第九話 カフェから帰った夜
『おばあちゃんを救うために協力してほしい』
私は自宅の自室のベッドに寝そべって、今日の病院での出来事を考えていた。
カフェに入って、たぶん一時間以上は話をしていたかもしれない。
弥生くんは自分の能力のことを、私が理解するまで教えてくれて、私のこれまで見えたものも真剣に話を聞いてくれた。
今までゆかりに話してはいたものの、理解を示してはくれても具体的なイメージは伝わっていなかったはずだ。
でも、弥生くんは『そのもの』が分かるので、内容がすんなり通じて話しやすかった。
だから、私は弥生くんの話を真剣に聞いて答えた。
――――――
――――
……
夕方になり、喫茶店にはちらほらと勉強をしている学生さんや、仕事帰りに待ち合わせたカップル、疲れた顔をしながらもこだわりのコーヒーを楽しむサラリーマンなどが訪れていた。
どうやら高校生の客は私たちだけのようだ。
この近くには高校はなかったから、当たり前なのかもしれない。
「柏木さんから、おばあちゃんはどう見えた? 黒い靄は頭の上にあったの?」
「…………う~んと、頭の上……ではないのだけど……実は初めてのパターンだったの…………」
正直、言ってしまうのが躊躇われたのだけど、ここで嘘をつく理由が見付からなかった。
「なんか、こう……人のシルエットみたいな? ぼやぁとしているんじゃなくて、しっかり黒い靄が固定されていた感じで……。いつもは頭の上にもしゃもしゃがあるような…………」
『もしゃもしゃ』と言ってしまったことで、弥生くんの眉がピクリと動く。アゴに片手をあてて、真剣な顔で呟いた。
「アフロ…………?」
「ううん、そこまで弾けてない。アルミたわしがちょこんと、乗っている感じの方が近い、かな?」
意外に弥生くんの発想が可愛い。
「とにかく、大きさも形も他の人と違っていたの」
「ふぅん……もしかしたら、おばあちゃんも『暗闇の眼』の持ち主だからかな……?」
「え? 明乃さんが?」
「そうだよ。おばあちゃんも自分の祖母がそうだったって。うちの家系は男女関係なく、一代おきに『暗闇の眼』の人間が生まれるらしい」
「なんか……壮大だね。もしかして、死ぬ瞬間が見えた人を助けるっていうのも、家訓だったりするの?」
「うん。『不必要な死を見て見ぬ振りはするな』って、ずっと云われていた。だから、僕は『視えた人』は死なせない」
一族の使命というものなのか。教室では見ることはなかったであろう、弥生くんの必死さが伝わってくる。
――――初めて“暗闇の眼”が現れた時。
弥生くんが初めて死の現場を見たのは、小学二年生の時だったという。
でも、その人は救けられなかった。
当たり前だ。その時の弥生くんは何も知らなかったのだから。
幼い弥生くんは、次々に視える恐怖にすっかり怯えて家から出られなくなり、一時的な不登校になってしまったそうだ。
ご両親はとても心配してくれたそうだが、弥生くんは上手く説明ができず、寺や神社をあちこち回らされた。
この事ですぐに、離れて暮らしていた明乃さんが気付いて、少しの間、弥生くんを預かることになる。
その時に“暗闇の眼”について知ることとなり、現在に至るまで弥生くんは明乃さんに相談しながら、多くの人の死を『回避』することができたという。
だけど二年ほど前、明乃さんが胃ガンを患って入院。手術は成功したはずなのに、そこから体調はなかなか良くならない。
そして弥生くんは明乃さんの死を視ることに…………
「……おばあちゃんの後ろに視える靄はなかなか消えない」
「あの……こんなこと言うのは失礼だと思うけど……本来の明乃さんの“寿命”っていうことは考えた?」
「もちろん。でも、そういう死は僕には視えない。いつも視えるのは事故なんかで、寿命で穏やかに亡くなる方は見たことないから……」
つまり……いつも視えているのって、凄惨なものばかりということになるんだ。それは、辛い……。
「柏木さんは、原因は関係なく視えるよね?」
「うん。たぶん……」
なるほど。やはり根本的に私と弥生くんは視るものがちがう。
だから、弥生くんは何かの解決策を得るために、私にできる限りの協力を仰いだ。
「……弥生くんは、自分の“死角”を探したいわけだ。見え方が違えば何か分かるかもしれないから」
「そういうこと。柏木さんは理解が早いね、助かる」
笑顔……にはならなかったけど、弥生くんの顔はだいぶ和らいで見えた。
「でも……期待はあまりしないでほしい。私はいつも見え方が受動的だし、タイミングも分からないし。見えたからって私は何も…………」
「そこはいいよ。さっきみたいに何処か違うとか、何か気が付いたら話してくれる程度で構わない。解決しなきゃならないのは僕だから」
「そう……」
………………。
ふと外を見ると辺りは日が沈み暗くなっていた。
「あ……ごめん、ずいぶん話したね。柏木さん、電車? 危ないから駅まで送っていく」
「え? あ、私の家、地元で近くだから大丈夫だよ。弥生くんは……家は近いの?」
「実家は隣の市。でも、春休みから高校の近くに住んでる。親戚がマンションを持ってて、卒業まで借りることになったんだ。自炊とか大変だけど、登校もおばあちゃんのお見舞いも近いから…………」
え!? ということは独り暮らし!?
高校生の独り暮らしなんて、ドラマとか漫画みたい。
「…………なんか、弥生くんって色々すごいね」
「何が?」
話してて何となく思った。
弥生くん……意外に天然かもしれない。いや、天然というか純粋というか。
暗闇の眼以上に、独り暮らしのことはあまり他には言わない方が良いよね。
ゆかりなどに教えたら「よし! 弥生くんちに突撃するよ!!」などと言いかねない。
じゃあ、帰ろうか。と、お互いに席を立つ。
店内のBGMはいつの間にか、ややシックなジャズになっている。私にはあまり馴染みのない曲だ。
この店は大人になってからの方が素敵だと思った。
――――――
――――
……
協力というのはどこまですれば良いのかな。
寝ながら携帯の画面を見る。
そこには、今日追加されたばかりの弥生くんの連絡先が表示されていた。
明乃さんは70才だという。確かに現代で亡くなるには少し早いかもしれない。
でも、いつか人は死ぬのだ。
もし、これが運命で自然のものだったら…………
その時、私の脳裏に幼稚園の時の友達だった『たっくん』の顔が浮かんだ。
もしも、あの子の死が寿命だと、予定されたものだったとして、私は簡単に受け入れられただろうか?
「人が死ぬのって簡単なくせに…………重い」
たぶん受け入れることはできない。
例えそれが「寿命だったんだよ」と、誰かに言われたとしても……。
「私も明乃さんを助けたい。それだけだ」
では先ず、弥生くんに聞いておいた方が良いことがある。
「…………連絡しても良いのかな?」
思いきって連絡をしてみようと、携帯画面を開いた瞬間、ピロリン♪と軽快な音と共に画面が切り替わる。
まさか、弥生くん!?
ガバッとベッドの上で起き上がり、急いで開いて中身を確認しようと画面に指を滑らせた。
兄:『やっほー!! 心細いから明日も来て☆』
「…………………………」
メッセージの下では、マスコットがくねくねと踊っている。
私は珍しく『お兄ちゃん、ウザイ!!』と心の底から思い、何も打たずに画面を引っ込めておいた。
改めて、弥生くんにメッセを送ろうとしたが、どうやって打とうか思い付かなくなってしまう。
「……学校で直接、聞こうかな? あ、ダメだ、今日……金曜日だ…………」
月曜日まで待つのも嫌だな。
明日……弥生くんはまた、明乃さんのお見舞いに来るのだろうか?
「ちょっとだけ、覗いていこうかな……」
………………仕方ない。
パタパタパタパタ…………
『分かった。明日行くから、何か欲しいものある?』
飾りっ気のない文字でお兄ちゃんに返信を入れる。
既読から三分もしないうちに長いメッセージと、さらに激しく動くマスコットが連続で送られてきた。