可愛らしいお客さま、なのです。
「お嬢様。こちらはもう大丈夫ですので、どうぞお部屋でお休みください」
マーガレットの言葉に頷いて、私は宝飾の類を仕舞わせてもらった造り付けの棚の引き出しを閉め、クローゼットを後にした。
『ローズマリー。今回は、こちらの部屋を使ってね』
『パトリックの部屋とは、離れているから安心して』
そう言って、笑顔のロータスお義母さまとカメリアさまがご案内くださったのは、広々と明るい居間と寝室、ゆったりと広く機能的なクローゼット、それに浴室まで揃っている立派なお部屋だった。
今回、私が泊めていただくのは幾室もの立派な客室がある棟で、公爵家の方々の居住区からは少し距離がある。
とはいえそれは、未だ婚姻前ということへのご配慮で、泊まるのは客室だけれど、どの棟へもどの塔へもどのお庭へも、とにかく制限無しで、どこでも行っていい、と公爵夫妻から許可をいただいた。
そのこと自体はありがたく嬉しかったけれど、私はこの広く部屋数も段違いに多いお城のなかを、ひとりで歩ける自信が無い。
ウェスト公爵の領都のお城は想像以上に立派なもので、初めてその威容を目にしたとき、お母さまから聞いていたにも関わらず、私はぽかんと見上げてしまいそうになったほど。
周りを多くのひとに囲まれていなければ、そうしてしまったに違いないと断言できる広大さと荘厳さを兼ね備えたお城だった。
そして同時に思い出すのは、領都で受けた歓迎。
領都を馬車でパレードの如くゆっくりと走り、領民の皆さんの歓迎を受けるのはポーレット領も同じだったけれど、ウェスト公領は、歓迎の熱が違った。
その熱量に驚き、ウェスト公爵家は領民の皆さんからの支持がとても高いのですね、と言った私に、パトリックさまも皆さまも苦笑され、今年は特別だとおっしゃっていたけれど、私も早くウェスト公爵家の人間だと認めてもらえるよう努力しよう、と改めて誓う出来事だった。
そして部屋に落ち着いた今、私は侯爵家から付いて来ているマーガレットと共に、夕食までの時間、休憩と荷ほどきの時間に当ててもらっている。
マーガレットは、私がウェスト公爵家に嫁ぐ際、一緒に着いて来ることになっている唯一の侍女で、今回も同行のお許しをいただいた。
『あ、あの』
今は互いに緊張気味のマーガレットも私も、早くこちらに慣れるといいな、と思っていると小さな声が聞こえた気がして、私はそちらの方を見る。
けれど、そちらは窓で、五階にあるこの部屋に窓からひとが来るとは思えない。
もしかして、テオとクリアが何か、と思ったけれど、テオもクリアも用意されていたクッションが気に入ったのか、仲良く埋もれるようにして遊んでいる。
「気のせいかしら」
呟いた私の視界の先を、何かが過った。
『こ、こんにちは』
そう声を掛けて窓際のテーブルに置かれた花瓶の蔭から出てきたのは、私の手の中指ほどの大きさのとても小さなひと。
このような小さなひとに会ったことは無いけれど、テオとクリアと同じように脳内に直接声が届くので、テオやクリアのお仲間かな、と想像する。
「こんにちは、はじめまして」
声をかけつつ私が近づくと、慌てたようにもうひとり飛び出して来て、私から庇うように最初に声をかけてくれた小さなひとの前に立った。
近づいてみると、ふたりとも薄羽を背に持っていて、とても愛らしいけれど、何処か薄汚れた、疲れた様相をしている。
『お、おれの名はウエハース。お前、名前は?』
「わたくしの名は、ローズマリーですわ。こちらには、ご招待いただいて来ております」
怯えるようにしながらも、もうひとりの小さなひとを護ろうとするウエハースさんに、私は胸があたたかくなるのを感じた。
『わ、わたしはアップルパイ。あの、わたしたち、このようなみずぼらしい姿だけれど、ここの精霊なのです』
そう言うと、アップルパイさんは、哀しそうに自分の姿を見下ろす。
そしてウエハースさんは、そんなアップルパイさんを、悔しさの滲むような瞳で見つめていた。
「あの、もしかしてお困りごとですか?」
傷みの酷い薄羽や、その疲れた様子からそう判断して聞けば、ふたりはこくりと息を呑み、やがて覚悟を決めたように口を開く。
『わ、わたしたち、おなかが、その、すいていて』
『随分長い間、何かに拘束され動けない状態で、半分死んだようなものだったのだが、先頃突然自由に動けるようになった、のは良かったのだが、おれたちは、何でも食べられるという訳ではない』
『その。わたしたちと交流が出来て、わたしたちがその力を取り込めるひとがくれる物でないと食べられないの、です。動けるようになってからも、そういうひとを探せなくて。でも、今日、感じた、から』
そう言って私をじっと見るふたりを、私も見つめ返した。
「もしかしてそれは、わたくしの渡した物なら食べられる、ということですか?」
『そうだ』
そして言われた言葉に頷いて、私は持って来ていたクッキーを取り出す。
「どうぞ」
自由に何枚でも、と思い箱ごとふたりの前に置き、私も近くの椅子に腰かけたのだけれど、ウエハースさんもアップルパイさんも、困ったように見つめるばかりで手を出そうとはしない。
どうしたのかしら?
クッキーは嫌い、とか?
あ!
そうね、お茶が無かったわ。
クッキーだけを食べれば、喉が詰まってしまうから戸惑っているのだろうと気づき、私は慌てて立ち上がった。
「お茶もご用意しましょうね」
『ち、ちがうのです。そうじゃなくて、あの』
気づかなくて申し訳ない、と思う私の袖をアップルパイさんが引き、ふるふると首を横に振っている。
『これ、お前が作った物じゃないな』
ウエハースさんに言われ、私は素直に頷いた。
「はい。うちの料理人が、今朝持たせてくれたものです」
『悪いが、お前がおれたちに食べさせてくれ』
『お手数ですが、お願いしたいのです』
どういう理由か判らないけれど、テオとクリアも同じようなことを言っていたな、と思い出しつつ、私はクッキーを一枚取り、ふたりへと差し出した。
『アップルパイから、やってくれ』
『え?ウエハースから』
こくりと唾を呑み込みながらも、男らしく言うウエハースさんに従い、私は遠慮しそうなアップルパイさんの口元にクッキーを持っていく。
『あ!言っておくが、これを食べさせたからといって、おれたちに願いを叶えてもらおう、なんて見返りは要求するなよ?』
「見返りなんて、要求しません。ご安心ください」
きっぱり言い切れば、ウエハースさんもアップルパイさんも安心したように私の手からクッキーを食べてくれた。
『おいしい』
『ああ。生き返った』
そうして少し元気になった様子のふたりから聞くに、ウエハースさんもアップルパイさんも、千年の昔から土地神さまや仲間たちと共にこの地を守って来たのだという。
千年前から、ウエハースとアップルパイがあったのかしら?
などと思った私は、ふと土地神さまと他のお仲間さんは大丈夫なのかと思い至る。
「あの、差し出がましいことを言うようですが、土地神さまや他のお仲間の皆さまは大丈夫なのですか?」
『大丈夫では、ない。土地神様はともかく、仲間達はろくに動くことも出来ない状態だ』
ウエハースさんが、辛そうに言って目を伏せた。
『それで、あの。ローズマリーがお菓子を作ってくれれば、そしてそれを食べれば、みんな元気になれるのです』
アップルパイさんの言葉に、私は首を捻った。
「わたくしが作ったお菓子、ですか?」
『そうだ。それを食べれば、みんな元気になる。だから、頼みたい』
真摯な瞳で言うふたりに、私が作ったものでいいのなら、と思うけれど、すぐには約束できない。
「わたくしがお作りするのは構わないのですが、こちらの方に了承を得る必要があります」
ここは、ウェスト公領。
ウェスト公爵の許可なく、勝手な真似はできないと私がふたりに告げれば、ふたりとも大きく深く頷いてくれた。
『もちろんだ。ローズマリーは、偉大なる神の大切な方でもあるのだから』
え?
偉大なる神?
そのような方にお会いしたことは、と私が戸惑っているとウエハースさんとアップルパイさんが、テオとクリアの元に飛んだ。
クッキーを食べて、少し元気になったと言っていたけれど、その薄羽は傷んだままで、かなり飛び難そうにしている。
『偉大なる神よ。あなた方の大切なローズマリーの力をお借りしてもよろしいでしょうか。我ら、食に飢えており、ローズマリーの力を必要としているのです』
よろよろと飛んだふたりに、大丈夫?と声をかけようとして、私はウエハースさんがテオとクリアにそう語り掛けるのを聞いて目を瞠った。
テオとクリアが、偉大なる神、ということ?
『偉大なる神よ、どうぞご許可を』
驚く私の前で、アップルパイさんもテオとクリアに頭を下げている。
『『おなかがすいているの?』』
そして、テオとクリアの問いかけに、更に頭を深く下げた。
『あのね。ローズマリーのごはん、とってもおいしいんだよ!』
『それでね。ローズマリーのごはん、すごくげんきになれるの!』
『『ローズマリー、つくってあげられる?』』
敬虔な信者のように跪くふたりに対し、一方のテオとクリアは天真爛漫に答え、私を見あげて来た。
そして、ウエハースさんとアップルパイさんも、期待の籠った眼差しで私を見る。
「わたくしは大丈夫なのですが、公爵さまに了承をいただきませんと」
そこは譲れないのだと言えば、ウエハースさんが、ふん、と鼻を鳴らした。
『偉大なる神の了承を得たのだ。人間の了承など、不要だ』
『駄目よ、ウエハース。ひとにはひとの、決まり事があるのだから』
そんなウエハースさんをアップルパイさんが窘め、ウエハースさんは面倒そうにため息を吐く。
『そうか。ならば了承を得てくれ』
「あの、お嬢様。どなたとお話をされていらっしゃるのですか?」
ウエハースさんの言葉に私が頷いたとき、怪訝な声がしてマーガレットが近くまで来た。
「ああ、こちらウエハースさんとアップルパイさん。この地の精霊さんなのですって」
そう言って、テオとクリアの前にいるふたりを紹介するも、マーガレットは首を傾げるばかり。
「ええと、申し訳ありません。わたくしには、テオとクリア以外何も見えないのですが」
戸惑うように言うマーガレットに驚いていると、ウエハースさんとアップルパイさんが深く頷いた。
『さもありなん。おれたちと交流できる人間は少ない。魔力値が高くないと、姿を見ることも声を聞くことも出来ないのだ』
「そう、なのね。あのね、マーガレット。ここに精霊さんが来ていて、お菓子を作って欲しいと言われているの。でも、わたくしの一存では決められないから、パトリックさまにお伺いしてこようと思うのだけれど」
「判りました。お送りいたします」
マーガレットには見えていない存在の話なのに、疑うこともせずそう言ってくれるのが嬉しい。
「ありがとう、マーガレット」
心から言えば、マーガレットが淡く笑ってテオとクリアを見た。
「お嬢様が、そういった存在に好かれる方だというのは学習済みです。お任せください」
テオとクリアのことも、精霊のようなもの、と説明され、そう理解しているマーガレットは私に危険が無いならそれでいい、と先頭立って歩いて行く。
「マーガレット。パトリックさまのお部屋をお教えいただかないと」
どなたかに声を掛けて、と思う私をマーガレットが不思議そうな目で見た。
「さきほど、お嬢様もお教えいただいていましたよね?」
確かに、私がお借りする部屋に行く前、パトリックさまがエントランスで教えてはくれたけれど、棟も違うパトリックさまの部屋が何処なのか、私にはさっぱり判らない。
「そうだけれど。一度聞いただけでは」
「問題ありません」
きりりと言い切ってから優しい笑顔になったマーガレットが、再び迷いなく歩き出す。
「え?もしかして、あの一度の説明で判ったの?」
初めてのお城で、言葉だけの説明で、既にしてその場所が判るらしいマーガレット。
ゆ、優秀過ぎ。
動揺のあまり立ち止まりそうになった私は、マーガレットに置いて行かれれば即迷子、という現状を思い出し、ウエハースさんとアップルパイさんをその頭に乗せたテオとクリアを抱き直して、懸命にその背を追いかけた。
ブクマ、評価ありがとうございます。
とても嬉しく、励みになります。
読んでくださってありがとうございます。




