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「蓮」

 高校に隣接された時雨(しぐれ)寮の中庭には、立派な桜の木がある。花びらは濃紺の空に浮かぶ満月に照らされ、淡い紫色に輝いている。


 その近くに設置された椅子に座って桜を眺めているのは、時雨寮に住んでいる志野原(しのはら)(れん)。スッと背筋が伸びた凛とした佇まいは、人を寄せ付けない雰囲気を漂わせている。


 桜の香りを纏った緩やかな風が、腰まで一直線に伸びた彼女の黒髪を靡かせた。


「……お伽話に出てきそう」


 幻想的な風景にふと漏れた声は、静寂に包まれた中庭に響いた。


 蓮は入寮当日から、夜の自由時間を使ってここで過ごしている。その日課も早一年。この時間はみんな室内にいるため、中庭は静かで蓮にとっては過ごしやすい環境だ。


 だが、今は静かすぎる。

 いつもであれば隣の部屋に住んでいる蓮の唯一の友人、髙依(たかより)歩雪(ふゆき)もここにいるからだ。しかし今日の歩雪は部活動で疲れていたのか寮に帰ってきた直後に寝てしまい、学校で出された宿題をやっていなかったため今はそれに取り組んでいる。


「……早く来ないかな」


 小さく呟いた蓮はテーブルの上に置いている携帯電話を手に取り、時計を見る。時刻は二十一時十五分。

 それを確認した後、携帯電話についているカメラのレンズを桜の木に向け、写真を一枚撮った。シャッター音が静かな空間に反響する。


 風に身を任せてひらひらと(くう)を舞う桜の花びらは粉雪のように軽やかだが、どこか儚い。

 蓮は思わず見入ってしまう。


 そこへ、忙しなく駆けてくる足音が一つ。


「蓮、お待たせ!」


 声に反応して振り返ると、ポテトチップスの袋を片手に少しだけ息を切らした歩雪が立っていた。

 蓮は嬉しさを表情に表す。


「宿題終わった?」

「うん、何とか」


 呼吸を整えながら向かいに座った歩雪がポテトチップスの袋を開けた。

 それを見た蓮は呆れたような顔をする。


「お菓子食べたらまた『肌が荒れたー』って騒ぐことになるんじゃない?」

「いやまあ、それはそうなんだけど……食べたいんだからしょうがないよ! それにこれ小さいサイズだし!」


 少し慌てた様子の歩雪がポテトチップスを口にした。

 その美味しそうな音を聞きながら、本人が良いなら良いかと蓮は小さく笑う。


「桜綺麗だねー」

「うん」


 桜を見上げる歩雪に続いて蓮もまた桜に視線を向ける。


「そういえば、蓮とここで過ごすようになったのも今時期だったね」

「だね」


 その言葉に頷いた蓮の脳裏に、歩雪と話すきっかけとなった出来事が浮かんでいた。



 入学したばかりの蓮と歩雪は、同じクラスで寮の部屋も隣同士であっても言葉を交わすことはなかった。


 しかしある夜、いつものように蓮が一人で中庭で過ごしていると、歩雪が「桜綺麗だね」と言いながら歩み寄ってきた。

 突然のことに蓮は戸惑ったが、不思議と嫌な気持ちはなかった。


 その翌日から二人は徐々に話すようになり、気付けば毎日寮の自由時間には中庭で一緒に過ごすようになっていた。



 一年前のことを思い出していた蓮はふと歩雪に視線を向ける。ポテトチップスを食べながら楽しそうに桜を見ている様子が目に映った。

 その横顔を見ながら蓮が微笑む。


(歩雪と一緒にいると居心地がいいんだよなぁ)


 蓮は心の底からそう思っている。しかし、恥ずかしくてそんなことは口が裂けても言えない。

 すると、何かを思い出したように勢いよくこちを向いた歩雪と目が合った。


「あ、そういえば今日部活で面白いことがあってさ!」


 笑顔でその日の出来事を教えてくれる歩雪の話を聴くのも好きな蓮は、それに耳を傾ける。

 身振り手振りが加わった話は飽きるところが一つもなかった。



 話に花を咲かせていると、蓮の携帯電話から静かなオルゴールの音色が聞こえてきた。それが部屋に戻る時間を知らせている。


「楽しい時間ってあっという間だね」

「本当ね」


 蓮はオルゴールを止め、携帯電話を上着のポケットに入れて歩雪と同じようなタイミングで立ち上がる。


 寮に向かって歩いていると、少し物足りなさを感じた。歩雪とは毎日話しているはずなのに今日は何故かそう感じる。


(歩雪が遅れてきたからかな……?)


 答えを求めるように、蓮はそっと歩雪に視線を送った。

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