「歩雪」
歩雪は自分の机に向かって学校で今日出された宿題と格闘していた。
ちらりと時計を見ると、もうすぐ二十一時になるところだった。焦りと後悔が増す。
(早く終わらせないと……何で帰ってきてすぐに寝ちゃったかなぁー!! 私のバカ!!)
時雨寮の自由時間は二十一時から二十二時の一時間。早くしなければ蓮とゆっくり話が出来なくなる。歩雪はガシガシと頭を掻いて宿題を進める。
二十一時十五分を少し過ぎた頃、無事に宿題は終わった。
「よし、行こう!!」
歩雪は意気込むように立ち上がり、机の上に置いていたポテトチップスの袋を持って急いで部屋を出た。
中庭に面した通路の下駄箱に置いてある自分のサンダルを履き、蓮がいる場所へ駆ける。
いつもの位置に蓮はいた。
「蓮、お待たせ!」
そう声を掛け、立ち止まって呼吸を整える。
蓮を見ると、綺麗な顔に嬉しそうな表情が浮かんでいた。歩雪も嬉しくなる。
「宿題終わった?」
「うん、何とか」
頷いた歩雪は蓮の向かいに座り、ポテトチップスの袋を開けた。香ばしい匂いが一瞬にして広がる。
「お菓子食べたらまた『肌が荒れたー』って騒ぐことになるんじゃない?」
呆れたような顔をした蓮の言葉に歩雪はドキリとした。今は改善しているものの、最近スナック菓子をよく食べているせいか肌が荒れることが多い。
しかし、歩雪にとっては今日は美容より食欲だった。
「いやまあ、それはそうなんだけど……食べたいんだからしょうがないよ! それにこれ小さいサイズだし!」
自分に言い聞かせるように言った歩雪はポテトチップスを口にした。パリッという軽快な音と程よい塩気が食欲を刺激する。そのせいでポテトチップスに伸びる手の速さが増した。
緩やかな風に乗って桜の花びらが数枚、目の前を通り過ぎた。何気なく桜の木を見上げる。
「桜綺麗だねー」
「うん」
淡い光に浮かび上がる桜を見て、歩雪は思い出した。
「そういえば、蓮とここで過ごすようになったのも今時期だったね」
「だね」
蓮の声を聞きながら、歩雪の記憶は一年前を遡っていた。
入学式当日の教室内で蓮を見かけた瞬間「すごく綺麗な子がいる!!」と気になっていた。仲良くしたいなと思ってはいたが、蓮の周りには話しかけるなオーラが放たれており、中々近付くことが出来なかった。
しかしある夜、中庭で過ごしている蓮を見かけた歩雪は咄嗟に彼女のもとへ行き、声をかける口実に「桜綺麗だね」と言った。
その翌日から事あるごとに蓮に話しかけて距離を縮めていき、いつの日からか、この時間は二人で中庭で過ごすのが当たり前となった。
(あの時、蓮に声かけてよかった)
ポテトチップスを食べつつ入学当初のことを思い返していた歩雪は、ふいに部活動中にあった出来事を思い出した。
「あ、そういえば今日部活で面白いことがあってさ!」
そう切り出すと、蓮が楽しそうに話を聴いてくれた。歩雪はそれが嬉しくて、いつもたくさん話をしてしまう。
話が盛り上がっているところに、蓮の携帯電話から静かなオルゴールの音が聞こえてきた。綺麗な音色が、どこか淋しさを感じさせる。
「楽しい時間ってあっという間だね」
「本当ね」
蓮がオルゴールを止め、携帯電話を上着のポケットに入れたのを確認して歩雪は立ち上がった。
ふと空を仰ぐ。瞬く星と優しい光を纏う月が綺麗に見える。
それらを見て自然と顔が綻んだ。
(また明日も、時雨寮の中庭で話せそうだな)
蓮とともに寮の中へ入った歩雪は胸を弾ませる。だがそれと同時に、いつもの時間に遅れてしまったことへの罪悪感が増した。
「蓮、ごめんね。今日遅れて」
「えっ、いや、いいんだよ。気にしないで」
「うん……」
頷いて返事をしたものの、歩雪の心の靄は晴れない。
歩雪はどうするべきか考え、答えを見つけた。
「じゃあ明日は私が蓮の部屋に迎えに行くよ!」
「どうしたの、いきなり……」
「やっぱり〝気にしないで〟って言われても気にしちゃってさー……だから明日迎えに行くね!」
そう言うと、歩雪は蓮の前に跪いて手を差し伸べた。
「お姫様を迎えに行く王子様みたいにカッコよくさ!」
「何言ってんの……」
視線の先の蓮は呆れたような表情をしており、顔を逸らされてしまった。
ふざけ過ぎたかなと歩雪は苦笑いを浮かべる。
しかし。
「……でも、待ってる……」
一転して蓮の顔は赤く、満更でもない様子だ。
(可愛い……!!)
蓮につられて歩雪も顔を赤く染める。そして嬉しさが込み上げてきた。
「うん、待ってて!!」
満面の笑みで伝えた歩雪は、明日は自由時間の十分前に蓮を迎えに行こうと固く心に誓った。