表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/100

婚約者と話し合いをするよう・・なのですが。




 「で。ローズマリー。君はあの迷惑女の言うことを本当に信じたのかい?」


 リリーさま達と別れ、パトリックさまに手を引かれるままに連れて来られたのは寮にあるパトリックさまの部屋。




 男子寮なのに、管理課の許可が下りて夜間でなければ女子でも個人の部屋まで行って大丈夫、というのはなかなかに緩い規則よね。




 なんてことを現実逃避気味に思うのは、ゆったりとしたソファの向こう側に座るパトリックさまから冷気を感じるからかも知れない。


 発せられた言葉も、静かなのにどこか責めるような響きがあって、何だか怖い。


 「信じた、というか」


 その圧に押されるように、私はそっとパトリックさまから視線を外し華奢な造りのカップに手を伸ばした。


 私は別に、激烈桃色さんの言うことを信じたわけではない。


 ただ、リリーさまから聞いた物語ではそのような展開になるらしいので、そういうものなのかと思っただけ。


 けれど、それをそのままパトリックさまに告げるのは憚られる。


 


 それこそ、私の方が虚言癖ありとみなされるかも。




 思っていると、パトリックさまが優雅にカップをソーサーに置いた。


 「ええと何だっけ。確か、僕もアーサーもあの迷惑女に夢中になって君とリリー嬢を捨てたうえに断罪する、だっけ。君はそれを信じたのかな?僕にとっては許しがたい言葉だったんだけれど」


 にっこり笑顔で駄目押しのように言うパトリックさまの目が全く笑っていなくて、私は思わず顔が引き攣るのを止められない。


 「第一、どうしてあの迷惑女はいきなり君に言いがかりをつけたりしたんだろう。前に面識があったりするのかい?」


 笑わない目のまま笑顔で問われて、私はふるふると首を横に振った。


 「今日のあれが、初対面です」


 声まで震えてしまうのに、怖さが極限で却ってパトリックさまの目を逸らせない。


 「それなのに、あの迷惑女は君のことを知っていた。それに、リリー嬢やアーサー、僕のことまで。どういうことなんだろう」


 呟くパトリックさまに、そういえば、と思う。


 私は、リリーさまから物語のことを聞いていたから名前を聞いて彼女が主人公だと判ったけれど、何も知らないパトリックさまにしてみれば不思議で仕方ないのだろう。


 でも。


 「アーサーさまもパトリックさまも有名ですから。どちらかで見かけて知っていたのだと思います」


 王子殿下であるアーサーさまは言わずもがな、パトリックさまも生徒から既に一目置かれている。


 直接話したことがなくても、彼らを知らない人間の方がこの学園には少ないと思う。


 そしてそのついでのようにパトリックさまの婚約者である私のことも認識されている。


 そういうことなのだと私は納得するけれど。


 「うん、まあ。僕のローズマリーは可愛いからね。どこかで一目でも見れば二度と忘れるなんてことは無いと思うよ。でもね」


 


 僕のローズマリー?




 その後も、何だか聞き慣れない不可解な言葉が聞こえた気がするけれど、冷気を放ったままのパトリックさまに聞き返す勇気は無い。


 「だけどね、ローズマリー。君の方はどうなのかな?あんな風に初対面の人間にいきなり言われて、それをそのまま信じるような君ではないよね。もしかして、あの言葉には何か裏があるのかい?君は、それを知っているの?」


 私が激烈桃色さんの言葉を否定しなかったことを、そんな風に予測してパトリックさまが私を見る。




 見透かされそう。




 怜悧な瞳で見つめられて、私は背が竦む思いがした。


 改めて、このひとは未来の王太子側近第一候補なのだと納得する。


 「知っている、というか」


 「うん」


 逸らすことなく真っすぐに見つめてくる、はしばみ色のきれいな瞳。


 「正確に言いますと、わたくしは知っている訳ではありません。リリーさまから聞いて、知っているだけです」


 その真摯さに逆らえず簡潔に言えば、パトリックさまが不思議そうに眉を寄せた。


 「どういうこと?リリー嬢は何かを知っていて、君にその情報を伝えた、ということなのかな?」


 パトリックさまの問いに、私はこくりと頷きを返す。


 「はい。リリーさまがおっしゃるには、今わたくしたちが存在するこの世界は、リリーさまがご存じの物語の世界、なのだそうでございます」


 「この世界が、物語?」


 益々不思議そうになったパトリックさまを見て、さもありなんと思う。


 自分が生きている世界が物語だと言われて、そうですかとすぐに納得できる人などいないだろう。


 「はい。リリーさまにお聞きした内容によりますと、その物語の主人公は先ほどのデイジー マークルさまで、この学園で幾人もの殿方を夢中にさせるのだそうです」


 とはいえ、今の私にできるのは私がリリーさまから聞いた物語をパトリックさまに説明することだけ。


 もしかしたら、リリーさまは私とふたりだけの秘密だと思っていらしたかも、という考えがちらと脳裏をかすめたけれど、威圧の籠った冷気を放ち続けるパトリックさまに嘘を吐きとおせるほど私の心臓は鋼ではない。


 「あんな女に篭絡される愚か者。そのなかに、僕とアーサーもいると」


 吐き捨てるように言って、パトリックさまが嘲るように笑った。


 「はい。登場人物のなかでも、おふたりは殊の外人気がおありになるのだとか」


 その冷たい表情に心底慄きながらも、私は何とか言葉を紡ぐ。


 「その物語のなかで君は?」


 私の怯えに気づいたように、パトリックさまの表情が少しだけ緩んだ。


 そのことに、ほう、と肩の力が抜ける。


 「わたくしは、悪役令嬢リリーさまの腰巾着で、実行犯のような役目を担っているようです」


 


 考えてみれば、私の役どころはかなり損なのではないかしら。


 簡単に切り捨てられる、とかげの尻尾。


 まあ、実行犯の私が罪を被ってリリーさまをお守りできるならいいけれど。




 「腰巾着で実行犯?君が?」


 思っていると、パトリックさまが面食らったような表情になった。


 子どものように目をまん丸にしていて、なんとなく可愛いと思ってしまう。


 「はい。リリーさまの婚約者であるアーサーさまと、わたくしの婚約者であるパトリックさまのお心を奪ったデイジー マークルさまをいじめたりするそうですわ」


 「どんな風に?」


 先ほどまでの冷気は鳴りを潜め、何となく楽し気な雰囲気になったパトリックさま。


 こんな風にパトリックさまの色々な表情を見るのは初めてで、こんな時なのに私は何だか嬉しくなった。


 「ええと、廊下を歩いていて唐突に言いがかりをつけて貶めたり、焼却炉で教科書を燃やしたり、ハンカチをわざと自分で汚して彼女のせいにしたり」


 言えば、パトリックさまがくつくつと声を潜めて笑う。 


 「それを君が?」


 「はい、わたくしとリリーさまとで行うようです」


 「出来ないよね。ローズマリーはそんなこと」


 有り得ない、と最早完全に笑いながらパトリックさまがカップを口に運ぶ。


 「確かに、わたくしもリリーさまも出来そうにありません。なので、わたくし共は気持ちよく送り出してさしあげようと思っております」


 「そうだよね。君はリリー嬢の友人であって腰巾着でもないしね、って。ちょっと待とうか。送り出すってなに」


 それはもう楽しそうに笑っていたパトリックさまの動きが、ぴたりと止まった。


 「はい。お邪魔はいたしません、ということです」


 大丈夫です、と力強く言えばパトリックさまが焦ったように身を乗り出す。


 「邪魔しない、ってそんな寂しい。ローズマリーは、生まれたときから僕の婚約者だよね?」


 「お会いしたのは、さほど前ではありませんが」


 確かに、パトリックさまと私は生まれたときからの許嫁、婚約者だけれど、初めて会ったのは社交デビューのとき。


 つまりはほんの三ヶ月ほど前のこと。


 幼い頃から共に在って幼なじみの関係でもあるアーサーさまとリリーさまほど、近しい間柄ではない。


 「そんな淡々と寂しいことを言うなんて。16年間一度も会わなかった弊害か?」


 右手の指を自身の顎に当て、パトリックさまが衝撃を受けたように呟くけれど、事実なのだから仕方ない。


 それに、だからこそ醜い嫉妬などしないで済むということでもある。


 「あの、パトリックさま」




 婚約破棄も厭わない。


 


 今のこの場でそう確約してもいいほど、絶対本当に邪魔はしないと思う私が、その決意をきちんと説明しようとその名を呼べば。


 「うん、それで。その物語は、そのような意地悪な場面ばかりなのかな?」


 気持ちを切り替えたような、優しい笑顔のパトリックさまに問いかけられた。


 「いいえ、物語は基本恋物語だそうですので、幸せな場面もたくさんあるそうです」


 「例えば?」


 裏の無い温かな目を向けられ、混乱しつつもどこか安心した私は、紅茶で喉を潤しながら、リリーさまから伺った話を頭の中で整理する。


 「例えば、街でデートをする、ですとか、湖にふたりで行く、ですとか、パトリックさまに何か軽食を作ってさしあげる、というものがあるそうです。どれも、とても幸せな場面だそうです」


 それらの場面画像、リリーさまがスチルと呼んでいたものはとても美しいのだと聞いた。


 確かに、想像するだけでも楽しそうな様子が目に浮かんで、私も思わず笑顔になる。


 「それはいいね。デートもいいし、何より軽食を作ってくれるなんて最高だ。ねえ。ローズマリーは、僕に何を作ってくれるの?」


 パトリックさまも心惹かれたのか、わくわくした様子で聞いてくる。


 そんなパトリックさまにも親しみを持ちつつ、私は小さく笑った。


 「いえいえ、わたくしではありません。デイジー マークルさまです」


 パトリックさまの誤解が楽しくて、明るい声でそう言ったのに。


 「それ、にこにこして言うことじゃないよね?今のは僕と君の場面じゃないの?」


 パトリックさまに憮然とされてしまった。


 「違います。パトリックさまとデ」


 「言わなくていい。ちょっとこっちにおいで、ローズマリー」


 食い気味に言葉を封じられ、パトリックさまに小さく手招きされる。


 「どうかなさいましたか?」


 再び不機嫌になったパトリックさまに不安を覚えつつ近づけば。


 「よっ!」


 「なっ!!??」


 パトリックさまは、悪戯が成功したような満面の笑みで私を膝に抱きあげた。


 余りのことに凍り付いた私は、上手く声を出すこともできない。


 「ふふ。不安定で怖い?でも、これなら平気だよね?」


 言いながら、パトリックさまはご自分の左足に私を座らせ、左腕で支えて安定させてくれる。


 確かに、不安定ではなくなった。


 それどころか、とても安定している。


 それはもう、見かけよりずっと逞しいパトリックさまの腕によって。


 「あ、あの、パトリックさま。皆の目が」


 どうしていいか判らず挙動不審になって周りを見渡すけれど、侍女も護衛も温かく見守ってくれるばかり。




 お願いだから、そんな微笑ましい目で見ないで!


 居たたまれないから!




 内心で叫ぶも、パトリックさまが動揺することはなく。


 「誰も気にしない」


 はっきりきっぱり言い切った。


 「わたくしが気にします」


 私を囲うパトリックさまの腕は強い。


 それでも、何とか膝から下りようとするのに、ぴくとも動けない。


 足や手を、かろうじてぱたぱた出来る程度。


 「俺は、違うことが気になっているよ」


 私の抵抗を難なく、どころか楽しそうに受け止めてパトリックさまが言う。




 え?


 ちょっと待って。


 パトリックさま、今『俺』って。 




 「違うこと、とは。なんでしょう?」


 パトリックさまから初めて聞く一人称に驚きつつも、冷静さを装って聞けば。


 「始めの問いにも通じるけどね。その胸糞悪い物語、君は信じたのかってこと」


 パトリックさまの言葉遣いが、何だか汚くなっていた。


 冷静沈着で非常に優秀な完璧公爵令息。




 世間一般に広まっているあの評判は、外面というものだったのですか、パトリックさま!


 いえ、私だって自宅に居るときや心の中では私って言っていますけれど!




 惑乱しつつ、私はパトリックさまの目を見た。


 こんなに近くで見ても、濁りの無いきれいな瞳。


 「ね、どうなの?信じているの?」


 その瞳が、じっと私の目を覗き込む。


 「さ、最初に聞いたとき不思議には思いましたが、リリーさまが嘘をおっしゃるとは思えません。それに事実、デイジー マークルさまは転入されて来ましたし、先ほども最後まで『君だけだ。誰よりも愛しいよ』と、パトリックさまがおっしゃるのだと叫んでもいらっしゃいました。ありもしないことを、女性が大勢の前であのように叫ぶものかと思います」


 そうなのだ。


 わざわざ多くのひとの前で、自分の品位を落とすような嘘は吐かないと思う。


 「つまり、俺が浮気していると」


 結果、私がそう思っているということを断定されかけるけれど、それも何か違う。


 「浮気、といいますか。そもそも自由と・・っ」


 誰を選んだとしても、それはそもそもパトリックさまの自由では、と言いかけた私はパトリックさまに睨まれて口を噤んだ。




 怖い怖い怖い!


 その目、怖いですパトリックさま!




 「でも、少しおかしくないか?ローズマリー。さっき君も言ったよな。あの迷惑女曰く、俺があの迷惑女に向かって有り得ないことを『仰る』のだ、と言っていたと。つまり未だ俺は言ってはいないということだろう?まあ、君以外にそんな言葉未来永劫言わないけど。それはどういうことなのかな」


 冷静なんだかどうだか判らない語調でそう聞かれ、私も言葉を振り返る。


 「いえ、あの。そう言われれば、不思議なのですけれど。そういう予知も出来る方なのかと」


 「つまり君はあの迷惑女の妄言を信じて、俺を信じないと」


 「パトリックさま」


 追い詰めるように言われ、困ってしまった私の髪をパトリックさまが撫でる。


 その手つきも私を見つめる瞳も、とても優しい。


 「そんな顔しなくていい。君がリリー嬢に絶対の信頼を寄せていることは知っているし、そのこと自体は間違いでもないと思う。だから彼女の言うことを信じる気持ちも理解できる。ただ俺は、あの迷惑女もリリー嬢と同じようにその物語を知っているのではないかと思うんだ」


 言われて、私は納得した。


 激烈桃色さんも、物語を知っている。


 だとすれば、その物語の主人公である自分に周りが傅くと思っていても不思議はない。


 「なるほど」


 そういうことなのか、と頷く私の髪をパトリックさまの指がくるくると絡め取った。


 思えば、こんな風に近づいたのも、髪に触れられるのも初めてで、まるで髪にも神経があるような恥ずかしさが込み上げる。


 「そして、リリー嬢が知っている物語と迷惑女が知っている物語には齟齬がある。そう考えれば、何故かアーサーが君の婚約者だと思い込んでいたことにも理由が付く。でもまあ、それはそれとして。俺を信じられないローズマリーには、お仕置きが必要かな」


 「お仕置き?」


 楽しそうに言うパトリックさまに私は戦慄した。


 自慢ではないけれど、痛いのはとても苦手。


 「そう。お仕置き」


 そんな私を他所に、パトリックさまはうっとりと言いながら私の髪に唇を落とした。


 「ずっと君を。君だけを見つめ求めてきた俺の気持ち、これからしっかりと判らせてあげるよ。俺の可愛いローズマリー、楽しみにしておいで」


 初めて会った三ヶ月前の、私のパトリックさまへの第一印象は。


 凛としていて冷静で、高い知性を感じさせる笑みを浮かべた完璧な公爵令息、だった。


 それこそ、評判通りの。


 けれど今、目の前に居る彼は悪戯っぽい笑みを隠そうともしない、一人称『俺』なひと。




 これが、パトリックさまの素?




 混乱しつつも、私はそのままパトリックさまの膝の上で時を過ごした。


 なんとなく。


 思っていたのと違う覚悟が必要な気持ちを遠くで感じつつ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ