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今日も世界は泣き虫女神の善意で滅ぶ  作者: 夕立
第一章 はじまり
1/5

弱り目に祟り目

「あの……! 私……久遠君のことが、す……す、好きです!!」


俺もと返事をしようと口を開いたその瞬間。

夕日が差し込む教室、グラウンドから聞こえてくる運動部の声、夏の大会に向けて励む吹奏楽部の楽器の音。

その全てが一瞬にして、俺の周りから消えていた。


つるりとした乳白色の石で出来た部屋……だろうか。

家具等は何もなく、別の部屋に続くアーチがあるだけのこじんまりとした部屋に俺はいた。

今日の日直が書かれた黒板も、誰かの名前が彫られた机も。

真っ赤な顔で想いを告げてくれた彼女も全て、消えた。


「は……?」


混乱した頭が誘拐の二文字を弾き出すと共に、どくりと心臓が動いた。

かたかたと小さく震える指先は驚く程に冷たいのに、じんわりと湿っている。

冷静になれと思いこませてみても、負の感情だけが溢れ出る全身に息苦しさを感じて吐いた小さな息は震えていた。


父はサラリーマン、母は専業主婦の一般家庭の俺を誘拐しても身代金の額なんて高が知れている。

だったら、人身売買? そんなの、映画や漫画の中だけの話じゃないのか。

柱に刻まれた象形文字のような文字には見覚えがない。

海外だとして、飛行機や船に乗った覚えもない。

仮に教室で眠らされたとして、移動中ずっと目が覚めなかったのか。

誘拐されている間の記憶を消されたのか。それこそフィクションだ。


この先に起きる最悪の事態から身を守るように体を縮こまらせて、けれど目だけは現状を把握しようと必死に動かす。

何もない。あのアーチの先に行けば逃げられるだろうか。

声や物音は聞こえない。俺のような一般人には声や物音をさせていない人間の気配なんか感じられない。

足音1つ鳴らすだけであのアーチから誰かが来てしまいそうで身動きもできず、ここから逃げ出す方法を探す為にただただあちこちに視線を彷徨わせるしかできない。


どれくらいそうしていただろうか。

この部屋に誰かが訪れるどころか物音ひとつ届かないまま時間だけが過ぎた。

いつまでここにいたら良いのだろう。いっそのこともう、誘拐犯でも何でも良いから、誰かここにきてくれないか。


「誰か……」


思わず呟いた言葉は掠れていて、酷く小さい音だった。

うろうろと視線を彷徨わせ、目を閉じる。


もう何も分からない。どうしたら良いのか分からない。

誰か、誰でも良いから……。


『助けて……』


聞こえてきた声にはっと頭を上げる。

耳に届いた悲痛の滲む小さな声は、今の俺と同じく誰かに助けを求める声だった。

どこかに俺と同じような人、恐怖と心細さを共有できる人物がいるかもしれない。


床に縫い止められたかのように動かなかった足をゆっくりと一歩前に出す。

タンっと床を鳴らす足音にびくりと体が震えるが、唇を噛み締め、また一歩、一歩と足を踏み出してアーチへ向かう。


どこからか聞こえてくる泣き声に導かれるように俺の足が動く。

アーチを抜けると今出てきたばかりの部屋と同じ材質で作られたであろう石壁と石の床で出来た廊下に出た。

そう長くもない廊下には別の部屋に続くのであろうアーチが並び、廊下の先には大きな扉が見える。

一番近くにあったアーチの中をそっと覗いてみると、そこには先程の部屋と同じく何もない部屋があった。


扉へ向かいながらアーチの中を覗き見るも何もない部屋ばかりが並んでいたが、大量の本棚が並ぶ部屋が一部屋だけあった。

この場所に人がいると分かるそれに安堵を感じて、しかしその人物が俺の味方とは限らないと頭を横に振る。


ゆっくりと一歩ずつ足を進めて辿り着いた扉にそっと手を伸ばし、恐怖と期待の入り混じる息を吐いて掌に力を籠めれば、ぎぃという音と共に小さく扉が開かれた。

隙間から中を覗き見てみれば、そこには輝く程のプラチナブロンドの長い髪を持つ女性が、大きな鏡の前にこちらに背を向けて立っていた。

扉に近づくにつれて大きくなっていた泣き声の持ち主は彼女のようだ。


ぐっと掌に力を籠めて大きく扉を開くと、その音に気付いた女性がはっとして振り向いた。

長い髪をふわりと揺らして振り向いた女性のこの世の人とは思えない程に整ったその容姿に目を見開く。

透き通った菫色の瞳からはらりはらりと涙を流す悲痛に歪むその姿さえ、宗教画を思わせる程の美貌だ。


「ど、どうしてここに……人間が……」

「あのっ! 違っ……! 怪しい者じゃないんだ!」


俺を見て驚愕の表情を浮かべた女性に慌てて取り繕う。

この女性が俺をここに連れてきた犯人なのかもしれないなんて考えも過るが、こんなにも美しい女性が俺のようなどこにでもいる高校生を誘拐するだなんて考えにくい。いや、考えたくないのか。

やっと人に会えたのだ。こんなわけのわからない状況で会えた人物に縋りつきたくなるのは仕方がないだろう。


「俺! いつの間にかここにいて……学校の教室にいたんだけど、気付いたら何もない部屋で……」

「え……?」


ゆらゆらと揺れる菫色の瞳が探るように俺に向けられる。

害はないとアピールするように口角を上げるも、こんな状況に陥った恐怖から強張ってしまい上手く笑えない。


「そんな……どうして……?」


小さく紡がれたその言葉と共に顔色を失くした女性の瞳からぼろりと大きな雫が溢れ出す。


「……ご、めんなさい……ごめんなさい……」


次から次に溢れ出る大粒の涙に戸惑い、だからと言って彼女を慰める事もできず、絶望に歪んだ顔と何度も繰り返される謝罪の言葉に困惑する。

何を謝られているのか、この場所に2人しかいない事実に絶望しているのか、それとも俺がここにいるから絶望しているのか。


「……どうして、謝られてるのか……」

「っ……わ、私では、貴方を、貴方の世界に……帰してあげる事ができません……」

「は……? 俺の、世界……?」

「……こ、ここは、貴方の知る地球では、ありません」

「……地球じゃ、ない? は、はは……異世界だとでも言う気か……?」


こくりと頷く女性の姿に、落ち着いていた心臓がまた大きく鼓動を始める。


異世界? 誘拐や人身売買よりあり得ない。

そんなの、漫画やアニメの話だろう。俺も読んだことがある。

神のうっかりだったり、交通事故だったり、はたまた過労だったりの様々な理由で人生が終わるその瞬間に、異世界へと転生、または転移されてしまう。そんな話だ。

妄想したことだってある。どんな能力が欲しいかとか、チート能力で無双をしている自分の姿とか。


「う、嘘だ……」


信じられない、信じたくないと思うのに、十数分の間に起きた出来事がそれを嘘だと断定する事を拒む。


「そんなの……どうして俺が!? なんで俺なんだよ!?」

「ごめ、ごめんなさい……」

「謝るくらいなら!!! ……今すぐ、帰してくれよ……」


ぐしゃりと頽れる体に抵抗する気も起きず、床に膝をつく。


学校の教室で死んでしまうようなことが起きるとは思えないが、俺は、死んでいるのだろうか。

せっかく両想いだったのに、返事もできずに……異世界に連れてこられたなんて。

こんなことになるなら、格好付けてないで、クールぶってないで、もっと早く俺から気持ちを伝えたら良かった。

ああでも、伝えたところで、恋人になれていたところで……もう。


「俺は……死んだのか?」

「あ、貴方は、生きてます……!」

「……あんた神様なんだろう? 女神か? なんだって良いや……。

 なぁ、帰せないってなんだよ。俺は生きてるんだろう?

 俺に……俺に何が出来ると思って連れてきたんだよ!?」

「ち、違うんです……! 私が連れてきたわけでは……!

 私は……ああでも、私が、誰か助けてって……願ってしまったから……」

「……頼むから、怒らないから……ちゃんと、話してくれ。

 何がどうしてこうなったか、あんたには分かってるんだろ……」


ひっくひっくと癪利を上げて頷く女性……基、女神の整った顔が悲痛に歪むのを見ても何の心も動かないくらいに、困惑と怒り、絶望だけが俺を蝕んでいた。


「わ、私は、この世界の管理を任された、創造神、です。

 姉様や兄様達のように、私もっ……私も幸せな世界を造りたくて……!

 でもっ、何度も何度も……ほ、滅んでっ……!」

「……」

「さ、参考になるかと、姉様の世界に行った時……たまたま見つけた漫画って言う本を読んだんです……。

 そこには……異世界の人間が世界を救う話が、書かれてました。

 良いなって……私も助けて欲しいなって……思って、しまったんです……」

「……それで? 俺を?」

「ち、違います……! 本当に、思っただけなんです……。

 わた、私は、異世界からの転移や転生なんて、できません……!」

「っなら!! ……なら、なんで俺はここに、いるんだよ……」

「願った、だけなんです……願っただけで、何もしていないんです!」


神が願う事自体が、何かをしたと同義なのではないか。

俺の前にいるこの女神が願わなければ、助けて欲しいなんて思わなければ、俺はここにはいない。


「……俺は、あんたの願いで地球から異世界に転移したんだな」

「っ……転移、というか……神隠し、ですかね……」

「は?」

「転移だと……すぐに姉様が気付いて、貴方を迎えに来るはずです」

「……だったらその姉様とやらに頼んで、今すぐ俺を帰してくれ」

「ご、ごめんなさい……無理、なんです。いえ、今は……無理、です。

 今の貴方はとても不安定で、世界と世界を繋ぐ道を進む事が、できません」

「つまり死ぬと」

「……魂が、消えます」


フィクションでしか聞いた事がないような話ばかりだ。

誘拐を誤魔化す為の作り話だと言ってくれた方がどれだけ楽か。

信じられないような話だが、信じるしかないのだろう。


「……安定したら、迎えが来ると思って良いんだな?」

「それは……はい。私が、姉様に頼めば、きてくれるはずです」

「あんたが頼まなきゃ来ないのか?」


暗に信用できないと告げれば、女神は唇を噛み締め押し黙った。


「安定すれば気付くんじゃないのか?」

「い、所謂……眷属と呼ばれるものになっているので、その……。

 今、貴方は、姉様の世界に……地球に、最初から……存在しない事になっています」


女神の言葉に俺の頭の中は真っ白になった。


順風満帆とは言わないが、普通の家庭に生まれて、普通の人生を歩んだ俺の全て。

俺の両親から、友達から、好きな人から、俺に関する全てが。俺の思い出も心も。

全てが消え失せてしまったと、女神が言う。


「は、はは……俺に帰る場所なんて、ないんじゃないか……」


沈黙が落ちる。


ふと、俺がこの部屋に来た時に女神が見ていた鏡が視界に入る。

そこにはまるで海を作っているかのような雨量の雷雨が吹き荒れ、その雨の勢いに建物が崩れ落ちる姿が映されていた。


「……あの鏡……」

「あの鏡は地上の様子を……っ!?

 ごめ、ごめんなさい! 説明は後でしますので……!」


俺の視線を追って鏡に視線を向けた女神は、慌てたように鏡に向かいしゃがみ込んで手を組んだ。

祈りを捧げるようなその姿に、神様も祈ったりするんだなとこの状況に似つかわしくない感想が浮かぶ。


地上の様子を……見る鏡なのだろうか。ここは、天界と呼ばれるような場所なのか。

今この世界は雷雨に襲われているのだろうか。


見るともなく見ていた鏡の中の雨が少しずつ晴れていく。

雨が止み、雲は晴れ、太陽の見える青空が広がり光が差す。

目の前で繰り広げられる人知を超えた奇跡に息を吞む。

しかし、その奇跡が最悪な事態が待ち受ける予兆へ変わっているのに気付いた俺は、考えるよりも早く女神の肩を荒々しく掴んだ。


「!? おい! 止めろ!! 太陽が……!」

「っ……止まらないんです! 止めてるんです!

 雨はもう止んだのに……お願い! 止まって……!」


鏡にはじわりじわりと太陽が大地に落ちていく様子が映し出されている。

太陽が大地に落ちたら……いや、大地に落ちるまでもなく、全て燃え尽きてしまうだろう。


「世界が大洪水で沈む予兆は止めたのに……!

 お願い……! お願いだから! もう……滅ばないで……!」


ぼろぼろと涙を零しながら、鏡に縋るように泣き叫ぶ女神の肩に乗せたままになっている手を離す事もなく、俺は世界が燃え尽きるのを呆然と見ていた。


火の海に沈んだ世界を映す鏡に泣き縋る女神の姿に少しだけ同情心が芽生える。

怒りや絶望が晴れたわけではないが、助けてと願った女神の心情は理解できない事はない。


助けて、だって?

女神が救えない世界を何も持たない俺が救えるわけがない。

俺にはチート能力どころか何の能力もない。


だけど、帰る場所のない今の俺は、この滅んだ世界で生きていくしかないのだろう。


「……何か……能力をくれ」

「能力、ですか……?」

「加護でもなんでも良い。今の俺じゃ助けるどころか生きる事さえ無理だ」

「あ、あの……最悪ビッグバンが起きますが、良いですか?」

「良いわけなくない!?」

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