抗う人々 ~むっつめ~
「結界の状況はどう?」
「順当に広げられています。神殿同士の中継地点に臨時の天幕を立て、一時的な祭壇を設けて」
王都を護るように張られた各神殿の結界。
それは内部でも広げられ、何重もの環になりつつある。
だが、順風満帆に見えた結界の報告に、一抹の不安がもたらされた。
「けど、王宮を覆っていた結界が弱まったそうです。それどころが、徐々に薄れ、消え始めていると......」
その報告を耳にして、伯爵邸に集まっていた者の間にどよめきが起きる。
「そこは...... たしか、聖女様の結界があったはずでは?」
「そうです。多くの人々が正気に戻り、街へと逃げ出してきていました」
「暴れていた暴徒も神殿で浄化され、元に戻った者が多いと聞きます」
「しかし、中には死んだように動けない者もいるとか? その差は、何なのでしょう」
複雑な顔で疑問を呟き合う人々。浄化を行う翠の風は、聖女にのみ宿る力だ。
だが神殿で巫女や神官として修行を積み、真摯に神へ祈りを捧げた者らにも、ほんの少しだが翠の風が与えられる。
それを複数で使い、神殿は擬似的な翠の風を起して浄化が出来た。これが禍から神殿を護る結界の正体である。
浄化や結界は光の力。例の精霊王を名乗る奴の光属性。
......と、誰もが思い込んでいた。当の光の精霊すらも。
《違うのだがなぁ》
《なあ?》
くすくす笑う、上位の者達。
誰にも知られず世界を創り、精霊を生み出し、人間の営みを見守ってきた者ら。
彼らこそが光の根源。そして闇の根源でもあった。
《良かったのだよ。このままであれば。光と闇が拮抗し、それぞれ活発に動いていたなら、何も問題はなかったのに》
《きゃつらは、やり過ぎた。闇の精霊を殺し過ぎた》
《光も闇も等しく我らが子。兄弟殺しなど、許されざる罪悪だ》
《......まあ、それ用の配剤もある。どうなるかは人間しだい》
精霊の影響が大きすぎ、その陰に隠れて誰からも認知されていない神々。
精霊達ですら知らない高位の存在。
世界を創りあげた神々は、様々な生き物を生み出した。その際に、あらゆる事態も想定し配剤を潜ませていたのだ。
神の力は絶対である。それを行使するのは、自ら育とうとする世界に対して悪手でしかない。
光の精霊によって、歪み淀んだ下界を見つめ、神々は深い嘆息を漏らす。
《光と闇は表裏一体》
《どちらに傾いでも世界は歪む》
《......精霊界を天上界と名乗るか。恐れ知らずだの》
《本物の天界があるとも知らずにな》
神とは慈愛のみでない。
過ぎたれば罰するし、報復だってする。こういうところは、たしかに精霊達と似ていた。
だがそれは世界の秩序のためであって、決して残忍な遊興に耽るためではないのだ。
《光の精霊。おまえは、良く似ておるよ我々に》
《誰かの嫌味かと思うくらいな》
傲慢で不遜。何をもかえりみないあたりがそっくりだと神々は自嘲する。
だが、神々はそれだけでない。世が乱れぬよう、繊細な調整もしていた。
《......闇の精霊が、あんなことになるとは想定外だったの》
《哀れな。光の精霊に踏みにじられて、すっかり力を失っておる》
《その力に、気づいていたからこそ、光の精霊もアレの排斥に動いたのだろう。......無意識にな》
全ての精霊を従え、支配下に置く光の精霊。自らを精霊王と名乗る彼の唯一恐れるもの。
それが闇の精霊だ。ゆえに迫害した。徹底的に虐げてきた。周りに、そうとは思わせぬように。
光の精霊自身にも分かってはいないだろう。どうしてこれほど闇の精霊が気に入らないのか。
《それを理解した時......》
《きゃつは終わるな》
うっそり笑みを深める神々。
それは、人間を蹂躙する光の精霊に、非常に酷似した冷たい笑みだった。
そして所変わり、王宮近辺。
港から取って返したトリシアは、道中で狼藉を働く暴徒の山に愕然とする。
だが、そんな彼女をさらに脅かせたのは、魔法を駆使して飛び回る貴族達。
彼らが暴徒を鎮圧していく後から、追ってきた兵士が暴徒を捕縛した。
強靭な手枷足枷を暴徒につけて、順次荷車で運んでいく兵士達。
方向を見るに、神殿へ向かっているようだ。きっと闇を払い、正気に戻すためだろう。
それを必死に王都の民が手伝っている。
トリシアは、そこここで火の手があがり、焼けた街中で走り回る人々の姿に胸が熱く高鳴った。
身分に関係なく、一致団結して事に抗おうとする、その光景に。
負の感情は連鎖する。どんなに致し方無い状況であったとしても、誰かを害してしまえば、その人物に近しい者らが闇に落ちる。
これが闇の真骨頂。
恨みが恨みをよび、復讐が復讐をよぶ。それが止まることのないよう、狡猾に嘆きの連鎖を起させるのが奴等のやり口だ。
禍の先導によって火口を炙られた人々に与える燃料。
殺し殺され、無限に注がれる燃料が、憎悪や殺意に変換されて終わりのない混濁を招くのだ。
だから、闇の台頭を抑える唯一の方法は、誰も死なせないこと。
そのように神殿は解釈する。
トリシアの脳裏に、ある文献を解読していた研究者の声が響いた。
『この文献は、禍に抵抗を続けた人々の実録なのです。何があって、どうなったか。それをどうしたかなど、事細かに記されています』
過去の聖女の妹が残した手記。
それによれば、血で血を洗うような激闘が続く中、大きな衝突があるたび、禍に呑み込まれる者が爆発的に増えたと記されている。
次々、正気を失って仲間内ですら激しい言い争いが起き、収拾のつかない事態。
何がどうなっているのか分からない。誰か助けてと語る切実な手記。
それを事細かに解析した神殿の研究者は、誰かの血や死が引き金となり、人々が闇に魅入られるのではないかと結論づけた。
『人の感情は本人にも制御出来ません。特に怒りや悲しみなどの嘆きによる起伏の変化。たとえば、家族を殺されたとか。恋人を、兄弟を。あるいは近しく大切な誰かの見るも無惨な屍を目にしたとしたら......』
平静であれるわけがない。
それが負の連鎖。
怒りが怒りをよび、憎しみが憎しみを増幅し、終わりのない煉獄を生み出していく。
真っ白な顔で俯くトリシアを見て、その研究者は呟いた。
本当に何気ない呟きだったのだろう。本人も意識していない、真の無意識。
『誰も死ななかったら。禍は、何も出来ないんですよ、きっと』
それは真理。人間という、複雑な感情を持った生き物の宿命。
嘆きの根源は、怒りや哀しみといった負の感情だ。実際、王都へ押し寄せてきている民は、無惨な死を迎えた近しい者らが死人となって先導し、その厭悪憎悪を煽られている。
そこに新たな燃料を注がねば、事態を膠着させられるかもしれない。
ひょっとしたら、時が経つにすれ、その煽られた感情を諫められるかもしれない。
負の感情は非常に強い。それゆえ、長く維持するためにはかなりの精神力を必要とするのだ。
誰も死なせたりしなくば、徐々に鎮火し、磨耗した神経が民を疲れさせ、正気に戻すかもしれない。
そう結論づけた神殿や騎士団は、極力民を死なせるなと徹底的に指示していた。
そんなこんなを思い出しながら、トリシアは目の前の光景に眼を細める。
誰もが一致団結して暴徒を捕縛し、神殿へ運んでいく光景を。
禍はまだ触りだ。今なら闇に魅入られた者の数も知れている。
王都に住む者全てが協力すれば、押さえ込めない数ではない。
......ここは彼らに任せておいたら良いわね。
花が綻ぶかのような柔らかい笑みを浮かべ、トリシアは王宮へ駆け出した。
王や王妃の安否確認と、そして何より、ファビアに会うために。
......待ってなさいよ、ファビア。こんなことをやらかして、がっつり叱ってあげますからねっ!!
今はもう、叱るだのとかいう次元ではないのだが。
どんな状況であろうが超姉馬鹿なトリシアの脳内はブレない。
彼女にとってファビアは、いつまでたっても愛らしい妹でしかないのだ。
こうして終息の兆しを見せ始めた禍。
しかしこれが、束の間の平穏でしかなかったことを、後にトリシアは思い知らされる。




