4.おもしろい女
引き続き、ユベール視点です。
名乗りあってから、そういえば膝を怪我していた事を思い出した。ポケットからハンカチを取り出して、彼女の前にひざまづき膝にハンカチを巻いてやった。
「だっ大丈夫です、そんな! ハンカチが汚れてしまいます」
「清潔なものだから安心しろ、あとで医務室で診てもらえ、いいな」
はい、と小さく聞こえた。
キュッと結んで立ち上がったところで、いきなり手を掴まれた。そして突拍子もないことを彼女が言い出した。
「私の父に会っていただきたいの!」
こいつは何を言うんだ!? 膝に触れたから責任を? いやこのくらいでまさか。何言ってんだこいつ! 困惑していたら予鈴が聞こえた。
「いけない、午後はうるさい先生だった、それは全部召し上がって、ユベール様! 父の予定を確認してからまたお話しできたら嬉しいです。私毎日ここでお昼食べています、では!」
「あ、ちょっと!」
返答する間も無く、弁当を押し付けられた状態で走り去る彼女を見送った。
弁当はとても美味しかった。どれも懐かしい味に似ていて、腹持ちも良く、こんなに満足感を抱いたのはここへ来て初めてかもしれない。
そうして次の日、弁当箱を返すべく東屋へ行ったが彼女の姿が無かった。膝の怪我が悪化? もしかして頭を打っていたから寝込んで?! 午後は授業が身に入らなかった。
その次の日も彼女は現れなかった。彼女の担任に聞けば、この時期と秋口には家の仕事の手伝いがあるからと休暇申請が出ていると教えてくれた。
(家の仕事……?)
帰宅後、ルロワ家について何か知っている事はないか執事に訊ねたところ、王都の端に広大な田畑を持つ伯爵家であることがわかった。何を栽培しているのかは他家もよくわかっておらず、また意味不明な作物を作る彼らと取引をする者も、付き合いのある者も少なく情報は足りなかった。
執事に今日の出来事を話した。
「またですか……その御子息のお名前はなんと? 旦那様にご報告を」
「いや知らない、覚えてもいない。覚える価値もない。養父上に報告は要らない、あんな小物いずれ勝手に消える」
「ふっ、確かに。それでアマンディーヌお嬢様のお怪我の具合は」
「何かにひどくぶつけたようで、擦りむいたのは表面だけのようだ、血は出ていたが元気に走り去ったから骨には異常はなさそうだし、頭をぶつけていたはずだがふらついてもいなかったから」
その様子を思い出しながら笑ってしまった。
「そうでしたか。おや、楽しいお方なのですか」
「うん、退屈しなさそうな、元気のある不思議な令嬢だったよ」
窓の外を眺めて微笑むユベールの横顔を、執事も同じように微笑んで見つめた。
執事は、ユベールの笑顔を最後に見たのはいつだったか思い巡らせた。
――たまたま通りかかった旦那様が連れて帰られた。身なりから、転移者だろうと判断され、子供だったから保護した旦那様が養い親になる事が決まった。幸いにも旦那様にはお子はいらっしゃらなかったから、国の正式な手続きを経て養子となられた。元の世界と違う事ばかりで戸惑うことが多かっただろうに懸命に頑張って来られた。当時は8歳だったからもうじき9年になるが、心から笑った事はなかったのではないか……それほどに楽しいお嬢様だったんだろう、心を許せる方に出会えたのならよかった。