抗う人々 ~ななつめ~
「う......?」
トリシアが猪突猛進に王宮を目指していた頃。
港で闇の精霊に昏倒させられた王太子は、ひどい吐き気と頭痛を感じて目を覚ました。
父王に対する怨みつらみに取り憑かれ、己が欲望のままトリシアを連れ去ろうとした彼。
だが目が覚めた瞬間、王太子は自分のやらかしたことを自覚して顔を青ざめさせる。
......私は一体、何をした?
か弱い女性を拉致し、船で国を出ようと考えていた。
焔に焼かれ灰の立ち上る王都を横目に。何の感慨もなく、己の我を満たすために。
暴れる暴徒を目にしていたのに、全く何も感じなかった。
むしろ、このまま王宮まで落として、あの愚王を引きずり出し、嬲り殺してくれとさえ思っていた。
「私は......っ? 何てことをっ?!」
愕然と顔を凍りつかせ、彼は未だ火の手の上がる王都を見上げる。
真っ赤な明かりがそこここで火花を放ち、黒々とした煙を絡ませながら建物の壁を焼いていた。
ぱちぱちと爆ぜる火の粉。それが宙を舞う様が、王太子の視界を埋め尽くす。
......何てこと。何てことだっ!!
国の窮地を思考の端にもかけず、他人事のように通り過ぎてきた。彼は、愛する者を連れて、安全な地に落ち延びることしか考えていなかった。
仮にも王族が...... 至高の玉座を継ぐはずの王太子が。
......何が王太子だっ! 民を見捨てて王族を名乗るつもりかっ?!
ファビアによって感情を操られていた彼だが、トリシアの清浄な風がその心に触れ、父王に対する憎悪や彼女に対する執着を打ち払う。
元々、誠実で真面目な王太子だ。正義感の塊のような彼に芽生えた微かな欲望は、闇の侵食を防がれたことにより呆気なく霧散する。
「行かねば...... たとえ、父王が腐っていたとしても、民を守らねば......っ!」
そう思い立ち、彼は周囲に倒れたままの貴族令息らを揺すった。
しかし、誰も目を覚まさない。......というか、目は細くだけど開いている。
「どういう? おい、しっかりしろっ!」
うっすら目は開けているものの、とろんとした表情で、揺すぶられるに任せた令息達。
このままでは埒が明かないと、王太子は一人で港から駆け出した。
王宮に残っているかもしれない母親のために。あわよくば、ファビアも討ち取ろうと。
「あれが闇の者であるのは間違いない。くそぉ、まんまと操られてしまった。あれが禍だっ!!」
聖女と近しい者に宿ると言われる禍。
......知っていたのに...... 様々な報告や本人と対峙して、間違いないと確信したのに。
悪しき気持ちを利用されたのだ。弟を毒殺されて湧き起こった憤怒や聖女に抱いた不埒な劣情を。
......このままにしておくものか。聖女は、まだ生きている。ならば......っ!
阿鼻叫喚な街を駆け抜け、彼は王都で一番大きな神殿へと駆け込んでいく。
息急ききって飛び込んできた王太子を迎えたのは、見知った顔ぶれ。
「王太子殿下っ! 御無事であられたのですねっ!」
「殿下? どうしてここに?」
安堵の笑みを浮かべたのはラウール。驚いた顔なのは、カシウス。
二人とも神殿騎士らと協力して、トリシア捜索に出るところだった。
なぜか王宮の結界が弱まり消え失せている。
そこから推測した神官が、彼女が王宮にいないのではないかと言い出したからだ。
もし、そうであるなら、すぐさま保護して守らねば。今の王都は阿鼻叫喚な地獄絵図だ。
「......というわけで、僕達はトリアを探しに行きます」
「ここは安全ですから。殿下は神殿にいてください」
気もそぞろで、今にも飛び出していきそうな二人の袖を掴み、王太子は複雑そうな顔を俯けた。
......説明を。恥の上塗りだが、このままでは聖女が危ない。
「すまぬ...... だが、そなたらにしか頼めぬことがあるのだ。しばし私に時間をくれまいか」
ただ事ではない様子の王太子を見やり、二人の胸中に嫌な予感が過ていった。
「ファビアぁぁーっ!!」
ほぼ無人と化した王宮。
そこにトリシアは居た。
これまでの学びや修練。さらには周囲を飛び回る精霊達により、彼女の力は格段にあがっている。
今も、王宮全てをトリシアが結界で覆っていた。無意識で発動する翠の風。
それが闇を祓い、暗く淀んだ王宮の空気を変えていく。
......が。それでも祓えない、生粋の闇が二人。
『すごいね、君の御姉さん』
「......どうでも良いわ」
みるみる清浄となる王宮。ファビアの顕現させた中庭まで及ぶ浄化の風は、相反する力に呑まれ、見るも無惨な焦土と化した。
辛うじて残ったブランコに座り、ファビアはアルフォンソの欠片を抱き締める。
氷のように冷たくなったソレは、切れるごとき寂しさをファビアに感じさせた。
......と、そこへ誰かがやってくる。
顔を上げもせず、きぃ.... きぃ.....とブランコを軋ませていたファビアの耳に、信じられない声が聞こえた。
「......探したよ、ファビア嬢」
弾かれたかのようにファビアの頭が上がる。そして限界まで見開いた目で、やって来た誰かを凝視した。
「カシウス....様?」
「相変わらずだね、君。名前呼びはやめてくれと、散々言ってきたのに......」
軽鎧を身に纏って剣を下げた姿のカシウス。その斜め後ろには、同じく軽鎧装備のラウールが立っていた。
ファビアの瞳が潤み悩ましく震える。
いくら忘れようと思っても忘れられない初恋。脳天から爪先まで突き抜ける嫉妬に狂い、足掻き続けた幼い自分。
恋は熱病だ。陥れば容易く燃え上がり、我が身を焦がす。
あの生真面目な王太子ですら闇に落ちて悶え狂った。闇に囚われ、本能を剥き出しにした。
それが、恋という熱病だ。
相対する二人に横たわる無情な温度差。
今にも焼き尽くさんばかりな恋心を、アルフォンソの欠片の冷たさで、辛うじて耐えるファビア。
最愛に徒なす生き物を、蔑むように見下ろしているカシウス。
そしてラウールは、一触即発な雰囲気の両者に目もくれず、じっと一ヶ所を見つめていた。
そこに居るのは青黒い何か。無言で佇む闇の精霊を、ラウールは辛辣な眼差しで凝視する。
......見極めさせてもらうよ。君が何なのか。ファビア嬢の力は君の与えたモノだろう? 同じ色だものな。
闇の精霊と知らずとも、それを脅威だと感じる面持ちのラウールの視界で、誰も報われない物語が、結末を迎えようとしていた。




