8.近づく心
翌日からアマンディーヌは二人分の弁当を持参し、昼はユベールと過ごした。変わらず他の生徒からは言われているような気がしたが、ユベールと過ごす時間のほうが大切で、彼女達に構っている暇はなかった。
こちらに来る前の記憶はかなり薄らいでいるというユベールだが、弁当を食べながら、口にしたおかずで思い出した事をアマンディーヌに話して聴かせた。あちらの世界のことは祖母から聞いて知っていはいたが、年代が違うから聞くことは新鮮で、あっという間に昼時間が過ぎる日が続いた。
はじめはただの同士としての仲の良さだったものが、少しずつ、互いが互いを気遣う言葉、振る舞いが増えた。四阿に姿を見付ければうれしくなって、会えない週末は寂しさしか感じない。毎朝弁当を作りながら、ユベールの喜ぶ顔を想像して作るし、父への弁当よりもユベールの方がおかずが多かったりもした。
そんな日が続いた、雲が多めな日のある昼。
「そのきのこの佃煮はいかがですか? 新作なんです」
「うまいよ。こっちにも生姜ってあるんだな。美味しい。いつもごちそうさま……あ、そうだ、忘れていた。今日はお茶を持って来たんだ」
そう言って傍の袋から細長いポットを取り出した。中には茶が入っており、同じく持参してきたコップに注げば、香ばしい良い香りが拡がった。
「良い香りです、なんていうお茶ですか?」
「麦茶だ、大麦の実を煎って煮出すんだ」
「へえ、大麦を。これもユベール様の故郷のお茶?」
「うん。こちらに来る前はよく飲んでいたよ。君のお祖母様と同じだ、隣国からやってきた隊商が持っていたものを養父が買ってくれたんだ。もう何年も取り寄せている。焙煎された物を買って、時々顔を見にくるついでに持ってきてくれる。あちらでは夏に飲んでいた記憶があるよ。汗をたくさんかく季節に冷たくして飲んでいた。だが、こうしてホットで飲んでも身体が温まって美味いな」
「本当ね、お腹の中からあったまる……おいしい」
コップに口をつけながら、隣のユベールを見れば、とても優しい眼差しで見ているユベールと目があった。ふふっと小さく笑ったものの、とても照れ臭くて視線を逸らした時、ゴオッと突風が吹いた。辺りの落ち葉を巻き上げ、二人も風に包まれた。咄嗟にアマンディーヌの頭を抱えて背を屈めるユベール。弁当を包んでいた布や髪も大きく揺れた。
「大丈夫か?」
「え、ええ。時たま吹くのよね……」
そう言いながら抱きしめられていた腕から抜け出て、飛ばされた物がないか確認していたら、ふいにユベールの手がアマンディーヌの頬に触れた。その手は温かく、頬を包んできて、近づいてくるユベールの前髪は風で乱れ、いつもは隠れていた瞳もよく見えた。その顔は微笑んでいた。
――なになになに、ユベール様なに、かっこいいんですけど!! ていうかどういう状況なの、私はどうしたら!
顔を赤らめ、いよいよユベールの顔が触れる、そう思い、ギュッと目をつぶった時だ。
「葉っぱが、頭の上に……」
そう言って手をのばし、頭の上に乗った落ち葉を取り除いてくれた。
葉っぱを投げ捨てた手は自身が抱きしめた事で乱れてしまった髪を直してから、再びアマンディーヌの頬を包んだ。
「は、わ、ユベール様、ありが……」
ありがとうございます、と言おうとしたが言えなかった。言わせてもらえなかった。アマンディーヌの唇を塞いだのがユベールの唇だと認識したのは、唇が離れたあとだった。すぐ間近に彼の顔があり、熱っぽく見つめ合っていたが、先にアマンディーヌが口を開いた。
「ユッ、ユベール様も頭に葉っぱが。私を庇ってくださったから……」
照れ隠しにユベールの頭の上の葉っぱを取ろうと手を伸ばしたが、その手を取られて抱き寄せられた。
先ほども感じた、ユベールの匂いに包まれる。
――ユベール様の匂い……いい匂い。シダーウッドかな
ユベールの腕の中で、自分のものかわからない鼓動が耳に響く。
そして抱きしめたままユベールはささやいた。
「……ディー、と呼んでも?」
ドキリ、と胸が跳ねた。その優しく低い、耳から直接脳に語りかけるかのようなささやきはアマンディーヌの心臓にも届いた。
"ディー"は家族にしか許していない。もはやユベールの存在は家族を除けば最も近いし、昼食を共にする時間の中で膨らんだ感情は気のせいじゃない。だから、そう呼んでもらえるのは嬉しい。腕の中で身じろぎをすれば、顔が見えるくらいに抱きしめる腕を解いた。
「もちろんです」
「ディー」
腕の中から見上げてくるアマンディーヌに再び口づけを落とす。軽く触れては離れ、を何度も繰り返し、昼時間が終わる予鈴が鳴るまで、抱き合って過ごした。