徘徊する死体
人間と妖人は、お互いに関わることなく生きているが、時にその関係が崩れて領域を侵してしまうこともある。
妖人を発見してしまった人間は、己の探求心を時に残酷な方向へと発揮してしまうものだ。
ここは東京。都民1400万人が暮らす日本トップクラスの大都市。
人々は雑踏の中を行き交い、24時間眠らない街は常に誰かが起きている。
それでも郊外に出れば、秘境と呼ばれる人の住まない山林地域がある。
大都会と大自然。程よい距離間でもって、両者は共存共栄する。
そんな東京の山畑と住居が散見される一角で、闇にうごめく不気味な姿があった。
ボロボロで血まみれのランニングシャツと擦り切れてボロボロでやはり血泥まみれのジーンズ。足元は裸足。どこもかしこも傷だらけで流血している。
どうみても人間のようだが、そいつには両腕がなく、さらに上あごから上がなかった。
普通なら生きていられないはずなのに、足を引きずるように歩き彷徨う。
舌がなくてまともな声を出せず、喉奥から絞り出すように息を吐き出す。
「ウガアアアアア……、ウバアアア……」
それは不気味な咆哮となり、夜のしじまを破る。
いくら街灯があってもこのあたりの夜間は暗い。ぽつんと立つ街灯がわずかな光量でポールの下を照らしている。
薄暗い中で運悪く出会ってしまった酔っ払いのサラリーマンは、どうみても化け物の姿に震撼し腰を抜かした。
「ア、アワワワ……」
一旦、息を飲んだ後に叫んだ。
「ギャアアア!」
その場にうずくまって、災難が通り過ぎるまで目をつぶって待つ。
「ヒイイイ……。お助けを……」
しかし何も起きなかった。
恐る恐る目を開けると、化け物の姿はどこにもない。
目も耳もないから叫び声に気付かなくて認識しなかったのだろう。
それは、ただ本能の赴くままに歩くだけの体。
そいつが立ち去れば、それはもうなかったことと同じ。
「な、何だったんだ? 死体が歩くなんて……」
誰かに話しても決して信じて貰えないだろう。
大都会は無関心だ。
叫び声は誰かに届いたはずなのに、誰もやってこない。
酔っ払いが叫んでいる。
そう思ってカーテンを閉ざす。人の心は閉ざされている。
警察に通報したところで、何の被害もなければ悪質なイタズラだと思われるだけだ。
『頭のない人が歩いていた』
こんな言葉を誰が信じるというのか。むしろ、こちらの精神が心配されてしまう。
狂人扱いされてはかなわない。
こうして、人は堅く口を閉ざす。現実から目を背ける。
――悪夢を見た。
――悪酔いした。
そのように無理やり解釈して記憶を改ざんし、人は家に帰るものである。
件の酔っ払いサラリーマンも、カバンを胸に抱えて明るいコンビニを目指して小走りになった。
しかし、これは現実であった。
頭と両腕のない胴体だけの化け物は、足を引きずって歩いていた。
でも歩けているうちはまだよかった。
一度倒れてしまうと、支える腕がないからなかなか立ち上がれない。芋虫のようにみっともなく地べたを這いまわる。
「ウガアアウアアア……、ボバアアア……」
苦しむようなうめき声を誰かが耳にしても、あまりに人間の声離れしているため、野良犬でもいるのだろうと無視される。
それに呼応したのか、どこかの犬が遠吠えした。
――ワオーーーーーーンン!
さらに何匹もの遠吠えとなる。
――ワオーーーーーーン!
――ワンワンワン! ワオーン!
一気に深夜が騒がしくなる。
「うるさいぞ!」
誰かが怒鳴った。その声で犬は遠吠えをやめた。
鳴き止んだ途端、静かな夜に戻る。たった一か所を除いて。
「アア……、ア……」
化け物は、ヒューと空気が抜けたような音を最後に息絶えて動かなくなった。
***
動かなくなった化け物が発見されるのは、たいてい明け方だ。
ゴミ捨て場近くに横たわる血まみれの死体。
まるでバラバラ死体の一部のような物体の出現に、辺りは騒然となった。
警察だけでなく、暇な近所の人たちが見物に集まった。
最初はバラバラ死体殺人遺棄事件だと思われた。
刑事から鑑識から警察犬、多くの警察官が出動して周辺を調べていく。
警察が張ったバリケードテープの境界線。その外側に集まるギャラリーたちのヒソヒソ声が周辺へさざ波のように広がる。
「うわー、気持ち悪い」
「あれって、一体、何?」
「人間なのか?」
「これで、何体目だろう」
主婦、学生、自営業。平日の昼間に時間を自由に取れる人々は少なくない。
そんな中に背の低い少女がいた。踊鉈コヨミ。20歳。
妖が大好きな大学生。立派に成人しているが、身長が146㎝しかなく、ほっそり小柄で童顔のため、中学生に見られるのが悩みの種。
このところ、このような死体らしきものが何度か発見されていた。
人々は、この事件に大いに関心を寄せていて情報伝達が早い。
大きさから推測すると、たいてい成人男性と同じぐらいの背格好。頭がなかったり、腕がなかったり、下半身がなかったり、腐っていたり。死体によって状況が違っていた。
目撃情報を集めていくと、ヨタヨタと歩いていたとか、地面を這いずっていたとか、助けを求めるように叫んでいたとか。
常識ではあり得ない怪奇情報ばかりが浮かんでくるのだった。
服を着ているから人間なのかもしれないが、人間だったらそんなわけがないという話ばかりで、今回もそんな中の一つだと思われていた。
集まった人々は、自分の目で見て真偽のほどを見破ろうとしていたが、常識では判断つかない状況に困惑ばかりが広がっている。
コヨリだって、バラバラになった体の一部が出歩くなんて話をいくら聞いても信じられないでいる。
もしかしたら、動く死体は妖の類かもしれない。
そんな期待を持って見物に来ていた。
自分の目で妖かどうかを確かめてみる。
そんな意気込みにあふれた瞳はキラキラしていた。
頑張って更新します