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ドーバー海峡の橋の上で  作者: 根津白山
10/12

本番

ついに放課後を迎えた。


「本日は、お集まりいただきましてありがとうございます。開演は15分後となります。ご着席になってお待ちください」


「優里先輩、今日は司会進行気合が入ってますね」


優里は、雅楽部の他に生徒会を兼任していた。そして、生徒会の後輩が、いつもより気合が入っている優里に話しかけた。


「そうね、今日は、幸信の久々の晴れ舞台だからね」


「優里先輩は、五ノ神先輩と幼馴染なんでしたっけ」


「そうだよ、ここだけの話、今日幸信の演奏聴けてあなたラッキーよ。お金を払ってもそう簡単に聴けないし、払うとしたら、1万円以上する演奏よ」


「え、そんな冗談言わないでくださいよ。本所君ならともかく、幸信先輩って素人なんですよね」


「まあ、聞いてみるといいわ。あ、今日の主役が来たわね」


舞台袖に誰よりも早く、幸信が入ってきた。

「初めは、adagio cantabileアダージョ・カンタービレで歌うように心を滑らかに、途中はどん底から光を見つけてんに昇るように‥‥‥」


「優里先輩、五ノ神先輩何かをブツブツ呟いてて、怖いんですけど」


「久々に見たわ、とんでもなく集中してる時の幸信よ。今、幸信の頭の中では、何度も演奏のシュミレーションが行われてるのよ。指の動き、曲の心象、観客からの見え方、観客の反応などコンサートホールの全てを想定してるの」


「え、そんなことできるんですか?いや、まさか‥‥‥」


優里の後輩は、息を飲んだ。幸信は素人のピアノ弾きだと思っていたが、今目の前にいる幸信の気迫に圧倒されて、『もしや本当はすごい人ではないのか』と半信半疑に陥った。


「そうなの、それが幸信にはできるのよ。人々の心の機微まで想定してピアノを弾くのよ彼は。邪魔しないでおきましょ」


「あ、優里ちゃん、幸信君いる?」


「結衣ちゃん、幸信ならそこにいるよ。今すごい集中してるとこ。昔の幸信が戻ってきたみたいで、いい男になってるよ」


「圧倒的な気迫ね。これほどの迫力を出せる音楽家ってそうそういないわよ。やっぱり本当ならば、今頃世界に羽ばたいてる人材よね」


「本郷さんどうしたの?」


幸信は本郷の存在に気づいた。


「ごめんね、集中してたのに、演奏前にその、応援したくて。幸信君、がんばって、あと、幸信君の演奏楽しみにしてる」


「ありがとう本郷さん。安心して本郷さんの心は奪うのは俺だから」


「ちょっと幸信、自分が言ってる言葉の意味わかってるの!?」


優里が、幸信の突然の発言に思わず突っ込んでしまった。


「へ?」


「あ、こりゃダメだ、昔の女たらしの幸信に戻ってる。そうやって沢山の女の子の心をかき乱してきたんだから。本郷さん、気をつけたほうがいいよ」


「えへへ、ちょっとびっくりしたけど、まあ、嫌じゃないよ」


「これは、これは、皆さんお揃いで」


本所勇人が現れた。モデルのような体型で、本所の雰囲気も周りを圧倒していた。

本所は、保温用にしていた白い手袋を外し、幸信の前に手を出した。


幸信はその手を静かに握った。


「今日は、憎まれ口は叩かないのかよ」


後ろから正樹が、本所に声をかけた。


「正樹先輩、先日は失礼いたしました。憎まれ口なんて滅相もありません。もうすぐ勝敗がつくわけですから言葉なんて必要ありませんよ。音で勝負しますよ。ね、幸信先輩」


「正樹も来てくれたのか、ありがとう、本所君、手加減はしないから全力で来るといいさ」


「おーすごい自信ですね。そうこなくちゃ」


「本所く〜ん、頑張って、隠キャで傲慢で、恐れ知らずの幸信先輩のピアノなんで聞くに値しないって見せつけて〜!」


舞台袖には、本番前の本所を一目見ようと、親衛隊が複数名集まって、本所に声をかけた。

本所は、親衛隊の方を見た。そして、親衛隊に笑顔でも振り撒くのかと思いきや、勢いよく睨みつけ叫んだ。


「黙れ!」


親衛隊は、『ヒッ』と声を上げ後ずさった。


「いいか、幸信先輩の演奏をとやかくいうことができるのは俺だけだ。部外者は黙ってろ!」


鋭いナイフで切り刻むかのように、言葉で親衛隊を切り刻んだ。


親衛隊はというと、『すみませんでした〜』と言いながら、そそくさと舞台袖から立ち去っていった。


「本所君、君はもしかして、どこかで自分の演奏を聴いたことが——」


「はい、それじゃ演奏の方を始めましょうか。幸信先輩本気で来てくださいね。私を失望させないでくださいよ。でないと、本郷先輩は私のものになってしまいますからね」


本所は幸信の言葉を一方的に遮り、演奏会の開始を告げた。


時計の針が16時59分を指し示していた。開演まで後1分。新たな運命の歯車が回転しだす。


————————

17時


「大変長らくお待たせしました。これより本所勇人と五ノ神幸信によるコンサートを開始いたします。司会は生徒会役員神楽優里が務めさせていただきます。よろしくお願い致します。今回は、演奏後にどちらの演奏が良かったか投票していただきます。また、公平を期すため、出演者の紹介は省かせていただき、出演者の前情報なしに演奏を鑑賞していただきます。それでは、1番本所勇人、ベートーベンピアノソナタ8番「悲愴」」


本所勇人は颯爽とステージに現れ、ピアノの前に立ち華麗に礼をした。観客は、本所の魅力に気圧され、魅了され、最大限の拍手を送った。


座席に座り、椅子の高さを調節し、細く長い指を鍵盤に置いた。




1音目を本所が弾いた。




——幸信先輩、俺の音を聞け、聞け、聞け、俺の音に心酔しろ。


予想外にも、本所は本郷や観客に向けてに向けてピアノを弾いていなかった。本所は、幸信に向けて全身全霊で弾いていた。本所の指から奏でられた音は、音の深み、音の繋ぎ、リズム感、音の抑揚、全てが完璧で隙がなく、音で襲うように幸信を包囲した。


幸信は、舞台袖からまっすぐと本所の方を見て演奏を傾聴していた。


——どうだ幸信先輩、俺はこの日のために、この日のために、今までピアノを弾き続けてきたんだ!!

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