婚約者の風魔法は、穏やかな風と戯れる若葉のようでした。
「それでは、これより風魔法の取得を行いたいと思います」
「よろしくお願いします」
風魔法取得の日。
私の所属する寮まで迎えに来てくれたパトリックさまの転移魔法で、私たちは緑と風の気持ちがいい場所へと来た。
パトリックさまのお話によると、ここは釣りをする予定の湖の奥に位置する森のなかとのことで、その開けた場所には木の切り株なんかもある。
誰もいない、清涼なこの場所が風魔法取得に最適だ、とパトリックさまは言っていた。
「ああ。今のは冗談だから、そんなに緊張しなくていいよ、ローズマリー」
生真面目な様子で取得開始宣言をしたパトリックさまは、がちがちに緊張して答えた私に、ごめんごめんと笑顔を向ける。
「パトリックさま?」
「ローズマリー。身体の力を抜いて、俺を信じて、俺だけを感じて」
言いつつ、パトリックさまがお手本のように大きく息を吐く様子を真似して、私も同じように大きく息を吐き出した。
「うん、そう。上手だよ」
向かい合うパトリックさまの、軽く重ねられた両手が、私の喉元の少し下、胸元の少し上へと近づく。
パトリックさまの手が、触れそう。
「力、抜いて。大丈夫。怖いことも、君が嫌がることもしない」
緊張に硬くなった私に優しく言ってくれるパトリックさまの声は、どこまでも穏やかで優しい。
見あげる瞳も、いつも通りの静かさを宿して私を見つめている。
「はい。パトリックさま」
その瞳に吸い込まれるような錯覚。
それが私に安寧をもたらし、自然と緊張がほどけていく。
「そう、上手だよ。そのまま、俺の魔力を感じて」
「パトリックさまの、魔力」
他人の魔力を感じるなど初めてで、どうしたらいいのかも判らない。
けれど、パトリックさまの両手から温かな何かが溢れるのを感じて、私はそっと目を閉じた。
例えるなら、それは穏やかな風と戯れる若葉。
優しく鮮やかな緑が、私のなかへと流れてくる、優しい感覚。
これが、パトリックさまの風の魔力。
その優しさに包まれ、私は、安心してゆったりと身を委ねた。
まるで母の胎内にいるような幸福感に、私の意識も溶けていく。
胸が、熱い。
やがて、一点に熱が集中するのを感じる。
でもそれは、辛いものでも厭うものでもなく、生きて行くための力のように、私の鼓動と重なっていく。
そして、熱と鼓動が完全に重なったとき。
「ローズマリー」
パトリックさまに呼ばれ、瞳を開けば、そこには優しく穏やかな、そして嬉しさを隠さない眼差しのパトリックさまが居た。
「ローズマリーは、本当に最高だね。俺の力を、迷うことなく受け入れてくれた。完璧だよ」
そう言って、私を優しく抱き寄せるパトリックさまを、私はそっと見上げる。
「とても、温かくて優しい力でした。まるで、穏やかな風と戯れる若葉のような」
感じた力をそう例えると、パトリックさまが本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとう。俺の力を、そんな風に感じてくれて」
「お礼を言うのは私の方です。これほどに素敵な魔力を授けてくださって、ありがとうございます。あ、今のは師匠ともいうべきパトリックさまへの感謝の言葉なので、『くださって』でいいと思います」
私が言うと、パトリックさまが楽しそうに私の頬をつついた。
「うまいこと考えたね。回避が上手になった」
そう言ってパトリックさまは、本当に楽しそうに私の身体を揺らす。
「あの。連絡蝶も、飛ばせるようになりましたか?」
「そうだね。まだ難しいかもしれないけれど、やってみようか」
そう言って、パトリックさまは自分の連絡蝶を出して見せてくれた。
「きれいな蝶ですね」
初めて見るパトリックさまの連絡蝶は、きれいな紅色を基調として、そこに茶色の複雑な模様が刻まれている。
その連絡蝶が運んでくれた言葉は『よく頑張ったね』。
パトリックさまからの誉め言葉が嬉しい。
「ローズマリーもやってごらん」
言われ、私はパトリックさまが隣で教えてくれるがままに魔力を手に籠め、『ありがとうございます』の気持ちを形にするよう意識する。
「わああ」
そうして集中すること暫く。
そこに出現したのは、美しい若葉色の蝶。
なんて、きれいな。
初めての私の連絡蝶に、私は、声にできないほど大感激して、連絡蝶とパトリックさまを交互に何度も見つめてしまった。
「最初からそこまで出来るなんて、ローズマリーはやっぱり凄いね」
パトリックさまも嬉しそうに言ってくれて、私は有頂天になる。
「私の連絡蝶。若葉色で、とてもきれいです」
憧れ続けた風魔法。
その象徴のように感じていた連絡蝶を前に、私は興奮を抑えきれない。
この子が、私の連絡蝶。
思えば、愛しさが込み上げる。
「連絡蝶は、魔力に応じて自分で模様や色を変えられるよ。流石に、今は未だ難しいと思うけど、ローズマリーなら絶対出来るようになる」
パトリックさまの言葉に、私は、けれど首を横に振った。
「私の連絡蝶は、ずっとこの色にします。だって、パトリックさまが私に授けてくださった、パトリックさまの風魔法の色だから」
「っ!」
そう言って、嬉しさ全開の満面笑顔のままパトリックさまを仰ぎ見ると、何故かパトリックさまが顔を片手で抑えている。
「パトリックさま?どこか具合が?あ、もしかして私に魔力を渡してしまったから」
「違う。魔力譲渡は関係ないし、もちろん体調も問題ないよ。ただちょっと他のことで、その、まだ鍛錬が足りてないだけだから、大丈夫。それより、そろそろ湖に移動しようか」
焦って言えば、パトリックさまが魔力や体調に問題は無い、と言ってくれた。
「本当に大丈夫ですか?ふらついたりは?」
「うん、ないよ。大丈夫。ほら、行こう」
木の切り株に置いておいたバスケットを手に取り、パトリックさまは反対の手を私へと伸べる。
見習わないと。
その手を取りながら、思う。
パトリックさまはもう充分凄いのに、まだ鍛錬が足りないという。
私を気遣って、魔力にも問題は無い、と言ってくれるけれど、実力者であるパトリックさまにとっても、魔力譲渡は大変なことだったのではないか、と私は思う。
物凄く力のあるパトリックさま。
そのパトリックさまが大変だと、更なる鍛錬が必要だと感じるほど、今回の魔力譲渡は力の要ることだったに違いない。
それでも、パトリックさまは私に風の魔力を授けてくれた。
「パトリックさま。本当にありがとうございます。精一杯精進します」
私は感謝の気持ちを籠めてパトリックさまの手を握り、瞳を見つめる。
「ローズマリー」
そうすると、パトリックさまは何故か再びバスケットを木の切り株に置いた。
そして、私の手をそっと放す。
「パトリックさま?」
何か気に入らないことでも言ってしまったかと思うけれど、パトリックさまは優しい瞳のまま、大切そうに何かを取り出した。
「これを、ローズマリーに。風魔法が使えるようになった記念と、それから、俺とローズマリーの、初めてのふたりだけでの外出を記念して」
そう言ってパトリックさまは、そっと私の手を取り。
「いい?」
少し不安そうに、尋ねてくれた。
「はい」
迷わず頷いた私を嬉しそうに見て、パトリックさまは私の指に、その指輪を嵌めてくれた。
金細工が見事なその指輪は、透かし模様が特に美しい。
「できるなら、ずっと着けていて欲しい」
「はい、パトリックさま」
迷わず言えば、パトリックさまが悪戯っぽく笑った。
「お風呂のときや寝るときは、外していいからね」
そうしてパトリックさまと私は、森をゆっくりと歩いて湖を目指す。
当然のように繋がれたパトリックさまと私の手。
そして、私と繋いでいない方のパトリックさまの手には、私が持って来たバスケットが揺れている。
更に、私の指にはパトリックさまから贈られた指輪。
その美しい金色が、木漏れ日に時折きらりと光る。
なんだかとても幸せで、私は足元も輝いているような気がした。
「ローズマリーと居ると、景色がいつもよりきれいに見える」
ぽつりと呟くように言ったパトリックさまが、焦ったように私を見る。
声にしていう筈ではなかった、とその目が物語っているけれど。
「私も、パトリックさまと居ると足元まで輝いて見える、と思っていました」
私も同じだと伝えたくて、パトリックさまの気持ちが嬉しいと伝えたくて、恥ずかしかったけれど私もそう音にして。
なんとなく、ふたりで照れ合って、それなのにお互い見つめ合って、繋いだ手には力を籠めてしまった。
「ローズマリー」
「パトリックさま」
森が途切れる間際。
湖で遊ぶ人たちの声が聞こえてくる、そんな場所で私たちは見つめ合い、少しずつ近づいて。
「パトリック!ここにいたのね!もうすっごく探したんだから!」
聞こえた声に、それまでの甘やかな雰囲気とは違う意味で見つめ合ってしまった。
ブクマ、評価ありがとうございます。
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読んでくださってありがとうございます。




