に詰め込んでいく。
ノートもペンもないので、只管読んで、読んで。
「ハ、ハヤトさん……! 伝染病について何か知りませんか!?」
「……本は読んだけど……どんな伝染病?」
「あ、あの、夜に危険な魔物が出るようになりまして……!
それで、光の代わりになるかと、光り輝く植物を造ったんです……。
すると……光り輝く植物から出る胞子が人に寄生して……っひ、感染力が凄まじく、今では世界中に……」
「症状は?」
「ま、まず、熱を持ちます」
「熱が出る?」
「いえ、熱も出るんですけど、熱を持つんです。
それで、最初は、目が光って……全身が光って……最後は燃えます」
「……そんな伝染病知らねぇよ……あ、待て。項目増えてる……いや、詳しくは書かれてないな。
今女神が言ったことしか書いてない」
「そ、そこに書かれるのはあくまで地上の出来事なので……」
「地上の人が知らないことは書かれないってことね。
まぁ……とりあえず、光り輝く植物ってやつ根絶やしにしたら?」
「あ、その、もう、寄生されていない方がいなくて……魔物も動物も植物も……」
「……その胞子か寄生された人をここに……何も分からない状態で地上に降りたら俺も寄生されて終わるし。
それと、研究施設? とにかく、病原体の研究が出来るような道具も一緒に引き寄せてくれる?」
「……その……ひっ、ぅ……病原体を研究するような施設も……道具も、地上になくて……」
「さすがにどうしようもない……一回休み」
一日中同じ体勢で本を読み続けるのもどうかと、休憩がてら体力づくりの為に運動もした。
気分転換も兼ねて外で運動したいところではあったが、女神が言っていた通り外は一面の湖だった。
天界パワーで湖の上を歩けたりするかもしれないと思い、一歩足を踏み出してみたが普通に沈んだ。
仕方がないので家の中を走り周ってみたが、どれだけ走っても、どれだけ腹筋や背筋、腕立て伏せ等の筋トレを重ねてみても、時間が止まっている俺の体では体力がつくことも筋肉が付くこともなかった。
しかし体の使い方は体に覚え込ませることができたので、本に書かれた体術や武術等の動きを少しずつ覚えさせた。
「日照りです! 干ばつです! もう5年も雨が降っていません……!」
「馬鹿がよ……そうなる前に手出しとけ……」
「その、だ、出してたんですけど、でも、雨が降らなくて……ぐす。
で、でも、その代わり、海水を真水にする技術はこれまでにないくらい発展したんです!」
「その代わり、海が枯れてるんだろ」
「はい……」
「一回落ち着け。冷静になれ。ゆっくり、ゆっくりだ。
ゆっくり奇跡を使え。ちょっとずつ使え」
「は、はい……!」
「多いとか少ないとかは俺が言うから、集中して」
「はい!」
「大丈夫、大丈夫。出来る。雨降るから。
そう、降ってきた……そのままそのまま……あ? 止めろ止めろ! 中止!」
「え、え!? こ、これは……!! 酸性雨……!」
「違う。酸性とか生易しいもんじゃなくてこれは酸だ。
……馬鹿! 止めろって!」
「と、止めてるんです! 止まらないんです……!」
「止めようとしてなんで増やすわけ!? 落ち着け! 大丈夫だから!
焦らなくて良いから! まだまにあ……わない。一回休み」
これだけの知識を詰め込んだところで何になるのかと投げ出した時もあった。
そういう時は馬鹿みたいに寝た。俺は嫌な事があると寝て過ごすらしいとこの世界にきて初めて知った。
不貞腐れて眠り続けて、そんな生活が嫌になって、そしてまた本を開く。
「た、たすけてください……!」
「なに」
「や、槍がですね……! 槍が降ってるんです!」
「は? 何したんだよ」
「あの、戦争が起きてですね……勝たなければいけないほうが劣勢でして……」
「どっちが勝たなきゃ駄目とかあんの?」
「ふ、普段はないんですけど……今回は、それが、滅亡の予兆でして……」
「それで?」
「それで、その……応援してたら槍が……」
「敵味方関係なく?」
「はい……」
「そんな異常気象止める力が俺にあると思ってんの? 一回休み」
魔法の練習をしてみたこともある。
書かれた練習方法をどれだけ試しても何も起きなかった。
本に書かれているのはそれらの力を持つ者の魔法の強化、魔法の種類を増やす方法だ。
俺はそれらを持っていないのだから、練習したところで意味がない。
練習することは早々に止めたが、魔法に関する本を読むのは止めなかった。
「は、ハヤトさん……!」
「あ?」
「せ、世紀末です! 世紀末……!」
「この世界いつも世紀末じゃん」
「そっ……れは、そう、なんですけど……うぅ……。
あの、健康な肉体が大事だと思ったんです……それで、私、今回は人を強くしようと思いまして……」
「で?」
「強く……強くなり過ぎました……人々は暴力によって支配を繰り返すように……」
「ヒャッハーな感じの世紀末になったと?」
「……そう、ぐす……そうです……」
「無理。一回休み」
何をしても、何を覚えても足りない。
そもそも、ここに書かれているのは既にこの世界に存在する文明だ。
滅ぶ度になくなって、生まれたり生まれなかったりする文明。それがあってもなくても、滅んでいるのだ。
それでも学ぶことを止めてしまえば、本当に何も出来なくなる。
新しい何かを見つけることも出来なくなる。
「ハヤトさーーーん!!」
「スナック菓子感覚でサクサク滅亡させてんじゃねぇよ!!!
俺が来てから何回目の滅亡だと思ってんだ!」
「ひゃ、100はいってないと……っ、う、思います……」
「記念すべき50回目だよ! 50!! キリが良いな!!!
せめて直前に言うの止めろ! そんな直前で言われても何も出来ねぇんだよ!」
「す、すみません、すみません……ハヤトさんの勉強の邪魔になってはいけないと……その、なるべく一人で頑張ろうとしてたんですけど……」
「お前の善意は世界を滅亡させるんだよ……!」
「ぅ、ひっ……ごめんなさいぃ……」
全部投げ出して、今すぐ帰りたい。切実に。